お腹が空いてる時はなぜだか選択の連続だったりすること
ひだまり童話館企画「ふにゃふにゃな話」参加作品です。
よろしくお願いします。
今、私は選択を迫られている。
「もー、なんでこんな時にママがいないかな」
お腹が空いてたまらないけど、玄関前に置かれた回覧板には“至急”の赤い文字。これを無視するか、それとも大急ぎで裏の黒川さんの家まで届けに行くか。
お腹が空いた。
もう、歩くのもおっくうに感じるほど。
とりあえず鍵を開けて家に入る。
ああ、お腹が空いた。土曜日の午前授業はせめて三時間にしてくれれば良いのに。四時間目までやったら家に着くのは一時だよ。もう、お腹空いて倒れそう。
「ただいまー」
ママはいないけど、挨拶はする。
さーて、回覧板をどうしようかな。一番上にウチのハンコを押して、下の紙を一枚抜き取る。これで、ママが帰ってきたらそれを見せれば良い。だからすぐに裏の黒川さんの家に持っていくか。
でももう、歩けないほどお腹が空いてるんだよー!
先にご飯を食べたい。どうしても食べたい。
ランドセルを置いて台所に行くと…
「ご飯がない!」
ママはご飯を炊かないで出かけていた。
うわーん、もう力が出ないよお。お腹空いたよお。
へなへなと座り込んで大きくため息をついた。
ググウとお腹が鳴った。
ごはんがないから、カップ麺を食べよう。ごそごそと四つ這いのまま食卓の下を通って、食器棚の下の乾物入れを開ける。ここにカップ麺があることは知ってるのだよ、ママ。普段はカップ麺なんてご飯の代わりに食べちゃダメって言うけど、非常時用に常備してある。
大スキな醤油ラーメンを持って立ち上がり、蓋を開けてポットのお湯を注ぐ。
これで三分待ってる間に黒川さんの家まで行ってこよう。至急って書いてあるくらいだから急いだほうが良い。
三分待たなけりゃご飯にありつけないんだから、空きっ腹でカップ麺とにらめっこしてるより気がまぎれる。
でもなあ、裏の黒川さんのお家って、ものすごーく大きくて、表の玄関に回ったらウチから三分もかかる。往復で六分。
ただし、裏門がある。
裏口から入れば一分とかからない。
だけどねー…裏門から行くと、アイツがいるんだよ。
私の天敵、隣のクラスの矢田がさ。黒川さんちの裏門の前に家があるからしょうがないけど、なんでかそっちから入ろうとすると、必ず出て来て人のことからかってくる。うわあ、嫌だ。会いたくない!
おなかの空いてる時に会ったら、それだけで喧嘩しそう。
いやでも、往復六分かかるよりは、矢田に何か言われたほうがましか。矢田が出てこない可能性もあるし、最悪無視すればいいだけだし。
悩ましい選択だよ。
そうこうしているうちに時間が過ぎてしまう。
よし、行こう。
堂々と裏口から。
回覧板を持って家を出る。それから矢田の家の前を通って黒川さんちの裏口の木戸を開けようとしたら「おー、鼻痒いのか?鼻が赤いぞ?やーい、やーい」と怒涛のようにだみ声が降って来た。
無視無視。
お腹空いてる時に聞きたくない声。これ以上聞く前に木戸を開けて入らなきゃ。
「無視すんなよぉ、なあなあ、鼻の赤い鼻痒い~」
うーわー、こっち来んな!!
鼻、赤くないもん!
「あれ?鼻が痒くて、俺の声聞こえないのかな?ぎゃははは」
手がプルプルしちゃう。
だって、私の名前、コンプレックスなんだもん。
花香結衣って可愛い名前のはずなのに、コイツわざと鼻痒いって言いやがって!くそう!
「なあ、なあ、鼻の赤い鼻痒いちゃ~ん」
近寄って鼻を覗き込んで来ようとするから、堪忍袋の緒が切れた。空腹時は我慢が出来ないのよ!!!
「うるさい、デブ!」
振り向いて、歯を剥きだしてガブリと噛みつくフリをしてやった。
「うわっ」
普段反撃しない私がいきなり噛みつく真似をしたから、矢田はものすごく驚いた顔をしてズザザと後退さって転んだ。
けけ。
いい気味。
その隙に黒川さんちの裏口の木戸を開けてさっと入った。
はあ、お腹空いた。
黒川さんちは広い。木戸を閉めてから小道を通って、縁側の方へ回る。
「ごめんくださーい」
「はあーい」
声をかけるとすぐに黒川さんちのおばあちゃんが返事をした。それから「よいせっと、あらあら」などと言いながら黒川さんのおばあちゃんが登場した。
「ゆいちゃん、こんにちは」
「こんにちは。回覧板です」
おばあちゃんはニコニコして縁側にやってくると回覧板を受け取ってくれた。
「ゆいちゃん、しっかりしていてえらいわねえ。もう何年生?」
おばあちゃんはゆっくり喋る。あのー、お腹空いてるので帰りたいんですけど。
「三年生です」
と答えた時、私のお腹がまたググウと鳴った。
「あら、お腹空いてるの?ちょっと待ってなさい。あめちゃんがあるから」
おばあちゃんはそう言うと、部屋の中に入って行った。
「あの、大丈夫です。すぐ帰りますから!」
「すぐよぉ、美味しいあめちゃんがあるから、ちょっと待ってて」
いやー、飴じゃお腹いっぱいにならないから。と思ったけど、おばあちゃんは、飴だけじゃなくてお饅頭やらバナナやら持って現れた。
「このお饅頭がとっても美味しいのよ。公園の角のところの、ほらなんて言ったかしら」
「池田屋さん?」
「そうそ、池田屋の新作饅頭なんだけどね、ちょっとびっくりするから、ね、食べてごらんなさいな」
ここで!?今ですか!?
ほらほらと手に乗せられたお饅頭はなんだかホカホカあったかい。美味しそう。
ついよだれが出て、食べちゃった。
「ふわあ、美味しい」
あったかくてフワフワでなんか柔らかいものが入ってる。ナニコレ?
「美味しいでしょお?」
「うん、これ…バナナ?」
不思議な食感の柔らかいバナナが入ってる。めっちゃ美味しいけど、びっくりしたあ。
「バナナなのよ。ほら、これが本物のバナナ」
いや、わかりますけど、普通のバナナを手に乗せられ、飴も10個くらい手に乗せられた。
「もぐもぐ、ご、ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「あらあら、大丈夫?お茶持ってくるわ」
「いえっ、大丈夫ですっ!帰りますから!」
おばあちゃんのペースにはまったら、この後お茶飲んで座って、お話しを聞くコースになっちゃう!勿論、それも美味しい、いや、楽しいけど、でも、帰らなきゃ。鍵閉めて来てないし。
それで私は、帰るという選択をして、裏口から出てきたのだった。
黒川さんちの裏口の木戸から出てくると、変な声が聞こえた。
「うぇええ、うえっ、うぇぇ」
死にかけのカエルのような?何このダミ声。
矢田がいるかと思ったけど、あ、これ矢田の声?うわっ、キモい声。
「うぇ、う、だれかあ」
てか、どこにいるの?
声はすれども姿は見えず。ほんにお前さんは屁のような。匂いの元はどこかいな?
「う、う、うわあん、かあちゃーん、かあちゃーん」
あ、泣いてる。
見ると、矢田の家の門横の木の根元に矢田の足が見えている。うん?どういう状態?
「矢田?」
近づくと顔と足が見えた。
「は、花香・・・た、たすけ、て、く、ださい」
「何やってんの?」
「ひいっ、あのっ、本当にごめん!謝るから、ここから出してください!し、尻が」
「ああ」
「おねがいします、花香さん!」
何が「花香さん」だ。いや、私の苗字それだけど。あれだけ、鼻痒い、鼻痒いって人のことイジってたくせにさ。こんな時ばっかり。
「けっ…てか、どういう状態よ、それ」
見ればどうやらお尻がどこかにハマっちゃってるらしい。足も踏ん張ったり引っかけたりできないっぽい。
「だずげでぇ」
うわ、汚い顔。
さて、私は家に帰りたい。
バナナも持ってるし。
「無理」
「ぞんなあ!花香さん、おねがいじます」
だってさあ。
私の決心が揺らぐ。さすがに可哀想、だとは思う。
しかし顔が汚い。いや、断る理由はそれじゃないけど、顔が汚い。(本心)
でも可哀想だよね。だって、身動き取れないんだよ。たぶん私が黒川さんちに回覧板を届けている間ずっとこの状態だっただろうし。それってすごく心細かったというのはわかる。
「ほら」
仕方がないから少し引っ張ってやることにした。バナナと飴ちゃんをそこに置いて、手を出してやる。
矢田は一生懸命手を伸ばしてきたけど、それもなかなか届かなかった。木と木の間にしっかりはまっちゃってるらしい。
左手を木の幹に置いて、右手を伸ばしてやっと矢田の手に届いた。その手をぎゅっと掴むと矢田も掴み返してきた。
「ひっぱるから、反対の手で押してよ」
「はいっ、ありがとう!おねがいします!」
いい返事するけど、顔が汚い。
うんしょと引っ張る。重い。なにしろ矢田は同学年の中でたぶん一番大きい。身長もだけど横も。
うんしょ、うんしょ。
重い。そう言えば私、お腹が空いている。
うんしょ、うんしょ。
もう力が入らないよ。
うんしょ、うんしょ。
「うおりゃあああ!」
下からやけに気合の入ったダミ声が湧いてくる。うへえ、嫌な声だ。
早く引っこ抜けて欲しい。ほんと。なんで私、こんなやつ助けてるんだろ。お腹空いてるのに、貰ったバナナ地面に置いて。
うんしょ、うんしょ。
お腹空いた。
もう力が入らないよ。
「うおりゃあああ!」
動いた!
上に向かって引っ張ったらだめだ。空いてる手の方に引っ張ったほうが、矢田が自分で押し上げやすい。
「うおりゃあああ!」
「うおりゃあああ!」
背中が見えた。お尻も見えた!
こっちだ。ごろりと矢田が木の幹に乗りかかる。
「抜けた!」
あとは矢田が自分の手で押してあがってきた。
「はあ、はあ」
ああ、もうほんと、力が入らない。
「花香、あ、ありがとう」
「いや、うん」
その汚い顔で笑いかけるな。
「ホントごめんな。あ、良かったら、ウチで飯くってかねえか」
「・・・お、おかまいなく」
もう、力が入らないよ。
でもここでまた寄り道したくない。最後の力を振り絞ってバナナを拾って、家へ帰った。
やりきった。
私、すごく頑張った。
たくさんの選択を自分でやった。行くか行かないか、どっちの道を通るか、もっとお喋りしてくるか、矢田を助けるか、矢田の家でご飯を食べるか、色んな選択の場面があって、それをやりとげた。
えらいぞ私。
おかげで、きっとこれから矢田は私のことをからかうことはないはず。私が頑張ったからこそだと思うと、自分が誇らしい。
それにしても、何かを忘れている気がする。
なんだっけか。
家に入って、台所に行って思い出した。
「カップ麺」
いろんなことがあって、一周周って空腹を忘れていた。
とっくに三分以上経過していて、蓋を開けると水分を全部吸い取った麺が溢れ出してきた。麺が“のびる”ってこういうことを言うのか。ひとつ利口になった。