人権
人として生きるか
家畜として生きるか
選択出来る事こそが人権であり
それ以外は人権ではない
手塚治虫氏の「ブラックジャック」との出会いも去る事ながら、理科で人体を得意とした私が医師を志すきっかけが無い訳ではなかった。何故、志さなかったのか?理由は、ずばり「病気を伝染されたくない」からである。決して「血が嫌い」という事ではない。当時の御茶ノ水の某病院関係者に告ぐ。あれは建前である。
酷い言い草だが、本当なのだから仕方が無い。人が罪を犯さないのは、自分が被害者になりたくない為である。犯罪を行って良い事になれば、其処ら中が犯罪塗れになるであろう。同様に自分に照らし合わせて考えてみれば分かるだろうが、金が無くなれば食えなくなるので、餓死してしまうから金は必要である。勿論、病気にだってなりたくはない。私は存外普通の人間なので、「病気を伝染されたくない」し、「犯罪に侵されたくない」し、「金が欲しい」のだ。
世の中の仕組みはシステムに似ている。私は運用系の開発のエンジニアであるので、仕組みについては理解しているのである。インフラ系の仕様の不備を開発系の技術屋が吸収し、開発系の技術屋のバグを運用系のエンジニアが解消する。言い換えれば、我々は同業者のウンコを処理しているのだ。何だか腑に落ちないが、皆がやりたくない仕事だからこそ職に溢れているとも言える。そういった意味では、食うには困らないのは良い事であるのだけれども。
人間は基本的に「病気を伝染されたくない」「犯罪に侵されたくない」「金が欲しい」ので、「病気」も「犯罪」も「貧乏」も全部ウンコであると言えよう。ウンコ塗れになりたくなければ、ウンコを処理するしかない。「ウンコ処理」こそが人類がやるべき最優先事項であるのだ。
人が人たらしめている事が事実である以上、生きるという事は他人に干渉する事でもあるので、生きる事を選択した時点で少なからず他者に迷惑をかけている事になる。言うなれば、自分の尻からも常にウンコが垂れ流れているのだ。従って、油断すればすぐにウンコ塗れになってしまう。貴方だってウンコ塗れにはなりたくないでしょう?
だから、先天性の外斜視という「欠陥」を持って産まれてきた私は、他人の1.5倍以上の「ウンコ処理」をして結果を出さなければ「普通の人間」として扱っては貰えないのである。「他者に迎合している」と言う勿れ。人は独りでないから人なのだ。「個性として尊重しろ」だと?おいおい、「欠陥」を「個性」と言い換えた所で何も解決しないぞ。「欠陥」が与えてくれた良い事なんて、今まで生きてきた中で一つも無かった。数少ない思い出としては、生きている意味が分かった気がして少し嬉しかった事位であろうか。
「普通の人間」として生きる事を諦める必要は無いし、「普通の人間」として生きる事を諦めてはならない。人権なんて、その程度の物であろう。人間として生きる以上、勝手な真似は許されない。合理性を失った物から、自然に淘汰されていく運命なのである。常に自然に試されていると心得よ。自然の流れとはそういう物だし、そうでなければならないのだ。