時戻りしたので、運命を変えることにします。
愛する人と結婚をし、私は幸せな日々を送っていた。
旦那様のグレッグ様は、優しく誠実な方で、いつだって私を一番に考えてくれる。仕事がお休みの日は、二人で出かけることが日課になっていた。今日も私達はオープンテラスのカフェで、街を眺めながらお茶を飲んでいた。
「このお店、前から来たいと思っていました。連れて来てくださり、ありがとうございます」
いつも私が行きたいところに連れて来てくれて、「エリスが楽しいなら、僕も楽しい」と言ってくれる。私のことを考えてくれる彼が、愛おしかった。
「今、なにか聞こえなかったか?」
「……なんだか、騒がしいですね」
悲鳴のようなものが聞こえ、辺りを見渡す。すると、道の角を勢いよく曲がって来た馬車が、こちらに向かって迫って来ている!
馬車には、馭者が乗っていない……馬が、暴走したようだ。
ここから逃げなければ! そうは思っても、恐怖で足が動かない。そのまま真っ直ぐ、馬車がこちらに向かって突っ込んで来た!
このままでは、グレッグ様に直撃してしまう。彼も私と同じで、恐怖から足が動かないようだった。
「グレッグ様っ!!」
恐怖よりも、グレッグ様を守りたいという気持ちが勝っていた。彼を勢いよく突き飛ばし、そのまま私は馬車にはねられて宙を舞った……
そして、そのまま意識を失った。
意識が薄れ行く中で、彼が私の名を呼ぶ声が聞こえた。
良かった……彼は、無事みたい……
***
……私、生きてる……の?
目を開けているつもりなのだけれど、辺りは真っ暗で何も見えない。今は、夜なのかもしれない。
「誰かいる? 灯りを、つけてくれない?」
「エリス!? 目を覚ましたのか!?」
この声は、グレッグ様。
ずっとついていてくれたのかと思うと、嬉しくなった。
「グレッグ様、ご無事なのですね!」
「ああ、君のおかげで僕は無事だよ! 暗いのは、目に包帯を巻いているからだ。良くなるまでは、不便だが我慢してくれ」
目に包帯? 目を怪我したの?
「そうなのですね……グレッグ様のお顔を見たかったのですが、我慢します」
私は馬車にはねられ、テーブルの上に落下したのだそうだ。テーブルが真っ二つになり、カップが割れ、カップの破片が目に入ってしまい、医者が破片を取り除いた。グレッグ様はハッキリとは言わなかったけれど、私の目はもう、見えるようになることはないのだと悟った。それでも、彼が無事だったことを喜んでいた。
それなのに……
あれから、二ヶ月が経った。
身体の痛みはすっかりなくなったけれど、視力は回復していない。一生見えるようにはならないと覚悟していたけれど、甘くみていた。真っ暗な闇の中にいるようで、部屋の中を歩くことさえ恐怖を感じる。誰かの手を借りないと、ベッドから動くことさえ出来なかった。
食事をしても、視覚がないからか美味しく感じない。大好きだった絵画を見ることも、出来なくなってしまった。
塞ぎ込むようになり、部屋からあまり出なくなった。そんな私に、彼は前と変わらず優しくしてくれている。彼に、重荷を背負わせたいわけじゃない……。光を失っても、私は生きている。愛する人も側に居てくれる。私は、前向きに生きる決意をした。
事故から一年が過ぎた頃、やっと私は自分を取り戻し始めていた。邸の中なら一人で歩けるようになり、匂いや音を楽しめるようになった。
「こんなところに居ると、風邪を引くぞ」
庭のベンチに座っていると、グレッグ様が上着をかけてくれる。
「ここが好きなんです。花の匂いが風で運ばれて来て、このベンチに座っていると心が癒されます」
彼が隣に腰を下ろす気配がした。
「それなら、もう少しここに居よう」
こうして二人で過ごす時間が好き。彼となら、どんな困難でも乗り越えられる。そう思っていたのに、彼は違っていた……
事故から一年二ヶ月が過ぎた頃、彼の変化に気付いた。
あの事故から一度も、私達は夜を共にしていない。私のことを気遣ってくれているのだと、都合のいいように考えていた。彼が私に魅力を感じなくなったとは、思いたくなかったからだ。隠れて浮気されている分には、気付くことはなかっただろう。どんなに怪しくても、私は彼を信じてしまう。けれど、認めざるを得ないことが起こった。
いつものように、庭のベンチに座っていると、くすくすと笑い声が聞こえた。最初は、使用人がおしゃべりをしているのだと気にしていなかった。
次第に息遣いが荒くなり、キスをしているのだと分かった。かすかに聞こえた使用人の「旦那様……」という囁き声と、「愛している」という聞き覚えのある声。相手がグレッグ様なのだと確信した。小声で話せば気付かれないとでも思っているのか、私の近くで二人は激しくキスを交わしている。この状況があまりにもショックで、なんの反応も出来なかった。私が反応を示さないからか、二人は気付かれていないと判断し、余計に激しいキスを交わす。
使用人の名前は、マチルダ。男爵令嬢で、私の親友だった。この邸に来た時、実家から一緒に来てもらった私の侍女だ。
彼の裏切り……
グレッグ様は、マチルダと浮気をしていた。二人の様子から、それは最近のことではないのだと分かる。裏切りに気付いても、何も言うことが出来なかった。それでも私は、彼の側に居たかったから。
私が何も言わなかったからか、二人の行為はエスカレートしていった。
部屋でソファーに座り、お茶を飲みながら寛いでいると、彼が訪ねてきた。マチルダも、一緒だ。
シーツが擦れる音、ベッドが弾む音、激しい息遣い……二人は、私のベッドで愛し合っている。
見えなくなったからか、聴覚が敏感になった。小さな音も、聞き取れるようになっていた。音だけで、今何が行われているのかが分かる。
「……たまには、こうして二人の時間を持とう」
彼は、行為を行いながら私と会話している。その言葉は、私に? それとも彼女に?
愛する人が、目の前で他の女性と愛し合っている。こんな思いをする為に、私は生きているの?
あれから二人は、何度も何度も何度も、私の目の前で行為を繰り返すようになっていた。それでも、いつか私の元に彼は戻って来てくれると信じてる。
心が壊れてしまいそうな日々を懸命に耐えながら、さらに三ヶ月が過ぎた。
相変わらず二人は、私の目の前で愛し合っている。私が反応しないから気付かれていないと思っているのか、気付かれても構わないと思っているのか、回数はどんどん増えて行った。
グレッグ様に触れられたのは、いつが最後だったか……彼の温もりも思い出せなくなっていた。
「エリス様、珍しいお茶が手に入ったのですが、いただきませんか?」
マチルダが、上機嫌でお茶の準備を始めた。
こんなに明るい声で話しかけられたのは、久しぶりだった。それは、罪悪感があるからだと思っていたのだけれど……
「…………っ!!? ゴホッゴホッ!!」
喉が、焼けるように熱い!!
これは……毒!?
マチルダが用意したお茶を一口飲むと、まるで炎を飲み込んだかのような凄まじい痛みが走った。
私を裏切ってグレッグ様と関係を持っただけでなく、私を殺そうというの!?
「……ねえ、エリス。私ね、あなたが大嫌いだったの。侯爵家に生まれて、素敵な両親に愛されて育っただけでなく、グレッグ様と結婚するなんて……。でも今、グレッグ様は私を愛してるの! エリスが視力なんか失うから、彼が同情して別れてくれないのよ。だから、死んでよ」
見えなくても分かる。私が苦しんでいる姿を見ながら、マチルダはきっと笑みを浮かべている。
必死に耐えて来たのに、最後は殺されるなんて……。どうして、こんな目にあわなければならないの?
苦しい……助けて……誰か……助けて…………グレッグ……様…………………………………………
「ねえ、聞いているの? 一人で話して、私がバカみたいじゃない。そんなに血を吐いて、汚いなあ。エリス? …………もう死んじゃったの? あっけない」
***
「………………リス! エリス! !」
「……え?」
名前を呼ばれて、意識が戻った。
毒を飲まされて死んだはずなのに、死ななかったということ……?
その時、ありえないことに気付いた。
目が……見えている!? 視力を失ったはずなのに、目の前に居るグレッグ様の顔がハッキリ見えている。
「どうしたんだ? 君がぼーっとするなんて、珍しいな。今日は、人気のカフェに一緒に行こうと思っているんだ」
そう言って微笑むグレッグ様の顔が、すごく愛おしい。ずっとこの顔が、見たかった。
嬉し過ぎて、彼の顔をじっと見つめていると、彼の手が私のおでこに触れた。
「グレッグ様?」
「熱はないようだね。体調が良くないなら、出かけるのはやめようか?」
彼が、こんなに優しいなんておかしい。
生きているのもおかしいし、目が見えるのもおかしい。これではまるで、昔に戻ったみたいだ。
マチルダとの関係が始まった頃から、彼は変わっていった。私への愛は消え去り、マチルダに愛を注いでいた。愛しているから、分かりたくなくても分かってしまう。体の関係よりも、心が離れて行くことが辛かった。そんな彼が、私のことをこんなにまっすぐ見つめるなんてありえない。目が見えなくても、彼が私を見なくなっていたことは感じていた。
「グレッグ様は、私を愛していますか?」
思わず、ストレートに聞いていた。これが一番知りたいことなのだから、仕方がない。
「愛しているに決まっている。君が居なければ、僕は生きていけない」
涙が溢れ出した。彼の顔がぼやけてしまうから、泣きたくなんかないのに、涙が止まってくれない。
そんな私を彼は優しく抱きしめ、泣き止むまで背中をぽんぽんとしてくれていた。
彼の温もりが、教えてくれた。目の前に居るのは、優しかった昔の彼だ。
時が戻ったと考えれば、辻褄が合う。そんな非科学的なものを信じるような性格ではなかったけれど、それしか考えられなかった。
「疲れがたまったのかもね。部屋で、少し休むといい」
優しい眼差し、優しい言葉、優しい温もり。
「大丈夫です。人気のカフェとは、どちらのことですか?」
半信半疑ながらも、確かめてみようと思った。
「君が行きたがっていた、オープンテラスのある店だよ」
彼の言葉で、確信へと変わった。
私の目が見えなくなった日に、時が戻っている。この日は、全てが変わった日……この日に戻れるなんて、神様に感謝してもしきれない。
「覚えていてくれたのですね! 行きたいです! 行きましょう!」
今日があの日ならば、運命を変えられる!
二度と、同じ間違いをしたりはしない!
あの日と同じように、カフェへと向かった。馬車が暴走するのは、三時半だった。同じ席に座り、同じ飲み物を頼み、同じ会話をする。
同じではあるけれど、私は彼が心変わりして、マチルダと浮気した未来を見て来た。あの時と同じ気持ちで、彼を見ることは出来ない。それでも、私は彼から離れることが出来そうにない。いや、離れたくない。自分でも、馬鹿なのは分かっている。だから、もう二度と失わないようにする。
「今、なにか聞こえなかったか?」
「……なんだか、騒がしいですね」
悲鳴のようなものが聞こえる。次の瞬間、道の角を勢いよく曲がって来た馬車が、こちらに向かって迫って来ている。
前回は怖くて動けなかったけれど、二度目ともなるとそれほど恐怖を感じない。というより、この時を待っていた。あの日の間違いを、正すことの出来るこの機会を逃したりしない。
そのまま真っ直ぐ、馬車がこちらに向かって突っ込んで来た!
このままでいれば、グレッグ様に直撃する。それだと、彼が死んでしまう。それは、困る。
私は一生、彼の側に居たいのだから。
恐怖で動けない彼を、少しだけ突き飛ばした。そして私は、彼と反対方向へと避けた……
ものすごい音を立てて、馬車がカフェへと突っ込んだ。
身体のあちこちが痛いけれど、馬にも馬車にも当たってはいない。急いで立ち上がり、彼の元へ駆け寄ると、彼の足が車輪に踏み潰されたまま馬車が止まっていた。
「グレッグ様!! 目を覚ましてください!!」
恐怖からか、痛みからか、彼は気を失っている。すぐに使用人を呼び、医者へと連れて行った。
***
彼の足は、もう二度と動かすことが出来ないと、医者に言われた。目を覚ました彼は、ショックから一言も話そうとはしない。
私は、涙を流しながら彼を抱きしめる。
「……私が、グレッグ様の足になります」
涙は、自然と流れて来た。悲しいからではなく、嬉しいからだ。これで、彼は私だけのものになった。
グレッグ様、安心してください。私はあなたと違って、浮気なんかしません。他の誰かを、愛したりなんてしない。あなただけを、生涯愛し続けます。
事故から、一週間が経った。
相変わらず、彼は何も話そうとはしない。毎日、窓から庭をぼーっと眺めて日々を過ごしている。彼の仕事は、私が代わりにやっている。
どんなに忙しくても、彼の世話は全部私がしている。彼を、誰にも触れさせたくないからだ。
特に、マチルダには。
時が戻ったところで、彼女にされたことを忘れるわけがない。絶対に、許さない。
「マチルダ、お茶をお願い出来る?」
マチルダを、グレッグ様の部屋に入れたくはなかったけれど、今回は特別だ。マチルダを呼び、お茶の用意を頼む。
彼女は丁寧に頭を下げると、お茶の準備をしに行った。
私は、マチルダに殺された。毒を飲んで苦しんでいた時、彼女は私を大嫌いだと言った。私は、大好きだったのに。だから、侍女として雇った。彼女に嫌われていたとも知らずに、なんておめでたいのだろう。
マチルダ、あなたにもう一度同じことをしてもらうわ。といっても、今回はあなたの意思ではないのだけれど。あなたの意思など関係ない。けれど、あなたには責任を取ってもらう。
「エリス様、お茶の用意が出来ました」
部屋中に、紅茶の良い香りが漂っている。お茶の匂いがしても、グレッグ様はぼーっと窓の外を見たまま動こうとも話そうともしない。
「ありがとう、マチルダ。あら? 今日のお菓子はクッキーなのね。ケーキが食べたかったのだけれど……」
残念そうにため息をつきながら、ソファーに腰を下ろす。
「ケーキをご用意いたします」
私のワガママに、少し不機嫌そうな顔をした。今まで一度も、こんなワガママを言ったことはない。マチルダは侍女だけれど、私は友達として接していた。それも、彼女にとっては気に入らなかったのかもしれない。
マチルダがケーキを用意している間、お茶が入ったカップに毒を入れる。ソファーに移動したのは、彼にそれを見られないようにするため。
そのまま、マチルダが戻るのを待つ。
「お待たせいたしました」
マチルダが持って来たケーキを一口食べ、「美味しい! ありがとう、マチルダ」そう言って笑顔を見せる。これは、あなたに見せる最後の笑顔。
毒の入ったカップを持ち、お茶を口に含む……
「ゴホッ! ゴホッゴホッゴホッ!!」
あの時と同じで、喉が焼けるように熱い。けれど、今回は量を調節している。死ぬことはないはず……
血を吐いて、床に倒れ込む。
「……マ……チルダ……? どうして……」
マチルダの目を悲しげに見つめながら、彼女に手を伸ばす。
「わ……たし……」
自分が入れた毒ではないのだから、動揺するのも仕方がない。けれど、この状況が全てを物語っている。血を吐いて倒れた私を、親友のはずの彼女は動揺するばかりで助けようともしない。他の使用人でも、駆け寄って来るはずだ。彼女がそれをしないのは、自分にやましいことがあるから。この毒は、マチルダの部屋にあった物だ。いつか私を、殺そうと思っていたのだろう。
「……エ……リス? エリス!! どうしたんだ!?」
私の様子に気付いたグレッグ様は、ベッドから落ちてまで私の元に来ようとしてくれている。床を這いながら、懸命に手を伸ばして来る彼が愛おしい。
グレッグ様がベッドから落ちた音を聞いて、数人の使用人達が部屋に入って来た。
血を吐きながら床に倒れている私、ベッドから落ちて床を這っているグレッグ様、上から私達を見下ろすマチルダ。状況が理解出来ず、一瞬戸惑ってはいたけれど、一人はグレッグ様を助け起こし、一人は私に駆け寄り、一人は医者を呼びに走って行った。
「エリス……エリスを、助けてくれ!!」
マチルダ、今回は私の勝ちね。
彼の伸ばした手に、私の伸ばした手の指先が触れたところで、意識を失った。
数時間後、自分のベッドで目覚めた。
「エリス!? 大丈夫か!?」
目を開けてすぐに、瞳に映ったのはグレッグ様の私を心配そうに見つめる顔だった。
歩くことも出来ないのに、ベッドの隣にあるイスに座って、ずっと側についていてくれたのかと思うと嬉しい。
「……グレッグ様、私はどうしたのでしょう?」
状況が分からないフリをする。
彼の口から、聞きたかった。
「マチルダが、お茶に毒を入れたようだ。幸い、飲んだ量が致死量ではなかったから、命に別状はないそうだ。解毒はしたけれど、まだ安静にしていないと。それにしても、君を殺そうとするなど許せない!」
彼が、マチルダに嫌悪感を抱いている。私には、とても重要なことだった。
「マチルダは、どこに?」
「兵に連行されたよ。今頃は、取り調べを受けている頃だろう」
意識を失っている間に、マチルダは捕まってしまっていた。
「マチルダが、私を殺そうとするなんて信じられません。私達、友達だったはずなのに……」
この気持ちは、嘘ではなかった。時が戻る前は、本当にそう思っていた。
一度目の人生は、マチルダに全てを奪われて終わった。彼女がいる限り、二度目の人生も安心は出来ない。
私を殺す為に毒まで用意していたのだから、いつ毒を盛られてもおかしくなかった。彼女には私の人生からもグレッグ様の人生からも消えてもらう。
「……すまない。君が苦しんでいたというのに、駆け寄ることさえ出来なかった」
やっとグレッグ様が、自分を取り戻してくれた。あなたにそんなことを、望んではいない。あの事故の時も、動くことが出来なかったのだから。それでも、這ってまで私の元に来てくれた。私への愛があるということだ。
「グレッグ様がベッドから落ちてまで、私を救おうとしてくださったから、使用人達が駆け付けてくれました。私を救ってくださったのは、グレッグ様です」
彼は、褒められて伸びるタイプ。少しでも頑張ったなら、褒めてあげると子供のように喜ぶ。
これからも、たくさん褒めてあげる。私が居ないと、不安に思えるほど側にいてあげる。
「エリス……ありがとう」
顔をクシャクシャにしながら笑う彼。あなたは、私のもの。
マチルダが連行されてから、一週間が経った。未だに、マチルダは罪を認めていない。……本当に、毒を入れていないのだから、あのマチルダが認めるはずはないのだけれど。
マチルダが認めようが認めまいが、あの毒は彼女が手に入れた物で、お茶を入れたのも彼女。どんなに否定しようと、彼女が犯人だと誰もが思う。
マチルダが罪を認めないまま、彼女の刑が決まった。
彼女は、隣国に奴隷として送られることになる。
本来なら、主人に毒を盛って殺そうとしたのだから、処刑になるはずだった。そうならないように、私がしたのだ。
私は何度も、王宮を訪ねた。 マチルダの罪を、軽くして欲しいとお願いするためだ。もちろん、その被害者であっても、意見を聞いてもらえるわけではない。けれど、今回は私の熱意が届いたようだ。
マチルダを、助けたかったわけではない。その逆だ。簡単に死ぬなんて、許さない。例え、今のマチルダがしたことではなくても、マチルダは視力を失った私をどれほど苦しめたことか……。良心? そんなものは、私が死んだのと同時に捨ててしまった。私が甘かったから、あんな目にあった。今回は、選択を間違えたりしない。あなたにも、苦しんでもらわなくては。
隣国に送られるのは、この国には奴隷制度がないからだ。隣国の奴隷制度は、昔からある。奴隷は、人間扱いされることはない。食事は家畜の餌を与えられ、仕事が終わらなければ寝ることも許されない。死ぬまで、酷い扱いを受けることになる。
「離して! 私は、無実なのよ!!」
マチルダが隣国に出発する日、最後の挨拶をしたいと申し出た。そして今、その出発前のマチルダを前にしている。
マチルダは手枷と足枷をされ、家畜を乗せるような鉄格子で出来た荷馬車に乱暴に放り込まれた。
荷台に放り込まれたマチルダと、鉄格子越しに再会する。
「久しぶりね、マチルダ。もう会えなくなるなんて、出会った頃は思いもしなかった」
私は本当に、マチルダのことを友達だと思っていた。それは、生涯変わることはないのだと思っていたのに……彼女の本性を、あんな形で知ることになるなんてね。
なぜ時が戻ったのかは分からないけれど、私はこうして生きている。そしてあなたは、これから地獄を見ることになる。
「……エリスでしょう? 自分で毒を入れて、飲んだんでしょう!?」
手枷をしたまま、鉄格子を両手で掴んで私を睨み付けている。
「私を殺そうとしただけでなく、罪を着せようとするなんて……酷いわ。それでも、マチルダは私の親友よ。生きてさえ居てくれれば、それだけでいい」
悲しそうな顔をしながらも、心の中では笑っている。そう、生きて不幸になってもらうわ。私がそんな風に思っているだなんて、マチルダは全く気付いていない。私が自分で毒を入れたのだと思っていても、確信を持てない様子だ。
「生きてさえいればなんて、やめてよ! 隣国になんて行きたくない! 奴隷だなんて、冗談じゃないわ! エリス、助けて! あなたから、私は犯人じゃないと言ってくれれば、ずっとエリスの側にいられる! 私達、友達でしょう!?」
毒を用意していたくせに、友達だなんてどの口が言っているのか。
「マチルダ……あなた、全然反省していないのね。あなたの本当の気持ちを知りたかったけれど、最後まで嘘で私をだまそうとするのね……」
「ふざけないでよ! 反省? そんなもの、するはずないじゃない! 私は、無実よ! あなたなんか、最初から嫌いだったのよ! あなただけ幸せになるなんて、許せない!! あの毒で、死んでしまえば良かったのよ!!」
これで、マチルダに同情する人は誰も居なくなった。
「マチルダ……お前……」
マチルダの両親も、最後に娘に会いたくて、この場に来ていた。彼女の両親は、『娘がそんなことをするはずがない!』と、刑が決まってからも娘を信じていた。これが、愛する娘の本性だ。
「お父様!? お母様!? 待って! 行かないで! 私を見捨てないでーーー!!!」
母親は泣き出し、父親が母親を支えながら、私に「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げ、まだ出発していないマチルダに背を向けて去って行った。
両親にも見捨てられ、放心状態のマチルダを乗せた馬車が出発した。
さよなら、マチルダ。
あなたの不幸を、心底願っているわ。
マチルダがこの国から消えて三ヶ月が経ち、私は グレッグ様との幸せな日々を送っている。彼と出会った頃に思い描いていた幸せとは、ちょっと違うけれど、これはこれで幸せだ。
「エリス? エリスはどこに居るんだ!?」
「ここに居ますよ。食事を取りに行って来ました。今日は天気が良いので、窓を開けましょうね」
彼の部屋には、誰も近寄らせない。グレッグ様の世話は、私が全てやっている。私が側に居ないと寂しがるので、仕事も彼の部屋でしている。ほぼ一日中、彼と一緒に居られるこの生活が、今の私にとっての幸せだ。
私が居ないと、彼は生きて行けない。そう思わせることで、彼は私にどっぷりと依存している。
「エリスの姿が見えないと、不安になってしまう。君なしでは、僕は生きて行けない」
彼はすがるような目で、私を見つめる。彼の目を見つめ返しながら、優しく微笑む。
「私は、どこにも行きません。グレッグ様のおそばを、離れるはずがないではありませんか」
そう言って彼の頬にキスをすると、彼は安心したように頷く。
時が戻る前の彼を、許したわけではない。私を裏切り、マチルダと浮気しただけでなく、彼を庇って視力を失った私の目の前で彼女と愛し合った。どれほど傷付いたか、どれほど悔しかったか、どれほど悲しかったか……彼には、分からない。
だから彼には、これから一生をかけて私に償ってもらう。
私だけを愛し、私だけを必要とする。
「グレッグ様、愛してます」
「僕も、エリスを愛している。君さえ居てくれれば、他には何もいらない」
彼は満たされた顔で微笑むと、『絶対に離さない』と言いたげに私の手をしっかりと握った。
「私もです……」
彼の頬にもう一度キスをすると、彼は私の唇に吸い付くようなキスを返して来た。それほど、激しく求められているのだと感じた。
彼は二度と、私を裏切ることはない。それどころか、私に捨てられないように尽くしてくれるだろう。
彼の世話が、どれほど大変でも構わない。誰にも触れさせたりしない。私だけの、グレッグ様。
これが、私の愛の形。
誰にどう思われても、どうでもいい。私は今、最高に幸せなのだから。
END
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。