変化を司る精霊
ヴィントは眼鏡の縁をくいっと持ち上げ、事の経緯を話し始めた。
「獣の姿の精霊は、先ずは獣の姿で産まれます。これはオリジン様が創造なされた際に摂理として、歪みを生まないようにと制定されておりました」
確かにオリジンはどちらの姿でも創造できる。だが、さらにその次の子となると摂理を定着させておかなければ事故が起き、歪みが生じてしまう可能性があった。
というのも、最初こそ力の調節が上手くできずに失敗ばかりしていたのだ。
自分で創造するならまだしも、あずかり知らぬ所で歪みが生じ、実が腐り周囲に影響してしまっては被害は広がってしまうばかり。
だが別の制約がそれらを覆す事件が起きてしまった。
「私の一族も卵で産まれます。ある日、その卵から孵ったのは竜ではなく、人の姿をした赤子でした」
それが私です、と続けるヴィントに、エレン達は黙って頷いた。
「過去に例がない珍事に周囲は混乱したそうです。ただ、力を持つ精霊は総じて人の姿が取れる。生まれながら私は力がとても強かったため、そのような事態になってしまったのだと判断されました。両親はそれはもう大喜びしたのです」
精霊は力の強さで優劣を決める所がある。単純にヒエラルキーに忠実だからだ。
「ですが、私は一応風の精霊ではありますが、風自体の力を司ってはおりませんでした……」
これには事情を知らなかったエレンも驚いた。
精霊は一つ、必ず何かしら司っている力がある。それは産まれて数日しないと発現しないのだが、その司っているものから子の名前が決められる。
ヴィントという名は風の意味を持つのに、風自体を司っていないとはどういう事なのだろうか?
「え……では何を司っていらっしゃるのですか?」
ガディエルの質問に、ヴィントはまた眼鏡の縁をクイッと上げた。
「私は『変化』を司っています」
「変化……?」
「ヴィントは色んなものに変身できるし力を変えたりできるのよぉ~。風を司っていないと言いつつも、基の性質は風に変わりはなかったの。というより、その基である風を媒体にして器用に色んな事ができちゃったのよね。そういう所はエレンちゃんと似てるかしら?」
「え……」
「そんなわけで私、無駄に器用でして。一応獣化もできるんですが、竜の一族なので竜がいいかと思って竜になってますけど別に竜にこだわらなくてもいいんですよね竜」
「こだわってますね……」
「うん。こだわってる……」
ガディエルとエレンが呆れた。嫌々竜になっているのか、それともこだわっているのか分からない所だが、とりあえず柵みではあるのだろう。
「父の前で白虎の姿になった時はそれはもう面白かったですね」
「お前そんなこともできるのか?」
ロヴェルが純粋に驚くが、アウストルとヴァンはもっと驚いていた。「えっ、きも……」とアウストルがボソリと呟いたので、そっちの驚きかとエレンは苦笑した。
「まあ簡単に言いますと、自身の風の力を変化させて別の属性に変えられるんです」
「だからヴィントが宰相やってるのよ~。こんな子、なかなかいないもの」
「まあ確かにそんな奴がいたら便利だな」
「ロヴェル様、便利って言わないで下さい」
「でもそのせいで余計に竜の子達が勘違いしちゃったのよね~」
オリジンがそう言うと、ヴィントは溜息を吐いた。
「勘違いとはまさか……」
エレンが恐る恐る聞くと、オリジンは頷いた。そしてヴィントが続ける。
「私が女王オリジンの片腕に抜擢されてしまってから我が一族は欲をかきまして。元々、白虎が担当していた風の竜の管理も我々がやるべきだと主張しはじめたのです。そのせいで荒れに荒れました」
「……そんな事もあったな」
アウストルは覚えているらしい。ヴァンは知らないようで、ここ最近の話ではないようだ。
「えっと……その後、竜の一族が管理するようになったということは……」
エレンの言葉を否定するように、アウストルが首を横に振った。
「白虎が竜との戦いに負けたからじゃない。白虎の一族の一人が禁忌を犯したんだ。アタシのダチ……この背中の剣になっちまった奴だよ」
アウストルの言葉にエレンとガディエルだけでなく、ヴァンも驚いた。
*
当時、激化する竜と白虎の戦いにはオリジンも頭を悩ませていた。
白虎に竜の管理を命令した大本を束ねる風の大精霊は、旅が好きでふらりと消えてしまって、時折姿を現す程度。
オリジンはその大精霊を呼び戻して事態を収拾させるようにと促したが、空中で戦う分には地上の者達にたいした影響が無いだろうと言われてしまった。
地表では風が強いと思うくらいで特に問題がなかったのだ。争いが次第に嵐に発展しようとも水の精霊が消してしまうので放置されてしまった。
『今止めても、結局は争い続けるでしょう。無駄ですよ。好きにやらせてしまった方がいい』
女王がしゃしゃり出ればまたどちらかが調子に乗るかもしれない。
双女神に相談しても、放置していいと言われてしまう始末。
後に問題となったのは、力のぶつかり合いによって産まれた精霊が多くなりすぎた事だった。
これは後になって他の精霊達が止めておくべきだったかもしれないと反省した程度だった。
「争いが起きると、何が一番先に犠牲になると思う? 力の弱い奴と逃げ遅れる子供が真っ先に狙われるんだよ。犠牲になったのはまだ小さかったダチの妹。それに正気を失ったアタシのダチが、原因は風の竜だと言い出した……」
「創世の竜は初代大精霊の次に偉い御方。世界を管理するために産まれた竜なのです。そのような御方を害そうとすれば……世界の制約に逆らったとされ、処罰されるのは当然……」
「前に話した事があったろ? これが大精霊のなれの果てさ」
少しばかり悲しそうな顔をしたアウストルは、自身の剣を背中から外し、目の前に掲げる。
「一応生きちゃいるが、二度と話さないしアタシの声も届かない……でも、こいつは剣になったとしても最後の最後で自身の意思と力で、周囲を焼け野原に変えてでも奴らの意識を逸らしてくれたんだ」
『その剣を使うと周囲は焼け野原になる』
そんな話をしていたのを思い出したエレンは、黙ってその剣を見つめた。
「すまねえ、しんみりしちまったな。まあ、というわけでアタシがこいつを管理してんだよ」
「あーちゃんが適任だったの」
「ああ、別の奴が持ったら殴ってでも取り返すぜ」
グッと握りこぶしを作るアウストルが頼もしい。
「扱いが難しい剣なのだけど、その剣もあーちゃんが分かるみたいで、大人しくなってくれるの」
「そうだったんですね……」
管理を任されていた白虎の一族が風の竜に牙を剥いた。だから、白虎の一族は管理から外されてしまったのだ。
「ですが、我が一族は余計に調子に乗りました。自身の行いを省みず、白虎の一族を虐げるようになったのです」
「それはもう……」
「ええ。加えて私という存在もいますからね。抵抗する白虎とのさらなる争いの始まりです。本当に……困ったものです」
「まあ、アタシもその困った原因の一つなんだけどな」
「え? アウストルがですか?」
困る原因の一つにアウストルが加わるということは……。
「アウストルが竜の一族を殴り飛ばしたとかですか?」
思わずパワー! な展開を想像して言ってみたが、アウストルは苦笑した。
「そんな可愛いものじゃねーよ。チビを産んだからだよ」
そう言ってアウストルはヴァンに向かって顎をしゃくった。
「あ~……我が産まれた原因は父上と母上なので、責任転嫁はやめて頂きたいですな」
「そりゃそうか」
「そうなんです! そんないがみ合いの中、私はアウストルという運命と出会ったのですよ!!」
「あ……霊牙の総長戦?」
「そうです。我が一族はそちらの座も欲しまして。と言いますか、詳しくお話しますと宰相のお話が出た時と霊牙戦がほぼ同時期でしたね。正直両方兼任はできませんし、面倒なので断る口実に適当にやればいいかと思ってたのですが……ほら、私器用でしょう?」
「うっかり登り詰めてしまったと……」
「そうなんです。でも、最後の最後でアウストルと出会ってしまった……本当に運命でした」
ポッと顔を赤らめるヴィントを生ぬるい目で見つめるエレンの横で、「霊牙?」とガディエルは首を傾げていた。
それに気付いたエレンがガディエルに説明する。
「霊牙っていうのはテンバール国でいう騎士団みたいな人達なの。その隊長を総長って呼んでるんだよ」
「呼び方が違うんだね」
「うん。その総長を決める決勝戦でヴィントとアウストルが戦ったんだけど……」
「私がそこでアウストルに一目ぼれをしたのでその場で求婚しました」
「本当にお前の常識はどうなっているんだ?」
ロヴェルが呆れた顔でそう言った。
「母上が父上を殴り飛ばして勝ったと聞いております」
「愛の一撃でした」
「おいやめろ」
この辺りになるとガディエルの目は、昔のエレンと同じくらんらんに輝いていた。
この総長戦、ヴィントに求婚されたアウストルは反射的に剣を抜いてしまった。この時に山一つ更地になってしまったと教えると、ガディエルは目を見開いて驚いていた。
「大変興味深いお話ですね」
「ね、すごいよね!」
エレンはこの話が大好きだ。「愛ですね!」とよく語っているほどだった。
その後、無事にアウストルが総長として認められるのだが、ならば宰相をすれば城で一緒にいられるじゃない! と正式に宰相の話を受けたと聞いて、ロヴェルが「うわあ…」という顔をしていた。
「で、私がアウストルに求婚したら父がそれはもう面白いことになりまして」
「アッ」
察し、という副音声が流れた気がした。
「さらに産まれた子が白虎だったのでもっと面白いことになりまして」
「…………」
「これに便乗して今度は白虎の一族の長が立ち上がりまして」
またまたバチッバチしています。とヴィントが笑っている。
「だからヴァン君が持ち上げられているんだね……」
「そうなんです。だから未だに険悪なんですよ~。特にうちの父はヴァンたんを毛嫌いしていますので、どうか注意して頂きたいのです。ヴァンたんを! 守ってください!!」
それはもう力説しながら懇願するヴィントに、ヴァンは「結構ですぞ」と辛辣に返している。
「これは……間違いなく揉めます…ね」
確かにこれは事前に知っておかないと大変なことになる。事情を知らず、慌てている間に戦いが始まっては遅いのだ。
「あらあら。だからわたくしも同行するのよぉ~」
オリジンがあっけらかんとして言った。
「さすが母様! 権力に固執する相手には権力をぶつけるんですね!?」
「うふふ、だってその方が早いでしょう? エレンちゃん、もっと「さすがかーさま!」って言って頂戴! ついでにクッキー一枚追加も忘れずにね!」
「最初に多めにって言ってましたよね? 追加はダメです」
「いや~ん!」
褒められたと思ったら脊髄反射のごとくクッキー追加を強請るオリジンにエレンはジト目で返した。
「まあまあ。オーリ、俺のをあげるよ」
「本当!?」
オリジンの隣に座っていたロヴェルが自分の分のクッキーを手に持ち、オリジンにあ~んしている。これにオリジンは大喜びだ。
精霊城はいつも通りの和やかな風景で満たされているが、それはオリジンを始めとするロヴェル達が必死に守ってきたからこその平穏なのだ。
精霊界だからと安心するのはダメだとエレンは気持ちを改めた。