風の大精霊・ウィン
本日31日は2回分の更新となります。
10:00と18:00の更新です。
どうぞよろしくお願いいたします。
「ウィ、ン……様!?」
ヴェントスは抵抗を試みるが、ビクともしない。
先ほどのような蹂躙が嘘のように形勢は逆転していた。
「なぜ、なぜ今になって……!?」
「今か……そうだな。我もよもやここまで酷くなっているとは思わなかったぞ」
「酷いですと!? 我は主様の命により生まれたのですぞ……!」
「確かにそうだが、お前は我の期待に値しなかった」
「!?」
「その傲慢な物言いと思考。どちらが上で下かの関係でしか物差しで測れぬ愚か者よ」
「な……!」
「ヴァリマリアにお前を充てがったら嫌がられたのでな。改めてヴァリマリアの要望を聞き、そこから新たに造ったのが白虎よ」
「なん、ですと!?」
「お前達は我が最初に造った失敗作ということだ。白虎を造った時に早々に処分するべきだった……無駄に血気だけは盛んで困ったものよ」
「ぐあああああ!」
光る茨がヴェントスの身体に食い込み、じわじわと浸食していく。茨に触れている部分が身体ごと金属のようにパキパキと音を立てて硬化していくのが分かった。
「精霊の断罪が始まるのね……」
オリジンが悲しそうに言う。
アウストルの剣もまた、制約に逆らったとされて断罪を受けている。今、まさにその瞬間を迎えようとしていた。
「なぜ……なぜ……ではなぜ、我々は存在し続けたのですか!?」
「……」
「最初に否定されたならば、今までの我らの存在意義はどこにあったというのです! 貴方様が生み出したというのに!!」
ヴェントスの悲痛な叫びが辺りに木霊する。
(……え?)
エレンはそこで、ようやく何かに気付いた気がした。
「待って下さい!」
「エレンちゃん? どうしたの?」
「ヴェントスのしたことは赦されることではありません。でもその想いを無視して、精霊を道具みたいに決めつけているのはなぜですか!?」
「エレン……?」
エレンの言葉に、ウインが顔だけ振り向いた。
「お初にお目にかかる、新たな女神よ。その答えならば、我らはそもそも女王の道具として生まれた存在。そしてそれこそが我らの意義だからだ」
ウィンの言葉に、エレンとロヴェルとガディエルが驚いた。
これだ。この価値観こそが拗れている原因なのだ。
「違う! 精霊達は私達の家族で、誰一人として道具なんかじゃないッ!!」
「……女神?」
エレンの悲痛な叫びに、ウィン達が驚いた顔をした。
「母様は、みんなの事を等しく『子』と呼ぶわ。それは家族としてであって……道具じゃない!!」
「…………?」
エレンの言葉が予想外だったのか、ウィンとヴェントスは虚を突かれた顔をしていた。
「母様は手伝って欲しくて貴方達を創造したの! 家族として! 一緒にこの世界を管理したかったの!!」
エレンの叫びに、今度はウィンを始めとする精霊達の目が驚きで見開いていた。
「ヴェントスが欲しかったのは、命令じゃなくて親である貴方の褒め言葉よ!」
「……我の、褒め言葉?」
「貴方はヴェントス……竜の精霊を、創世の竜の補佐として創造している。それは貴方がそう命令したから。ヴェントスにとっての「上」は創世の竜ではなくて、親である貴方なの!」
「…………」
「貴方から命令されたから補佐としての仕事を全うしていたけれど、同じ竜同士だもの。恐らくだけど……種族が同じであるなら、どうしても自分の立場と比較してしまうの……」
「そうだ……ッ! なぜ同じ竜なのに、このような出来損ないが初代としてウィン様に扱われるのだ!!」
「ヴェントス……」
「細かい作業もできぬ、空を飛んで聞くしかできぬ、なぜ……なぜ!! それなのに後から生まれた獣を充てがうなどど到底赦されぬ……!!」
ヴェントスの叫びは、次第に弱くなっていった。
「なぜ……我らよりもこの竜を大事になさるのだ……」
ヴェントスの慟哭を聞いて、周囲は黙った。
「ヴェントス……それは驕りというものだわ。他者よりも自分が優れていて当然、だからこそ自分がウィンに賞賛されて当然……そう思ったのね」
「だが、それが事実だろう! この出来損ないと我を比べるな!!」
「でも実際は違った。ヴァリマリアは世界にとって重要視され、尚かつ貴方を嫌がり、次に生まれた白虎を気に入ってしまった。そのせいで貴方はウィンから使えないと評価され……あなたの存在意義が揺らいだのね」
エレンの言葉に図星だったのか、ヴェントスはギリリと歯を噛みしめた。
「あなたのそれは、他種族を蹴散らしてまで取り返したかったものなの? その行為のせいで、周囲がどんな評価を下すのか気にしたことがあった? 己が上だと見せつけたはずなのに……周囲はどうだった?」
「…………なぜ……なぜ我らを評価せなんだ……」
「あなたはヴァリマリアを自分を測らせるための道具にしたわ。でも、周囲もヴァリマリアの道具としか貴方を見てはいなかった……。お互い相手を思いやれないなんて……ただ悲しいだけだわ」
「女神よ、それは……」
ウィンが何かを言おうとしたが、エレンは遮った。
「ねえ、ウィン」
「む……?」
「これらは全て、自分で生み出した子を道具としての価値しか持たせなかったせいでもあると思わない?」
エレンはウィンに、にっこりと微笑んだ。
エレンの微笑みに面食らいただただ戸惑うウィンだったが、オリジンを始め、ロヴェルとガディエルが慌てた。
「エ、エレン……怒っているのは分かったからちょっと落ち着こうか……?」
急に慌てたロヴェルの言葉を聞いて、ウィンは戸惑いが隠せず首を傾げた。
「こやつがこうなったのは、我のせいでもあると?」
「そうね」
「しかし、我らは使命こそが全て……」
「ウィン。貴方、そんな事言っているけれど、途中で投げ出して世界各地に遊びに行ったんですって?」
「む……」
「竜と白虎が争っている時、母様は事態を収拾するように命じたわよね? でも貴方は気が済むまでやらせておけばいいと言ったそうね」
「むむ……」
「道具だのなんだの自分で言いながら他に押し付けておいて、自分だけを優先するなんてちゃっかりしているんじゃないかしら?」
「め、女神……」
エレンがとんでもなく怒っている事に、ウィンもようやく理解したようだ。
さすがにまずいと感じたのか、ウィンは少し青ざめている。
「貴方にヴェントスを断罪する資格はありません。ヴェントスをこちらへ渡しなさい」
「…………」
さすがに女神からの命令は断れないと悟ったのか、すんなりと拘束されたままのヴェントスをこちらへと寄こす。
宙に浮いたまま、ふわりとエレンの側に近付くが、エレンを見たヴェントスの顔が引きつったのが分かった。
「お待ちくださいお嬢様……そのクソ野郎は私の手で八つ裂きにする権利を頂けないでしょうか?」
急に割って入ったのはヴィントだった。
ウィンを捕まえにいくようにお願いしていたのだが、一緒にこちらに飛んできてアウストルとヴァンの現状を目の当たりにしたのだろう。
アウストルは剣を扱う反動なのか、満身創痍で特に両手が血まみれの状態だったのだ。
ヴィントの目の殺意に気付いたヴェントスは、声にならない叫びを上げた。
「なりません」
「お嬢様!」
「ダメです」
「そこをどうか! それは私の身内でもあります。責任を持って八つ裂きに……」
「ヴィント」
「う……」
エレンに静かに睨まれて、ヴィントもたじろいだ。
「ヴィント、エレンちゃんがこんなに怒っちゃったらもうダメよ。お下がりなさいな」
「うう……」
オリジンにも言われ、悔しそうなヴィントがいた。肩で息をしているアウストルを見て、血が滲む程に拳を握りしめて我慢しようとしている。
改めてエレンはヴェントスを見つめ、そしてガディエルに向き直ってお願いした。
「ガディエル、手伝ってくれる?」
エレンが何をしようとしているのか分かったガディエルは「もちろんだよ」と言って頷いた。
「ヴェントス、ご覚悟ください」
エレンとガディエルから光が放たれた。
神々しく光るエレンとガディエルの力に圧倒され、ヴェントスが声にならない叫びを上げる。
何が行われるかも未知数の事態に、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
『その傲慢を消し去りましょう』
『知性を凌駕する闘争心を消し去ろう』
『その驕りを消し去りましょう』
『慈しむ心が現れるまで卑劣を消し去ろう』
『暴力となる力を消し去りましょう』
『親しみが表れるように疎外心を消し去ろう』
エレンとガディエルが交互に言葉を重ねていく。
エレンの女神としての力は『浄化』だ。
エレンとガディエルの言葉を受ける度、死の風を受けてボロボロになったヴェントスの身体が光の粒となって消えていく。
またそれに比例するように、ヴェントスの身体が小さくなっていった。
「ああ、ああ……嫌だ、我の力が抜けていく!? なんだこれは……!」
エレンとガディエルはお互いの手を取り合い、ヴェントスに手の平を向け、浄化の力を放つ。
「ぐああああああああ!!」
辺り一面、ヴェントスの悲鳴とまばゆい光に包まれた。
それは一瞬のようでもあり、そして長い時間にも感じた。
ふと、光が弱まった事に気付き、目を開けたウィンが最初に見た物体に驚いた声を上げた。
「こ、これは……」
ヴェントスを縛り付けていた風の茨からするりと抜け出した物体。
『ギィイ!』
パタパタと羽音がして、ウィンの目の前に飛んでくる。一同の視線を浴びた小さな竜が、また『ギィイ!』と産声を上げて鳴いていた。
*
エレンとガディエルは、お互いの顔を見合わせて頷き合った。
「無事にできてよかった……」
「エレン、頑張ったね」
「うん。手伝ってくれてありがとう……でも……」
悲痛な面持ちでエレンはリュトへと顔を向ける。
そこには困惑したままのヴァリマリアと、リュトへ治療を続けていたクリーレンとレーベンがいた。
「ハッ……リュト、リュト!」
あまりの事に呆然としていたが、ハッと我に返ったヴァリマリアがリュトの側へ駈け寄った。
「かざ、かみ……さま……」
「リュト、どうして我を庇ったりしたのじゃ!」
「もうし、わけ……」
「謝って欲しくなどない!」
「…………」
「お願いじゃ、リュトを助けてやってくれ!」
ヴァリマリアがレーベンとクリーレンに懇願するが、生命を司るレーベンが首を横に振った。
「力がもう……」
精霊が死せる理由、それは大きく分けて三つある。
老衰、衰弱、そして傷などの外部要因などで力となる魔素が身体からこぼれ落ちることによる死だ。
「何でじゃ! 何でじゃ……!!」
狼狽するヴァリマリアはリュトに縋り付く。
リュトの身体からは、ふわふわと力が漏れ出し、空へと消えていくのが分かった。
「かざ……か、み、さ、……」
「喋ったらいかん!」
「我、ら、風上、さまに、……もうしわけ、……」
「なんで、なんでお主が謝る必要がある……! 悪いのは彼奴じゃろう!」
「……わた、く、しは……かざ、かみさまの……お役に……たちた、かった……」
リュトの予想外の言葉に、ヴァリマリアは驚きのあまりヒュッと息を呑む。
硬直したヴァリマリアの横にオリジンがスッと座り、リュトの手を握った。
「リュトちゃん。わたくしの子の一人として生まれてきてくれてありがとう。ヴァリちゃんの側にいてくれてありがとう。……またいつか、わたくしの下へ降りてきてくれるかしら?」
「じょ、お……さま……」
「ヴァリちゃん、飛び立つリュトちゃんをきちんと送り出してあげて頂戴」
その姿は母が子に諭すようであった。
「…………」
ぎゅっと一度目を瞑ったヴァリマリアは、オリジンと繋がったリュトの手をその上から両手でそっと包んだ。
「……任務から帰ったあと、庭で羽を休めていると……いつも我の周囲には優しい風が吹いておった」
静かに始まるヴァリマリアの言葉に、誰もが口を噤んだ。
「こんな風など……忌々しいと思いながらも、これが任務だと我を殺していた。だが、どうしてもお前達を憎めなかった……」
一度、鼻を啜り、ぼたぼたと涙をこぼしながら続けた。
「気遣うお前の言葉がいつも優しくて……他の竜達とは違い、そのせいで疎まれておったお前がどうしても気がかりで……何度も逃げようとしては迷って……あの庭に帰ったのだ……」
「かざ、……か、……さま……」
「お前がいたから、我は……我の心は思いのほか安らかだったのだと思う。しばしの眠りに誘ってくれるお前の風が、とても心地よかったのだ……」
「…………」
「助けてくれてありがとう、リュト……この、度は……大義であったッ!!」
最後はかすれ、それでも大きな声で言い切ったヴァリマリアに、リュトはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「……ありが…たき、…しあわ……せ……」
ふわりとリュトの全身が光に包まれ、小さな粒が蝶となり上へ上へと舞いながら昇っていく。
それを全員で見守っていると、ふと周囲に優しい風が吹いた。
「リュトオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
空に向かって涙の咆吼が放たれた。