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4話

 あれから一週間も経った頃のことになる。

 五時間目の授業。見慣れた教室風景は、最近の刺激のある生活に対して一層億劫なものに思える。誰かがシャーペンを走らす音と、時折聞こえる人の声が悪い意味で心地良い。満腹も相まって、幾ら私といえど結構な眠気に晒されていた。黒板の字を虚ろ虚ろとしている意識で追いながら、私は今朝のことを思い出す。

 夢を見た。それも、私の人生で数えて最もリアリティがあって、最悪な夢だった。起きた瞬間、まず聞こえてきたのは自分の心臓の音だった。高いところから落ちた時のような妙な浮遊感。そして胸の奥に微かに残っている痛覚。覚えている。明確じゃないが、今回の夢はおぼろげに記憶が残っていた。

 殺されていた。先日までの夢が『これわれたにんげんの、こわれたせかい』に乗っ取った内容だったのに対し、私はまるでその世界観に取り込まれた登場人物のようだった。夢は何かを暗示するというが、これがそうだとしたら笑えない冗談だ。まず、それを理由にして今朝から私の気分は最悪だった。

 そしてもう一つ、重大な問題。

 先週から白椿さんに一切会っていない。メールも何通か送ったが、一つも返ってこない。音沙汰無しというやつだ。授業に集中出来ない理由の大半をそれが占めている。あの日を境にしているのだ、幾ら彼女と言えども落ち込んでいるのではないか――というのは自分を騙すための表向きの理由。本音はただの『嫌な予感』でしかない。何の嫌な予感なのかも分からないが、蔦が絡みつくような感覚がいつになっても離れない。

 少し前に、お節介かと思いつつも彼女の同級生らしき一年生に白椿さんのことを聞いてみたことがある。すると、やはり一週間前辺りから無断欠席が続き、学校には一度も顔を出していないということが分かった。ただし、それ以上の情報を聞こうとすると、皆して「彼女のことは良く知らない」の一点張りで、どうやら彼女に友人がいないのは本当のようだった。

 これ以上踏み込むべきか否か。彼女のことが心配でも、特に行動を起こさなかったのは迷っていたからだ。いや、今現在も迷っている。人に言えばおかしなことを考えていると思われるかもしれないが、私にはこれ以上白椿さんと関ると、何か『違うところ』へ行かなくてはいけないような気がして、少しだけ怖い。何の刺激も無い日常から一歩踏み出して、ちょっとだけ冒険してみよう、なんて軽い気持ちで関って良い存在なのかどうか。先日の白椿さんは異常だった。それは確かに私たちとは違うもので、そして、だからこそ私は彼女のことが気になっている。

 ……私が優等生だから、手のかかる後輩を心配しているのか?

 いや、違うだろう。幾ら私だってそのくらい分かる。たった二日三日遊んだだけの子にここまで気をかけるのは親切心からじゃない。もはやこれは義務感とも言える。白椿さんによって手を繋がられてしまった私の、強迫観念的な義務感。ただし、それに従うかどうかは私の手に委ねられている。

 下校時刻になった。今日は誰とも話す気になれなかったので、軽い挨拶だけ済ませてさっさと帰りの仕度を終わらせ、校門に向かう。

 そしてそこに、私の選択肢は立っていた。

「乗れ」

 黒塗りの車の前に、黒住がいた。下校中の生徒が物珍しそうに見ているのにも関らず、そいつはいつもの仏頂面で私を呼んでいた。

「傍から見たら変質者みたいに見えるわよ」

「お嬢様を迎えに来た執事という線はどうだ」

「そう思われたいなら、その風貌をどうにかすることね」

 冗談は、いらないか。

「用件を話しなさい」

「中に白椿菊乃が乗っている。置いておく場所が無い。貴様の家で何日か預かって欲しい」

「乗るわ」

「ふん。現金な奴だな」

「友達想いと言いなさい」

 車に乗り込むと、中にはだだっ広い空間が待っていた。長い座席の一つに、白椿さんが寝かされている。白い毛布をかけられており、見るからにただ事では無さそうだ。黒住が正面の運転席に座り、車のエンジンをかけた。微振動が身体に伝わると同時に、私は白椿さんの横の席に腰をかけた。

 毛布が少しはだけていたので、かけ直してやる。と、そこで彼女の服が学校の制服だということに気付き、そしてそれが真っ赤に染まっていることに気付いた。

「……黒住。状況を説明して」

 車が発進する。バックミラー越しに黒住を睨み、言葉を急かせた。

「安心しろ。白椿菊乃が傷ついているわけではない。それは他人のものだ」

「それは安心したわ。でも、私が聞きたいのはそういうことじゃない。一体これはどういうこと?」

「××区が封鎖された事件は知っているな?」

「ええ。最近ニュースで持ちきりよね」

 先週のあのニュースを境にして、ここ一週間特集を組んでマスコミが事件を追っていた。警察はほとんど何も明かさず、××区以外に警戒態勢を敷いてもいない。一つの都市が丸々閉鎖されるという大規模な事件の割には、その真相は全く明かされないまま時間だけが過ぎている。内部が果たしてどうなっているのか、それすらも定かじゃないのだ。報道では死傷者が多数出たと言っているが、近辺の病院にそれらしき患者が運ばれた形跡も無いらしい。最近では何かのガセではないかとの疑いもあるくらいだ。

「俺は数日前から白椿の動きを嗅ぎ取って調査をしていたのだが、その際、××区の中に立ち寄った。その時にこいつを拾った」

「白椿さんが、あの中にいたの?」

「元々白椿の家は××区にある。別にいてもおかしくはない。が、分かるだろう? そこにいるのは明らかにおかしい」

 そりゃあそうだ。いくら住居がそこにあったからといって、警察が中を徘徊しているというのにそこにいるのはおかしい。見つかれば即刻退場だ。まさか警察から逃げながら生活していた訳でもないだろう。そんな理由も見当たらない。

「血……この返り血はどういうことなの?」

「さあな。俺が来た時にはもうその状態だった……まあ、大方『自分の親の殺人風景でも見て気絶したんだろう』」

 黒住をミラー越しに見る。茶化して言っているようには見えない。

「……白椿さんの両親、何の仕事をしているのか、今なら教えてくれても良いんじゃないの?」

「何、単純なことだ。『人殺し』を仕事にしているんだよ、白椿は。――無論、この発言に嘘は無いが、主に悪意で出来ている」

 声質から腹立たしさを感じ取れる。何かの因縁か知らないが、黒住は白椿さんの家と無関係なわけでは無さそうだ。

「人殺し……」

「そうだ。人殺しだ。詳しくは本人から聞くと良い。俺があれこれと話せば、激昂して殴りかかってきそうな事情だからな」

「そうね、そうするわ」

 光景は容易に想像出来る。彼女は黒住を酷く嫌っているようだし、きっと自分のことを勝手に語られるのを嫌がるだろう。白椿さんの寝顔を見て、そう思う。安らかに寝息を立てている様を見る限り、今はかなり安静のようだ。この空間には言いようの無い安心感がある。それは黒き巨塔たる黒住がいることと、その黒住の所有物の中にいるからだろうか。良かったわね、と小さく呟いて、白椿さんの柔らかな頬を撫でていた。今だけは、彼女に黒住を恨んで欲しくない。

「黒住……貴方は、どうして白椿さんのことを助けたの?」

「何故助けた? 心外だな、その言葉回しは。まるで俺が白椿菊乃を助けることが意外のようだ」

「だって、何だか貴方と白椿さんは仲が悪いじゃない。だから、私はてっきり過去に何かあったものだと……」

「前にも言っただろう。俺は一方的に白椿菊乃を知っているだけで、そいつ自身に俺に対する面識は無い。仲が悪いわけじゃない。単純に嫌われているだけだ」

「言ってて悲しくならない、それ?」

「何、そいつに言わせれば因果というものだ」

 ふっ、と小さく笑った気がした。

「俺が用件があるのは、そいつの親だけだ。子に罪は無い。屑の親から生まれてきた子が、屑とは限らないだろう」

 台詞に若干の棘を感じるのは気のせいじゃない。黒住の声色がほんの少しだけ変わった。

「黒住、貴方、前に自分は『刑事』だって言ってたわよね」

「そうだな」

「貴方が追ってたのは、白椿さんのご両親なの?」

「…………」

 黙殺。だが、それは即ち肯定だ。違うのなら否定すれば良い。否定しなかったということは、何も言い返せなかったということだ。図星か。

 私がそう確信を得たのが向こうにも伝わったからなのか、黒住は大きなため息をついた。彼にしては珍しく、自分の失態を認めたようだ。いや、私に負けでも認めたのだろうか。どちらにせよ、黒住のキャラには似合わないため息だった。

「聡明な人間は嫌いじゃないが、遣りづらいな。貴様も所詮は白椿と関わり合いになれた異常者ということか」

「私を異常者だなんて変な称号で呼ぶのは止めて。私はただ、優等生であろうとしているだけ。頭が変に働くのはその成果よ」

「優等生……か。テストで九十点以下を取ったことは?」

「無いわ」

「だろうな。そうだろうと思った。無論これに嘘は無いが、主に悪意で出来ている」

 馬鹿にされたのか? こういう変な言葉遊びは得意じゃない。

「そんな優等生に質問だが、人殺しという存在についてどう思う」

「人殺し、ね。どんな理由があれ、人を殺すことは良くないことだわ。でも、そうせざるを得なくなった状況というのには、ほんの少しくらい同情してやっても良いかもしれない。そのくらいの存在かしら」

「模範解答だな。詰まらなさ過ぎで逆に面白いくらいだ。では、人殺しの状況が、同情出来なかったら、どうする」

 私はその同情出来なさそうな人殺しを頭の中で想像する。

「快楽殺人だとか、そういうものかしら。同情は出来ない。ただ、それが人間の本質的に持っているものだとは思いたくないわ。たとえそうだとしても、それが覚醒するには何かしらのきっかけがあって……」

「――違う」

 言葉を遮られた。別に驚きはしなかった。私だってこれが回答だなんて思ってはいない。本質をいつまで経っても説明しやがらない、面倒くさいエンターテイナーから言葉を引き出すためだ。意味の無い禅問答は時間の無駄だと分かっているのにやりたがるのは灰田と同じなのだろう。いや、少し違うか。彼らは一つ一つの問いで私を試している。質問というものが、本来そういうものであることを私は知っている。本当に、面倒くさいものだ。

「貴様の、常識的な脳味噌で考えられない人殺しが、この世界にはごまんといる」

 まるで、そのほとんどを見てきたのかのような口調。

「例えば?」

 私はそれに、試すような言葉で訊いた。

「人を殺すことが本質的に悪だということを、『知らない』人間だ」

 知らない。黒住はその部分を特に強調したように思える。

 分からないんじゃない。自覚していないんじゃない。そもそも、そういう常識が存在しない。アダムとイヴの時代、彼らが林檎を食べるまで『罪』というものに全くの無知で無関係だったように、人を殺してはならないという歪んだ常識が存在しない。倫理観とは何だ。まともな人格とは何だ。そんなものは、彼らにはそもそも存在しない。

 ――なんて人が、この世界にいるとでも思うのか?

「人間は普通、倫理観を成長する際に植えつけられる。だが、それが無かった場合はどうだ? 何かをきっかけにして生み出された一発屋のようなものではない人殺し。そんなものが世界にはいる」

「理解が難しいわね」

「何故、俺たちは人を殺さない? 殺してはいけないという強迫観念が植え付けられているからだ。それはどうして植えつけられた? 周りがそうしているからだ」

「まさか……」

「周りに誰もいなければ、それは存在しないということだ」

 天涯孤独の白椿家。そして人殺し。

 なんてことだ。嵌るはずが無いと思って端に退けていたピースが嵌ってしまった。出来上がった形は酷いもので、見た目何が書いてあるのかは全く分からなかったが。それでも、形は出来た。

「優等生。明日、××区で俺は『刑事』生活にケリを付けに行く。どうだ、俺と共に世界に蔓延る屑の一人を豚箱に叩き込んでみないか?」

「相手がどんな人なのかも知らないで、私がそんなこと出来るとでも思う? 貴方のことは決して信用していないわけじゃないわ。私には分かる。貴方が口癖のように言っている『嘘は無い』って言葉に、嘘が無いことを」

「ほう。なら何が不満だ」

「貴方みたいな悪意の塊に手を貸すほど、私もお人よしじゃないってことよ」

「……くっ、はっはっはっは!」

 黒住が腹の底から楽しそうな声を出した。私も釣られて少し可笑しくなり、頬が緩むのを抑えられなかった。

「明日の午後一時。それまでにどうするか決めることだ。止めるなら止めに来い。貴様が優等生であるならば、それらしい行動をしていればいい。俺はそれを否定しない。――無論、これに嘘は無いが、主に悪意で出来ている」

 いつの間にか車は止まっていた。窓の外を見れば、見慣れた自宅の外観が目に入った。都内の住宅街の中では大きめな、豪勢な家。自宅の場所を伝えてないのに、本当についてしまった。そのことに対して、気持ち悪さとかは感じなかった。どうせ黒住のことだ、車を走らせた時点で自宅の場所を知っていることは検討が付いていた。どうやって調べたのかは分からない。ただ、なんとなく、『刑事』だから当たり前かと思ってしまったのだ。

「送ってくれてとても感謝してるわ。それで、悪いんだけれどもう一つ良いかしら。白椿さんを私の部屋まで連れて行くの、手伝ってくれない?」

「面倒だな。車を止めるところが無い」

「今の時間なら母親もいないだろうから、菓子の一つや二つは出るわよ」

「歩きながら食べれるものか?」

「お饅頭とかなら」

「仕方ない。車を止める場所を探すから少しうろつくぞ」

「貴方、現金な人ね……」

「正直者と言え」

 謙虚さが無いのと正直なのは少し違う気がする。

 車はしばらくして通りに止まり、白椿さんは黒住によって私の部屋に運ばれた。眠りが深いのか黒住の抱え方が良かったのか、その間一度も目を覚まさなかった。

 その後、黒住には軽い礼とお茶菓子を持たせて帰らせた。どこで食べるのか知らないが、結構に満足していた。今度会うときは同じものを持って行ってやろうとか、ほんの少し悪戯心混じりに思った。

 とりあえず白椿さんの服を着替えさせよう。血みどろのままじゃ格好が付かないし、私のベッドも汚れる。学校のジャージがあったはずだ。サイズが合うか分からないけれど、彼女だったらきっとそれでも納得してくれるだろう。

 友達なんて、そんなものだ。


  *


「おはよう白椿さん」

 白椿さんが目を覚ましたのは、午前十一時を回ってすぐだった。夕方頃に黒住に届けられてから、丸半日以上寝ていたことになる。寝ぼけ目を擦りながら身を起こすと、白椿さんは私の方を見て大袈裟に飛び跳ねてリアクションを取った。

「おおうっ! 何故ここに先輩がっ! っていうかここはどこですかあたしは誰ですか、ってか、今いつですか?」

「私と貴女が最後に会った日からちょうど一週間と一日。そして現在午前十一時十分よ。加えておくならここは私の家よ」

「せ、先輩の家? や、ヤバイっす。知らない間に先輩の家にお呼ばれしてたとか、その瞬間の記憶が無いことが悔やまれて頭の奥のほうがむっちゃ痛くなってきました」

「夢も希望も無いことを言うと、貴女は黒住に連れてこられてきたのよ。今度会ったらお礼でも言っておきなさい」

「本当に夢も希望もありませんねそれ」

 現実を知ったからか、白椿さんは落ち着きを取り戻して肩の力を抜いた。

「はぁ……どーして先輩の家に連れて来ちゃいますかね、あの人は」

「何、嫌だった?」

「いいえぇー! とんでも無いです。この家ごと食べて胃袋に収めちゃいたいくらい嬉しいですマジで。ここはあれですか、平民が決して立ち入れないと聞く王宮ですか。なんて神々しい光景なんでしょう、っていうか、あたし先輩のベッドで寝ちゃってます? つかこれ、先輩のジャージじゃないですか。え? マジで?」

「少し落ち着きなさい……別に王宮でもなんでもない、ただの一軒家よ」

「す、すいません……」

 しゅんとして白椿さんは頭を下げた。

 私は白椿さんの隣に座って、おもむろに足を投げ出した。昨日は親から借りてきた寝袋で寝たためか、肩と腰の辺りが若干痛い。いざこうしてベッドに乗ってみると、その快適さが良く分かる。スプリングを少し軋ませてやると、白椿さんがちょこちょこと前に出てきた。その腕の中には何故か私の枕が抱きかかえられている。体育座りのスタイルなので、自動的に顔を少し埋める形になっている。別に抱えるのは構わないのだが、あまり臭いとか嗅がないで欲しい。

「さて、さっさと本題に入っちゃおうと思うんだけど、良い?」

「……」

 黙殺。黒住とは違う、否定の意だ。あまり触れて欲しくは無いんだろう。私の家に来たくなかったのも、きっとそれが理由だ。ただ、そうだと分かっていても、私は聞かなければならないと思う。だから私は、彼女がそうして欲しくないのを分かっていながらも話を進めることにした。

「昨日、黒住からある程度は聞いたわ。貴女の家庭事情がどんなものか、詳細は本人に訊けって言われたけどね」

「聞いたんですか……あたしの、家のこと」

「触れる程度だけどね」

「どうして聞いたんですか。先輩は頭の良い人だから、なんとなく分かってたはずです。いえ、先輩も『そういう人』だから、分かっていたはず。あたしの家の事情は、簡単に踏み込んで良い領域じゃないって」

 そう節目がちに言う白椿さん。

 どうして黒住に、彼女のことを聞いたのか。話の流れで聞いてしまったと言えばどうしようもなくなるが、あながちそれも嘘じゃない。つまり、私はあの時点で迷っていたつもりであって実は既に結果を決めていたのかもしれない。いや、それも仕方の無いことだ。だって私は優等生だから。

「白椿さん。私はね、そこまで言うほどお人よしじゃないし、誰彼構わず親切心を振りまくような偽善者でもない」

「じゃあどうして……」

「人に助けてって頼まれたら、貴女は断れる?」

 私のちょうど横にいる白椿さんは、目を見開いてこちらを向いた。綺麗な瞳が一直線に貫いてくる。それに目を合わせた私は、彼女の睫毛の一本一本まで明細に感じられる。苦しくなるほどの、期待に満ちた目だった。

「あたしは、そんなこと頼んだ覚えはありません。そんな因果は、存在して無いです」

 言葉は否定だった。一語一語を区切るように言い、綺麗な目は私から逃げて行った。本当に可愛らしい子だと思う。こんな後輩だったら、何人でも面倒が見れそうだ。思わず頬が緩み、私は白椿さんの頭に手を置いた。

「因果は、確かに存在していたわ」

「……え?」

「私と貴女は確かに出会った。あの購買部で、偶然にもね。誰の差し金でもない。本当に偶然の産物で。そしてその後、貴女は私に近づいてきた。たかだかサンドイッチを一つあげたくらいでね」

 理由としては間違ってないのだろう。初見の人から物を貰って、後日何のお礼も無いなんてのはそれこそおかしい話だ。だからあの日、彼女が私にお礼をしたいと私の所を訊ねてきたことには何ら不思議なことは無い。

 ただし――普通は私が病院に行っているところまでは来ないし、風邪気味だと言っているのに翌日の約束を取り付けようだなんて強い押しの仕方もしない。あの時、彼女はきっと焦っていた。今だからこそ分かる。彼女はどうしても、私との因果を繋ぎとめて置きたかったのだろう。

「白椿さん、貴女に何があったの?」

「あ、あたしは……」

「――話しなさい。白椿菊乃」

 それ以上の言い逃れも、嘘も許さない。私はノロノロと進む話は嫌いだ。もうこれ以上ことを伸ばすことは、私が許さない。

「あたしの……」

 たがは外れた。あとは水の流れに任せるだけだ。

「あたしの家のことは、どのくらい黒住から聞いたんですか?」

「貴女のご両親が人殺しだということくらいね」

「うわぁ……一番根っこの部分じゃないですかそれ」

 乾燥しきって今にも割れてしまいそうな笑顔を見せる。私はそれに水をやるように、髪の毛を梳く感じで頭を撫でた。

「……人の世界って、どこもかしこも真っ黒だと思いませんか。利害だとか、自分への見返りだとか、そういうことばかり考えて生きる自己中心的な人ばかり。人間は蓋を開ける前から悪臭が匂ってくるくらい、酷い生き物だと思いませんか」

「とても悲観的な考え方だと思うけど、間違ってはいないかもしれないわね」

「あたしの親は、元々宗教人だったんですけどね、結構っていうか、かなり熱狂的でして。それで、毎日のように人の姿に絶望していたらしいです。何様だって話ですけれど、本人たちからすれば結構重大なことだったらしくて」

 宗教は人の生きる糧でありながら、度々人を狂わす。白椿さんの両親もその被害者の一人なのだろうか。悪徳宗教や、その手の類のものを想像しながら彼女の話に耳を傾ける。

「それで、考えたらしいんですよ。どうにかしてこの世の人々を救ってやりたいって。その結果、思いついたのが『浄化』みたいなものだったんです」

「『浄化』?」

 突然飛んできた突拍子も無い言葉に、私は思わず鸚鵡返しにした。

「はい。先輩も何となく分かってくれると思うんですけど、『浄化』って抽象的過ぎませんか? 逆に悪に染めてしまうのなら分かりやすいんですけど、正義に戻す、っていうんでしょうか、それってとても難しいし、どうしていいか良く分からないと思うんですよ」

「確かにね。人を悪の道に陥れるのはどうにでもなるけれど、更生させるとなると私も最善の方法なんて考えつかないわね」

「それで、辿り着いた方法が、『人を真っ白にしてしまおう』」

「……真っ白?」

 私は撫でていた手を止めて白椿さんの表情を窺う。彼女の表情は思いのほか軽い。恐らく溜めていたものを吐き出せる感覚に酔っているのだろうと思った。

「人が真っ白になるって、どういうことか、分かりますか」

 その瞬間、私の知性がある一つの答えを導き出した。その考えを丸々代弁するように白椿さんの口が動く。

「白っていう色は、絵の具じゃどうやっても作れません。黒は他の色を混ぜればいつかは出来上がるのに、白はどの色をどう混ぜても出来上がりません。白はそれしかないんですよ。黒が他の色々なものを含んでいるのに対して、白にはそれしかないんですよ。じゃあどうすればいいのか」

 真っ黒な人間を白に戻す手段とは何か。人生の中で良い事悪い事、全部吸収して色を混ぜてきた人間の色を、どうやったら真っ白に出来ようか。どれほど白を加えたところで焼け石に水、多少黒が薄くなるだけで、直ぐにまた戻ってしまう。一度戻せたところで、二度三度蘇る。

 ならば、と彼らは考えたのだろう。

「――死んじゃえば良い」

 ぽつんと、言葉が零れ落ちた。

 ある意味では、死は人にとって究極の救いなのかもしれない。自分という器の中に際限なく溜まっていく悪性の液体は、もしかしたらそうでなければ取り除けないのかもしれない。

「……親が、人を殺したのは一度や二度じゃありませんし、あたしがその現場にいたことだってありました。むしろ、親はあたしがこの仕事を継いでくれるとも思ってるみたいです。笑えますよね、ホント」

 少しも笑えやしないっていうのに、白椿さんはそう言う。笑えない。全然笑えない。

「あたしには分かります。あたしの中にはあの人たちの血が流れてる。想像出来るんです。自分が例えば誰かを殺した時、どうなってしまうのか」

「どうなるの……?」

「きっと、どうもしませんよ」

 ――何故なら彼女もまた、異常者だから。

「人が死んだって何も悲しくない。人を殺したからって罪悪感なんて無い。だっておかしな話じゃないですか。どうして人の『死』が悲しいことなんです? たかだか持っていた玩具が壊れるくらいの話じゃないですか。だってあたしの親は沢山の人を殺してきたのに、あの人たちの泣いている姿なんて一度も見たことが無いんです! その程度の話でしかない! なら分かるじゃないですか、そういうことに持つ感情なんて、何一ついらないんだって。そんな考えが自分の中にある。ほんの少しの動機で人を殺してしまえるだけのものを私は持っている。そんな人間が、友達なんか作れるわけが無い――因果ですね、因果」

 いつもの調子で口癖を呟いた彼女は、泣いていた。人殺しの子とは思えないほど綺麗な瞳から、悲しくないと言った言葉とは裏腹な涙を流していた。

 出会いという因果は最悪だと彼女は言った。何故彼女は、そんなことを思うようになったのか。私は昨日、そのことについて考えていた。

 白椿さんの最初の出会いは何だったのか。想像するまでも無い。自分の両親だ。彼女が生を受けて一番最初に出会ったのは、自分の親なんだ。それは彼女だけじゃない、ほぼ全ての人間がそうだ。その親から人として沢山のことを学ぶ。親から子は出来る。言葉だって親から学ぶというのに、ものの考え方を学ばないわけが無い。彼女はその点において、最悪とも言える因果を引き当てた。私には想像することすらおこがましい人生を歩んできたのだろう。友達の一人も作らなければ、親は殺人鬼。そんな人生を私が測れるわけが無い。同情なんて、出来るわけが無い。

 だが、いやだからこそ、私は彼女の領域に土足で踏み込む必要がある。彼女の郷になど従えない。狂いに狂った、壊れた世界の郷になど従えるわけが無い。礼儀など知ったこっちゃ無い。ここは壊れた人間の世界じゃない。郷に入ったのだから、郷に従ってもらおう。

「白椿さん。貴女はどうして私に近づいてきたの」

 結論を急ぐ。もはやこんな話をする必要は無くなった。白椿菊乃が私と出会い、私に求め、そして私はそれに答える。

 面白いと素直に思った。これが、『因果』なのだろうと。

「あたしは人を殺したくなんてない。今まで我慢し続けてきたんです。両親が私に教えてくれる、数々の殺害方法とか、そういうのに。もしもあたしがそれに屈してしまったとき、友達がいたらその子が悲しんでしまう。もしかしたらその子を殺さなければならなくなってしまうかもしれない。だから友達を作らなかった」

 彼女は泣いていた。嘘なんて一パーセントも配合されていないし、悪意も感じられない、ただただ純粋なもの。

「先輩に出会った時も、本当は無視しようかと思った。お礼なんて、しても何の意味も無いし、ただ自分が苦しい状況に置かれるだけだと。けど、あたしはやっぱそれは友達とか関係無しに返すべきだと思った。本当はお礼だけ言って帰るつもりだった。でも、その日、ある出来事を境に賭けてみようと思ったんです」

「ある……出来事?」

「はい。それは……――先輩が、灰田純一と出会っていたから」

 一枚の巨大なピースが音を立ててはまった。驚きは無かったが、身の毛がよだつほどに鳥肌が立った。分かっていた。分かってはいた。彼女の口からその名が飛び出すまで、意識しなかっただけで、どうせそんなことだろうと思っていた。あいつは舞台の脇役じゃない。主役でもない。舞台の奥で私たちが必死になっているのを見ている、監督なんだ。

 出会いは最悪の因果。人によって捉え方は色々あるだろうけれど、私はそれに今猛烈に同意したい。全部、あいつが繋いでいる。私は白椿さんのことに関してしていたつもりなのに、あいつと繋がっている。糞みたいな因果の鎖が、私を捕らえているようだ。

「……なさい」

「え、何ですか?」

「言いなさい!」

 罵声に近い怒鳴り声を上げてしまう。白椿さんは身体を一瞬震わせると、怯えた目でこちらを窺ってきた。らしくもない。貴女はいつも通り、期待に満ちた目で私を見ていればいいのよ。

「私に何をして欲しいのか、その口で、しっかり言いなさい!」

「――」

 時計の針は十二時を回っている。だから何だ。私は優等生だ。出来ないことなんて、何も無い。

「先輩、あたしを、助けて……!」

 もう私は、人の踏み込める限界領域の一歩先に両足をついている。

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