風の大精霊・ゲイル
ロヴェルとヴェントスがお互い睨み合う場に、オリジンの場違いな声が響いた。
「ああ、そうだったわ。ヴィントがね、あなたを竜の子の管理から引きずり下ろして下さいですって。だから変わりの子はいるかしら?」
「なっ……!」
(母様ーー!)
いきなり笑顔でとんでもない爆弾を投下するオリジンに、エレンはヒエッと変な声が出た。
ヴェントスとその後ろに控える精霊達も寝耳に水だったようで、一瞬で青ざめていた。
「お前達の返答次第では考えないこともない。ちゃんと話せよ?」
ニヤリと笑いながらロヴェルが足を組む。その隣に座っていたオリジンも、ロヴェルの腕に縋り付いていてヴェントスを見てにっこりと笑っていた。
一気にこの場を支配した二人に、エレンはただただ感服する。
苦虫を噛みつぶしたような顔をしているヴェントスの顔色は悪い。眉間の皺が五割は増した気がした。
「先ずは何があったか話して貰おうか」
「……我々は、いつも通りあの御方の……」
それはいつもの光景、いつも通りの報告、いつもの流れ。
代わり映えのしない報告をただただまとめ、上に報告するという毎日を送っていたある日、風の竜が急に慌てた様子で神殿へと戻ってきたという。
「その日の風上様は、何かあったのか慌ててこちらへ戻られたのです」
ヴェントスは風の竜を「風上様」と呼んでいるらしい。色々呼び方があるようで、エレンは純粋な疑問に駆られて首を傾げた。
「慌てていた?」
とりあえず疑問は脇に置いといて、エレンは集中した。
「風上様はふらりと精霊界を回り、そして時に人間界へと向かわれます。我々はご帰還なされた時に情報をまとめ、そのご報告を上の方へしておりました」
「う~ん、いつも通りねぇ」
この「上の方」というのは霊牙のホーゼ、シュトゥ、ヴィルベルという精霊達だ。そこからヴィント、オリジンへと情報が流れていく。
緊急の時だけ直接オリジンに念話が飛んでくるそうだが、今回の件は直接ヴェントスがヴィントへ念話で報告していた。
「暴れていたというのはいつですか?」
「慌てて戻られた直後で……昨日……いえ、もう一昨日ですね」
「ヴィントに連絡したのは風の竜が去って少し後ですか?」
「……はい」
「どう暴れたのです? 神殿を破壊するような暴れ方ですか?」
「戻られてすぐ、また外へ出ようとなさったので、どうしたのかと側仕えの精霊達が問おうとして……そのまま尾で弾き飛ばされたと聞いております。そのまま、空へと飛び去って行かれたのです」
「暴れたと聞いていたが、神殿を破壊するほどではなかったと?」
ロヴェルが追加で付け足すとヴェントスは頷いた。
神殿に崩れた形跡がなかったのはそのためなのだろう。
「その弾き飛ばされた精霊達は大丈夫なのですか?」
「ええ。幸いにも軽傷で済みました」
「風の竜は飛び去る際に変な言葉を残したというが、それは誰が聞いたんだ?」
「…………」
ヴェントスが後ろにいた精霊の顔をちらりと見る。その視線の先にいた精霊は青白い顔をして震えていた。
側仕えの精霊の一人らしい。竜の一族の末の者だとヴェントスが紹介する。
緑の長い髪をしたその精霊は、まだ幼い印象を受けた。見た目の年はガディエルと変わらない。
「貴女は?」
「あ、あ……わたくしは、その……」
怯えている精霊に、エレンはニコッと笑った。
「貴女のお名前は何と言うんですか?」
「ひ、姫様……わたくしは、……」
周りをキョロキョロと見回して、何かに絶望した顔をした精霊は、わっと泣き出した。突然の出来事にエレン達は驚く。
「えっ、えっ、どうし……」
「そいつを外につまみ出せ!」
急に怒りだしたヴェントスにエレンは硬直した。隣にいた精霊が泣いた精霊を連れて転移してあっという間に消えてしまう。
この出来事に、エレン達はただただ呆気にとられた。
「誰が外に出していいと許可した?」
ロヴェルがヴェントスを睨んで問い詰める。今質問しているのはエレンであって、勝手に命令していい立場ではない。
ロヴェルに睨まれたヴェントスは、ぐっ……と言葉に詰まった。
「わたくし達があの子に聞いていたのよ? どうしてヴェントスが勝手をするの?」
これにはオリジンも同様にぷりぷりと怒る。それもそのはずで、話が全く進まないのだ。
何か話されては困ることでもあるのだろうかと勘ぐらずにはいられない。
(多分、あの子は何かを知っている。でもあの様子だと、ここにいる人達はヴェントスに口止めされている……?)
彼女が話す前に、周囲をキョロキョロと見回していた行動が気になった。どうしていいか分からないまま、許可が欲しいと思っていたようなそぶりだ。
しかし、黙り込まれてしまえば事態は進まず、膠着したままだ。
(話す気が無い人達は放っておいて、別の人に事情を聞いた方が……)
そんな事をエレンが考えているまさにその時、一面ガラス張りの窓から、『ビッターンッ』という激しい音がした。
「えっ?」
その場にいた一同が一斉にそちらに視線を向けると、凄い形相をした真っ白い毛むくじゃらのお年寄りがガラス窓にへばりついていた。
『この陰険竜メガネ野郎がァーーーー!』
ガラスの向こう側からヴェントスに向けられる罵声に、エレン達はただ呆然となる。そんな中、後ろで控えていたヴァンが「あっ」と声を上げた。
「お爺殿……」
「えっ?」
「はあ?」
エレンとロヴェルがすっとんきょうな声を上げると同時に、へばりついたお年寄りの脳天に背後から怒りの声と共に拳が落とされた。
『こんのクソ親父がーー! 勝手に暴走すんじゃねぇ!!』
アウストルの罵声と地響きが辺りに轟く。
エレンはたっぷり数秒硬直した後、ロヴェルを見る。すると同じような表情をしていたロヴェルと目が合った。
そしてエレンとロヴェルは今度はヴァンに視線を移すと、頭痛をこらえるかのように頭を抱えて俯くヴァンを目撃する。
「チッ……野蛮な獣の分際で……」
ヴェントスの微かな呟きが聞こえたらしいヴァンの祖父は、殴られた痛みなどない様子でバッと顔を上げ、怒りの形相をしたままヴェントスの目の前に転移して現れた。
「貴様、かの御方を逃しておいてなんという頭の高さかッ!」
「私は女王と話しているのです。野蛮な獣はお呼びではない。そのまま脳天をド突かれて魔素に還れば良いものを」
「カーッ! ペッペッ! 自分の失態を隠そうとしてこの陰険メガネめ!」
悪口のオンパレードだ。
軽くイラッとしたエレンは、二人の間にパァン!と小さな雷を一つ落とした。
ビクリと震え、硬直した二人は恐る恐るエレンを見た。
「今は私達が話しているんです。喧嘩は後にして下さい」
エレンはにっこり笑っているが、何かを感じ取ったのか、二人して青ざめる。さらにその後ろにいた精霊達も真っ青になっていた。
「んもう~困った子達ね。エレンちゃん、この子はあーちゃんのとーさまでゲイルという名前なの。ヴァンのじいじね!」
「我のお爺殿ですぞ……」
ゲイルと紹介された精霊を見れば、一言で言えば筋肉隆々の毛むくじゃら。
白い眉毛に白いヒゲ。顔の部分だけはクリスマスで着用される赤いとんがり帽子が似合いそうな聖人のようだ。
「この人、ヴァン君のじいじ?」
エレンが首をこてんと傾げると、ゲイルは何かに打ち抜かれたような顔をした。
「ファーーーー! これが噂の姫さんかーー! かわええのう!」
「チッ、クソ親父落ち着け!」
エレンに縋り付こうとするゲイルをアウストルが慌てて止める。その止め方はちょっと大丈夫かと言いたくなる光景で、髪の毛をむんずと摑み、後ろに引っ張っていた。
まるで飛びつこうとするペットのリードを引っ張る飼い主のようだ。
エレンを庇うようにロヴェルとガディエルとヴァンが前に出た。
「まてまて、どこかで見た光景だな!」
ロヴェルが昔の出来事を思い出し、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「お爺殿は子供好きなのですぞ……」
呆れたヴァンが溜息交じりに言う。
その様子から、小さな頃から苦労していたのが伺えた。
「ファアアアア! ワシのヴァンたーーん!!」
ファンサービスというファンサを求めるファンのように、ヴァンを見つけてブンブンと手を振るゲイル。
「…………」
あまりに濃い人物の登場に、話が全く進んでいないというのにすでに疲れた一同だった。