竜の精霊・リュフトヒェン
誤字報告ありがとうございます。
客間に入ると、そこには予想していた通りの光景が広がっていた。
「逃げようなんて考えないことですね……この私が直々に八つ裂きにしてあの男に叩きつけてやりますよ?」
眼鏡の縁をクイッと上げたヴィントが竜の精霊に威圧をかけていた場面に遭遇する。
案の定、竜の精霊は震えて泣いていた。
「何やってんだてめぇはよ」
「ああ! 私の愛しのアウストルとヴァンたん! お帰りなさい!!」
「うぜえ」
「ただいまですぞ……」
いつもの事とはいえ、アウストルが来た途端コロッと態度を変えるヴィントを目の当たりにしたロヴェルとヴァンが呆れている。
「もお~ダメじゃないヴィント。こんなに泣いてちゃ話ができないわ」
オリジンがめっとヴィントを叱るが、本人はどこ吹く風だ。
「私は水鏡で見てましたからね、あの男を!!」
ヴィントの言葉でエレンはその手もあったかと妙な感心をした。
オリジンが同行しているせいか、水鏡で監視してもらうという発想が思いつかなかったとエレンは反省した。
「室内にいる者に関しては声が聞こえないため、父上に監視してもらっておったのです」
どうやらヴァンとヴィントはお互い連携してヴェントスを監視していたようだ。
ヴァンの機転にエレンは喜んだ。
「すごいヴァン君、大義です!」
「有り難きお言葉」
ヴァンはエレンに褒められて嬉しかったようで、耳と尻尾がぴょこんと飛び出た。
「お嬢様、私にも労いのお言葉をかけて下さってもいいんですよ!」
「ヴィントは余計な威圧をしているせいで話が拗れそうで……」
「え? 私何かやっちゃいましたか?」
「やるのはいいが、やり過ぎだな」
竜の精霊は泣きすぎて目は真っ赤に腫れ上がってしまっていた。その痛ましい姿を見てエレンは可哀想に思い、部屋の隅でしゃがみ込んでいる竜の精霊と同じ目線になるようにしゃがんだ。
「無理矢理連れてきてごめんね。どうしてもお話しが聞きたかったの」
「ひっ、ひっ、姫、さま……」
エレンが竜の精霊の頬をそっと包み込むように手を添える。
「……え?」
活性化して傷を治すのではなく、腫れを冷やすように手の周囲の温度を下げると、ひんやりとして気持ち良かったのか、それとも驚いたのか、ピタリと涙が止まっていた。
「大丈夫? 立てる?」
完全とは言いがたいが、ある程度の腫れが引いたところで声をかけた。
気遣うエレンに竜の精霊は目を瞬いていたが、エレンに促されてよろよろと立ち上がった。
周囲の者達の目線が怖いようでまだおどおどとしているが、エレンを見てこくんと頷く。
「じゃあ、ソファーに座って! こっちこっち」
エレンに手を繋がれ、ソファーへと促される。
竜の精霊をソファーの端に座らせ、エレンはその隣に座った。周囲の者達から守るようなその動きに、竜の精霊はエレンをただずっと見つめている。
オリジンとロヴェルがその向かいに座り、ヴァンとアウストルはエレンが座っているソファーの裏に待機している。
ヴィントはオリジンの後ろに立ち、竜の精霊を睨み付けていた。
「ゆっくりでいいから、私達の質問に答えてくれる?」
「…………」
エレンの言葉を聞いて、竜の精霊はどんどん青ざめていった。
「もしかして、言ったらダメとか命令されてる?」
しばらくして、ゆっくりと頷いた。
「分かったわ。じゃあ、私が質問していくから、その通りだったら頷いて。違ったら首を横に振ってくれる?」
こくこくと頷く竜の精霊に、ヴィントが何やら気付いたようだ。
「まさか……」
「ヴィント?」
「貴女、あいつから制約を受けてるんですか?」
ヴィントの言葉に、竜の精霊がこくんと頷いた。
「ヴィント、制約とはなんですか?」
「忌々しいことにですね、創世の竜を管理する四大属性の精霊達は、とある精霊達の力を直に借りる事ができるようになるんです。その内の一人が制約の精霊です」
ヴィント曰く、創世の竜にはその存在や竜が得た情報の漏れを防ぐための処置として、様々な精霊が関わっているらしい。忘却の精霊もその一人だった。
というのも、双女神の眷属達がいる世界自体が、双女神の領域にいるため、基本的にこちらの世界から直接やりとりすることができないようになっている。
そのため、特別に創世の竜を監視している四大属性の大精霊のみ、双女神の眷属と直接やり取りできる権限が与えられていた。
「ああ、そんな子いたわねぇ。最初に嘘をばらまかれた時にあまりに大変になっちゃって、お姉様達が色々と手を貸して下さったの。細かいところまではわたくし知らなくて……ごめんなさいね」
「なるほど。だから創世の竜に関わっている精霊達が双女神の眷属達なんですね」
「そうなの。それにエレンちゃん、人間界で婚約とか結婚式をする時に魔法が刻まれた書物に署名するでしょう?」
「あ、はい」
エレンの記憶にも新しい。ガディエルと婚約する時にラヴィスエルが書記を連れてきて、魔法書に記録したことで初めて婚約という形となった。
「あの魔法書に刻まれる制約を管理している精霊がいるの。それが制約の精霊。ヴァールお姉様の子よ」
「え、あの魔法書は双女神の方々がそれぞれ管理しているとばかり思っていました……」
「やあねえ、エレンちゃん。わたくし達は基本的に一つの属性しか司れないでしょう? 例外があるとすれば、半精霊のロヴェル達と女神であるわたくし達だけ。それでも二つだけなのだけど……」
「そうでした……」
半精霊となったロヴェル自身の力と、オリジンと契約している力で二つ。それはガディエルも当てはまる。
エレン自身も精霊としての力と女神としての力があった。
「物事には役割を担う精霊が必ずいるのよ。といっても、制約の子はかなり……」
「人間界の魔法書にも穴があるはずです。誓った片割れが死んだら無効とかになりませんか?」
「ああ! ありました!」
ロヴェルの弟であるサウヴェルの前妻アリアが、その穴を狙ってサウヴェルの殺害を企んでいたのを思い出す。
「まあ、こうやって制約を施されても、聞かれて頷けるあたりズボラなんですよね」
ヴィントが眼鏡をくいっと持ち上げて言った。
「大方、余計なことを喋るなとでも言われているのでしょう。その余計とは恐らく父にとって都合の悪いこと……と言うわけで、貴女の名は?」
「わた……わた、くし、は……リュフ、ト、ヒェン…と…」
言えた事に驚いている竜の精霊ことリュフトヒェンは、そよ風を意味する名だった。
「リュフト…ヒェ…」
エレンが名を呼ぼうとして噛んでいる。何度か練習して失敗していた。
エレンのその様子が微笑ましかったようで、重かった部屋の空気が和やかになっていった。
「リュト、と……呼ばれ、て、います……」
「リュトですね! ありがとう!」
名前の長い精霊は、よく名を短くすることがある。
ラフィリアの義兄となるヒュームの精霊もアシュトと呼ばれているが、本当の名はフェアシュタントという長い名だ。リュト自身も、短い名を使っているという。
改めて少しずつ話を聞いてみると、リュトはあの側仕えの中でもかなり下っ端で、いいように扱われていつも泣いていたらしい。
このことはリュトを監視していたヴァンも見たことを報告しながら同意する。
リュトを見かけたヴェントスが煩わしいと口にし、余計な事も言わぬようにと制約の精霊にお願いしていたようだ。
「風の竜が逃げた時の事は話せないようになっているのね?」
リュトが頷いた。
「では、質問を変えるね。あなたたち竜の精霊は、風の竜が嫌がることをしていたかしら?」
リュトは少し考えた後、首を横に振った。
コレは恐らくではあるが、自分達の世話は嫌がられているそぶりはなかったという意味だろう。
「風の竜が逃げる際に、あなたたちを尾でなぎ払ったというのは本当?」
リュトがこくんと頷いた。
「そのなぎ払われた中に、貴女はいたかしら?」
リュトが、一瞬泣きそうな顔をしながら、首を勢いよく横に振った。
「やっぱり……」
「エレン、何かわかったのかい?」
ロヴェルの言葉に、エレンは深刻な顔をして頷いた。
「リュト、貴女は風の竜に庇われたのね?」
エレンの言葉に、リュトはわっと泣き出してしまった。




