1-9
あたりはすっかり日が落ち、夜の帳が荒廃した街を覆い始めていた。バンの前照灯が、瓦礫の山や朽ち果てたビルの影を不気味に照らし出す。トガリは両手でハンドルを握りしめ、目を細めて前方を凝視している。路面の凹凸を避けるように、慎重にハンドルを操作する。
バンは徐行速度でゆっくりと進んでいた。タイヤが瓦礫を踏むたびに、車体が軋むような音を立てる。後部座席では、俺がノイの頭を支えている。彼女は血走ったような目を見開き、どこか遠い一点をただ見つめている。
「――でも、さっきより元気になったんじゃないか?」
トガリは罪悪感からか、そんなことを口走る。俺は思わず眉をひそめた。
「あんたは、死体の目を指で開いて『生き返った』って言うのかい?」
「へ。言うね」
俺の軽口にトガリが笑い声をもらす。
俺もこの世界の口の聞き方をわかってきたのかな。不謹慎だが思わず口元に笑みが浮かんだ。こんな風に人と言葉を交わすのが心地よい。宇宙での孤独な時間の中、このような些細な会話をどれほど待ち望んだことだろうか。
車の外では、風に舞う紙くずや、錆びついた看板がかすかに揺れる姿が見える。窓は襲撃で砕け散っているから、度々ゴミや塵が中に入ってくる。
「そういや、アンタの名前も聞いてなかった」
トガリが唐突に口を開く。
「実際アンタが無茶してくれなきゃ危なかった。命の恩人にずっとアンタ呼ばわりは失礼だろ」
「俺の名前?」
そういえばまだ名乗ってもいなかったか。出会ってから弾丸ツアーのような目まぐるしさだったからな。
「俺の名前は……」
名乗ろうとしたところで、唇が動きを止める。
どういうわけかその言葉の続きが出てこない。まいったな。記憶の糸が切れたみたいに頭の中から自分の名前が消えてしまった。
「……どうした?」
トガリが、訝しげにこちらを見る。
「いや……」
俺は小さく呟く。おかしいな
「何だったっけ?」
「まさか本当に忘れたってわけじゃねぇだろ?」
そのまさかだ。忘れてしまった。何故だろうか。長い間使わなかったから忘れてしまったのだろうか。
名前なんて単なる識別の記号に過ぎないはずなのに、とても大事な物が失われてしまった気がする。
足元の定まらない暗黒空間に、また取り残されたような心境だ。
「じゃあメテオラだな」
「は?」
「その破れたダサTに書いてあるだろ。☨☨METEOR☨☨って」
何のことかと思い、自分の服を見下ろす。これか。車に轢かれ、機関銃の掃射を受け、手榴弾の直撃まで喰らった。それでも俺のTシャツは、かろうじて形を保っていた。……いや、ほとんどボロ布のようだが、プリントされた文字はまだはっきりと読める。隕石。なるほど。「隕石」って、宇宙から落ちてきた石のことか。俺も同じ境遇ってわけだ。
「『おい』とか『アンタ』の代わりになるなら、呼び名なんてなんでもいいさ」
その言葉に俺は自嘲気味に笑った。確かにそうだ。元の自分を知る人間はいないのだから、何を名乗ろうと大した違いはない。
「……おっと、もう着いたか」
大きなビルの影を抜けると、突如として輝かしい光景が目の前に広がった。俺はその眩しさに思わず目を細める。そこには、全周を巨大な壁に囲まれ、灯りで煌々と照らされる町があった。
まるで要塞のような壁に囲まれた町だ。この荒廃した世界にこんな栄えた街が存在していたなんて。
そして、
「来た事あるだろ? ゴミ捨て場の町だ。町のモットーを知ってるか?『どんなクズでもウェルカム』」