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エピローグ

 夏の日差しが降り注ぐ。蝉の声が五月蝿い季節になった。たまに部屋の窓に突撃してくるのはご勘弁願いたいところだ。夏という季節はこれだから、正直好きじゃない。

 道路の中から吹き上げるようにして陽炎がゆらゆらと街を歪めている。夏休みに入り、町並みには人が溢れていた。親子連れから制服姿まで多種多様。強いて言うなら背広姿の男性やスーツをキチッと着込んだOLの方々には敬意を払わざるを得ない。この暑い中、お勤めご苦労様である。

「先輩聞いてますかー? 陽炎なんて見つめたって何も見つかりませんよ?」

 横から少女の声が割り込んできた。名前は白椿菊乃。可愛らしいポニーテールが特徴だったが、夏場は暑いということで今はショートになっている。

 私たちは某ファストフード店、というかいつもの場所で昼食を取っていた。相変わらず白椿さんのトレイの上には身の毛もよだつ量の食べ物が顔を並べている。これだけ食べて全く太らないというのだから感心する。運動をしているわけではなく、体質の問題なのだろうけど。それはそれで羨ましい。

「それ、毎度思うのだけど少しは抑えようって気はないの。見ていて私が胃もたれしそうなんだけど」

「え? あ、あれですか。このなんとも言えない香りがダメなんですか。分かります、あたしもピクルスとか食えないほうの人種なんで。漬物だかなんだか知りませんが、ジャンクフードなんだからジャンクで良いじゃないですか。いえ、レタスは大歓迎ですけど」

「単なる我儘じゃないそれ……」

「いいーえ! これは日本の国民調査によって出された統計ですよ先輩。『ピクルスは必要か否か』という質問に対して、約八割の人が『いらない』と答えています。美味しくないものには人気は出ない。因果ですね因果」

「絶対嘘でしょう。少なくとも私はピクルスいる派よ」

「先輩……ご愁傷様です。あとごちそうさまです」

「早い……」

 何度見ても慣れない。胃袋が宇宙というよりも、口内が宇宙だろう。どれだけ詰め込めばそんなことになるのか全く理解が出来ない。先日体験した異世界旅行よりもこちらのほうが大いに深い謎に包まれている気がする。

「……で、何の話だったかしら」

 下らないことに頭を使っていても仕方が無い。白椿さんに視線を戻す。

「ああそうでした。なんとですね、黒住がこの夏休みを利用して一週間程度無人島生活を体験させてくれるらしいんですよ。離れ孤島……バカンスですよバカンス!」

「白椿さん。それはバカンスじゃなくてサバイバルって言うのよ。ていうか黒住もどこにそんなコネを作ってるのか、いい加減怪しくなってきたわね」

「なんか知り合いの人が島一個買い取ったらしいですよ」

「どんな知り合いよそれ……」

 黒住に預けられた白椿さんは、良く彼と一緒に行動するようになったらしい。決して懐いているわけではないと思うが、昔と比べれば両極端になったくらいには柔らかくなった。一度学校に黒住のあの黒塗りの車で登校してきた時は思わず叩いてしまったが、仕方ないことだろう。黒住も黒住で、何かと白椿さんに懐柔されている。なんだかんだ言って、お互い気が合うのかもしれない。

「黒住、無駄に資金と権力だけはありますからね。利用しない手は無いですよ」

「般若がいるわ……」

 いっひっひ、と下品に白椿さんは笑う。手元にあったジュースを取って一口飲んだ。どうやらむせたらしい。

「ごほっごほっ……。んまぁしかし、つい数ヶ月前の出来事が嘘みたいですね。先輩の前で号泣したのが今更恥ずかしく思えてきました」

「そうね。本当に夢のようだったわ」

 つい数ヶ月前。

 私は色々な出会いを果たした。白椿菊乃、黒住儀軋、そして灰田純一。

 そして、私は全てをやり切った。灰田純一と手を繋いだあと、あいつから連絡は一切無い。どこかで作業着を着ているかもしれないし、黒塗りの車を乗り回しているかもしれなければ、橋の下で震えているかもしれない。彼が拒んでいるのか単純に見つけられないのか分からないが、せめて生死の確認くらいはしたいものだ。

「ほんと、どこに行ったのやら……」

 白椿さんに聞こえないくらい小さな声で、私は自然と呟いていた。

 空は余計なくらいに青く晴れ渡っている。あの日以来、一度も雨は降っていない。梅雨の時期が過ぎてしまったというのもあるが、どうにも世界は私を祝福したいらしい。正直暑いだけだから、今すぐに止めて欲しかった。

「灰田純一……」

 白椿さんが唐突にその名を口にした。呆けていた私はどこかに灰田の姿が見えたのかと思い、急いで辺りを見回した。しかし、あの目立つ銀色の髪の毛は見当たらない。

「あ、いえいえ。違うんです。あたし、結局彼と一度も話さなかったなぁって思いまして」

「確かに。今度あいつを見つけたら紹介してあげるわ」

「ははっ、凄く厄介な感じがしますね。心の準備はしておきましょう」

 昔だったら考えられない。私が灰田をほかの人に紹介するだって。自分で言ってて笑ってしまう。実は、今この時が夢なんじゃないだろうか。まだ私はあの壊れた世界にいて、灰田と口論を交わしてるのかもしれない。そう考えると、幾分か灰田を近くに感じることが出来た。

「……先輩。人と、繋がれるっていうのはとても素晴らしいことですよね」

「急に何? そりゃ良いことでしょう。それとも性的な意味で?」

「そんなセクハラ発言求めてませんよあたしは! その、なんていうか……いつまでも、一緒にいられるっていうことですよ」

 赤面することも無かったので、きっと良い意味で言ったのだろう。

「あー、あたしもそういう人欲しいなー」

 なんだか棒読みで白椿さんが物欲しそうに言った。ちらちらとこちらを盗み見ているのは気のせいではないだろう。

「私がなってあげてもいいわよ?」

「え? マジっすか!」

「勿論冗談よ」

「うわっ、今の結構ショック受けましたよあたし。一瞬涙腺緩みましたもん」

「白椿さんにも良い人見つかるわよ。……と、私も人のこと言ってられないんだけどね……」

「あーあ、あたしたちの中でそういう幸せモンは一人だけですか。悔しいですねー」

「一人? 誰?」

「んにゃ、なんでもありませんよ。それはそうと、無人島の件ですけど……――」

 あの日、降っていた雨が、誰かさんの涙だとすれば、こうして雨が降らないのも良いかな、と私は思った。

 きっとまた、誰かが雨を降らす。その日まで、どうかこの平穏が続きますように。

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