名を言わぬ理由
一歩前に進み出たエレンは確信の話を聞く前に、先に差し障りのない程度の情報が欲しいと思った。
風の竜の情報に関して、異様なほどに何も出てこないと思ってはいたが、まさか忘却の精霊が関わっていたせいだと誰が分かるだろうか。
ヴィント達も知っているつもりでも忘れさせられていた可能性も出てきた今、情報を整理する目的も含めて、一つずつ聞いた方が良いだろう。
なによりもオリジン自身が新たな情報をくれたのだ。先ほどのように聞いていく内に、他にも色々と出てくるかもしれない。
「先ほど母様が風の竜は女性と仰っていましたが、先ずは竜の見た目を教えて頂けますか? 姿も知らずに探し出すというのはさすがに難しいので……」
『あれから何百年も経っているからのう……当時の姿で良いですかな?』
「はい!」
『そのままのお姿ならば……そうだのう、竜のお姿は大変大きくて偉大でいらっしゃる。昔見た……精霊城くらいはありそうじゃの』
「おっきい!」
『ほっほっほっ。嘘じゃよ』
「えー!?」
『これこれ、若者をからかうのはやめんか』
『すまんの。あまりにも姫さんが可愛らしゅうて。そうじゃのう……表にある切り株に丁度乗れそうかの?』
『そうじゃな、それくらいじゃのう』
「それでも大きい!」
『そうじゃろう、そうじゃろう』
エレンの反応に気をよくした白虎達が笑う。
亭午の庭を見た時にも思ったが、やはり竜の体躯はかなり大きいようだ。表の切り株は五十メートルほどあったので、その姿は想像を絶する。
「じゃあ次は……風の竜は人化できますか?」
『できるぞい』
「その見た目は覚えていますか? 大体でいいんですが……」
数百年前とはいえ、そこから成長していてもおかしくないが、精霊はある程度の歳を取るとほとんど歳を取らなくなる。
創世の竜ならば初代の精霊であるアーク達と近い。数百年前程度なら、昔の見た目そのままの可能性が高いだろう。
「あの子の人化した姿はちょっと不思議なのよねぇ」
「不思議……ですか?」
「ええ。獣の姿で創造したとはいえ、わたくしが生んだ子だもの。え~っと身長は……エレンちゃんくらいだったかしら?」
「……え?」
予想外の言葉にエレンは目を瞬かせた。
現在のエレンは、あれからほんの少し成長したとはいえ、現在百四十センチと少し。
まだまだ小さいと双女神達から力のコントロールの仕方を教わりながら修行している。
身長が近い身近な精霊は、雨の精霊である双子のニーゼルとレーゲンくらいだろうか。
しかし今やあの二人も成長してエレンはとっくに身長を超されているのだが、エレンに似ているタイプというのは希有な精霊かもしれない。
「そういえば、あの子は獣化した姿だけがなぜか大きくなったのよね。本当にとっても不思議」
「…………私と同類なのかと思いましたが、どうやら違うようです」
「え?」
むっすーと頬を膨らませているエレンに、オリジン達は首を傾げて困惑している。
「エレンが珍しい。そんな君も可愛いよ」
ガディエルが微笑みながらエレンの頬をつんつんと指で突いている。
(むむっ……子供っぽいことしちゃった)
ガディエルに指摘されて急に恥ずかしくなってしまった。
エレンは己の両手で頬をマッサージしてほぐし、ふて腐れた顔を戻そうと努力する。
『なんじゃ。姫さんは小さいのが嫌なのかい?』
「……成長が遅いせいで色々問題が出てしまったんで、今急成長中なんです!」
『そのままでも充分かわええのにのう。問題が出てしもうたなら仕方ないのう』
「そう、問題なんです!」
残念そうに言う白虎達にエレンは食い気味に話す。
ゲイルもそうだったが白虎は子供が大好きなようなので、もったいないと思っているのだろう。
自分に身長の話はタブーだったと反省し、エレンは「こほんっ」と咳払いをした。
「次に……風の竜はどういう見た目をしていますか? 髪型、髪色、目の色とか……何か特徴はありますか?」
『ふむ……ヴァリマリア様はかなりのお転婆でのう。髪は伸びてくると自分の爪で切ろうとするもんじゃから、我々が代わりに切っておったのじゃ。竜共にもやらせておったなら髪は短いと思うぞい』
ここでエレンは何かが引っかかった気がした。
(あれ? 前から引っかかってたけど、風の竜って何だか……)
『そうそう。あの御方は緑の竜でな。髪も目も新緑の色じゃて。そういえば風の竜は皆同じ色なのかえ?』
「新緑……」
新緑とは早春の緑をイメージする鮮やかな黄緑色を指す。中にはくすんだ黄緑と言う人もいて、とても曖昧な色だった。
厳密に言うと約六色ほどが新緑の色とも言われているが、百色あるなどと言う人もいるので当てにはできない。
何となく想像できたとしても、決定的とも言えずエレンは困ってしまった。
「そういえば、風の竜は皆同じ色と言いました? もしかして、ヴィントの髪色と同じですか?」
『ヴィント……曾孫の親父かの?』
「はい!」
『ああ、あいつの子か。確かに同じじゃの』
ここまでの情報をまとめてみる。
風の竜ヴァリマリアはお転婆で人化すると小柄な女の子。
獣化すると巨大な竜で幅五十メートルほどあり、その名には制約がかかっていて、本人の許可がないと呼ぶことができない。
(世界の情報を耳で聞き、精霊界から人間界まで空を飛んで情報を集めている……)
そういえば人間界で竜の目撃情報などあっただろうか? むしろ竜など、人間界でもおとぎ話でしか聞いた事がない気がした。現にガディエルは興味津々だったではないか。
「……もしかして、風の竜は姿を消すことができますか?」
『おお、できるぞ。じゃから捜索が大変なんじゃろう?』
「あ~……」
エレンはオリジンをジト目で見る。そんなエレンの咎める視線を受けて、オリジンは「いっけな~いテへ☆」を素でやっていた。
「母様……色々と忘れすぎでは?」
「だあってぇ~。本当にすっかり忘れてたんだもの~。でもね? でもね? わたくしが忘れていても、ヴェントスが話してくれても良かったと思わない?」
「母様、責任転嫁はいけません」
「ごめんなさぁ~い……」
しゅんと肩を落としたオリジンはロヴェルの背中に隠れる。そんなオリジンを庇って、ロヴェルがまあまあとエレンをなだめていた。
「私達、本当に何の情報も知らされていませんでしたね」
「本当だな……姿を消すことができる竜なんて、捜索は難航しそうじゃないか?」
「エレン、もしかするとオリジン様が忘れていらっしゃるのは、忘却の精霊が関わっているんじゃないかい?」
ガディエルの指摘に、エレンはハッとする。ヴェントスもわざと言わなかったのではなく、言えなかったという可能性に気付いたのだ。
「あ、でも母様が忘れているのは素だと思うの。だって母様はこの世界を管理する女神だもの。忘れてたら世界の管理に支障が出て大変でしょう?」
「それもそうだね……」
「いやんガディエルぅ~! 確かにその通りだけども、もっとわたくしを擁護してちょうだい!」
「申し訳ございませんオリジン様……エレンに勝てる気がしません」
「うう……それもそうね……」
「潔く負けを認めちゃうオーリも可愛いよ」
「だってエレンちゃんを怒らせちゃったら怖いものぉ……」
「母様、お菓子没収しますよ?」
「それだけはいやぁぁ~~ん!」
エレンがにっこり黒い笑顔で言うと、オリジンがわっと泣き出した。
『ほっほっほっ。女王も姫さんに頭が上がらないとは』
『将来安泰じゃのう』
その後、風の竜の好きなもの、好きな場所、癖などといったことを色々と聞いていった。
(う~ん……何だか……かなり普通の子って感じ?)
風の竜はお転婆でやんちゃな少女と言っていいかもしれない。
どことなく、ラフィリアに似ている気がして、エレンは段々と心配になってきてしまった。
(逃げたって事は、純粋に神殿で何かやらされていた? でも、ヴェントスは外から一度戻ってきた直後とも言っていたし……いや、そもそもなぜ逃げたと断言できたの?)
好きに外に出れる環境下なら、いつ出て行ってもおかしくないだろう。
一度戻ってきた直後に出かけようとしたので、心配した精霊がどうしたのかと問うたと言っていた。
それに答えず尾でなぎ払うとは、まるで邪魔をするなといわんばかりの態度である。
(竜の精霊が、風の竜を邪魔した……?)
どうにもしっくりとこない。まるでパズルのピースが足りず、歯抜けのような状態だった。
ふと考え込んでいたエレンが顔を上げると、エレンの邪魔をしないようにとオリジンが白虎に向かって「シー、なのよ!」と唇に人差し指を当てていた。
「あっ、ごめんなさい」
『何やら姫さんは頭が切れるようじゃのう』
微笑ましく見守ってくれていたようだ。
「考え込んじゃうと周囲が見えなくなっちゃうのは私の悪い癖なんです……。あの、まだ質問があるんですけど……」
『なんじゃの?』
「えっと……」
少し言い淀むエレンに、年の功か白虎が微笑んだ。
『聞きにくいことでもええんじゃよ』
「あ、はい……。風の竜は……もしかして、竜の精霊を嫌っていますか?」
『…………ああ、嫌っておるだろうのう』
和やかだった場の空気が、一気に重くなった気がした。
『……我々がお世話しておった頃にの、竜共が攻めてきたんじゃ』
「あ、アウストルから少し聞きました」
『そうかそうか。その時に逃げ遅れた我の下の孫が、魔素に還ってしもうたのは聞いたかの?』
「えっと……少しだけ」
アウストルの剣となった友人の祖父母が、当時の事を悲しそうに言った。
『その孫はヴァリマリア様のお気に入りでの。それはそれは激怒なさった』
「…………」
『ヴァリマリア様は孫の悲鳴に正気を失ってしもうてな。我ら白虎も竜も見境無しに襲いなさったんじゃ』
「まさか……」
「そうさ。暴れる風の竜を止めるために、アタシのダチが手にかけようとしたんだ」
ヴァリマリアがヴェントス達に名を伝えていない理由が、ここにあったのだ。