プロローグ
私がその本を見つけたのは、彼があまりにも寂しそうだったからだ。その本には貸し出し記録がついていなかった。そもそも、発行年月も作者も記載されていない本だ。図書館の所有物なのかどうかも分からない。それでも私はそれに強烈に惹かれて、次の瞬間には本の貸し出し記録に初めて名前を載せることになる。
本のタイトルは『こわれたにんげんの、こわれたせかい』。もうかなりの年月が経っている事がカバーの手触りやページの黄ばみで分かる。しかしその実、ページの耳には人の指紋らしきものは見当たらない。年月だけ経って、ほとんど誰にも読まれなかったのだろう。そう思うと、なんだか妙な愛しさも湧いてきた。千年の約束を果たしに来た想い人が会いにやってきてくれたようだ。とは言え、別に嬉しくもなんともない。
「――彼女には願いがあった。けれどもその夢は彼女の住む世界では叶わない夢だから、彼女の住みやすい世界を求めた……」
第一文目はそんな文章から始まっていた。なんだかとても不思議な始まり方をする本だと思った。そして同時に、この物語はきっと面白くは無いんだろうと悟った。読んでも何の特にもならないし、きっと娯楽の役にも立ちはしない。ただ、私は漠然とこの物語を読みきらなければならない。そんな気がしていた。
なんて皮肉なタイトルなんだろうか。この世界は徹底的に壊れている。誰にもその壊れた部分が分からないという点で、救いようの無いくらいに狂っている。世界の誰かが救いを求めてもそれに気付くのは一握りどころか針先に乗せられる程度の数しかおらず、世界の誰かが苦しんでいてもそれを理解することは動物の言語を理解するくらいに難しい。何もかもが不平等で区別され、何もかもが違うもの。そんな世界に、私は生きている。
出来ることなら引っ越してやりたいとも思う。私の年月は着実にこの詰まらない世界で消費されていって、いつか無くなっていく。それならば違う世界にでも旅立って、例えばサバイバルとかして命の危機を感じながら過ごしていったほうが有意義なんじゃないんだろうか。
そう思っても、どうせこの世界から抜け出すことは出来ない。いや、別にそこまで現状を打開したいなんて思ってもいない。普通に両親の手によって育てられて、普通に友達と遊んだりして、普通に大人になっていく。それでも良いとも思う。
だから、この本を手に取ったことは少しだけ後悔した。何か、別の世界への扉のような気がしたからだ。
――異常。
そんな誇張表現はどうだろう。私を引きずり込むには、十分だと思う。
四月。私は学年を二年に上げ、新しい学園生活のスタートを切った。その初日にこんな訳の分からないオカルト染みた本を手にとってしまうなんて、酷く損をした気分だった。
ただ、なんとなくだけど、こういうもの悪くないなんて、心にも無いことを思ったりした。