ラブクラウドの余裕と焦燥
かの偉大なる作家のもじりなのですが揶揄しているわけではありません
「そこで靴を脱いでくれ!
土足は絶対にダメだ」
入るとすぐに床が1段高くなっていた。
そこに男が1人立ち、入ってきたパスクールたちにそう指示したのだ。
男は背が高かった。190セチンはあるだろう。そんな男が1段高いところに居るものだから見上げるような高さになっていた。
「靴も脱ぐ前にその泥落としマットで良く拭って。それから手を出したまえ」
パスクールたちが大人しく手を出すと男は手に持ったスプレーを噴射した。プンとアルコール臭が3人の鼻をついた。
「ふむ。良し。上がりたまえ」
男は満足したように頷くと3人を自分が立つ段へ上がるように促した。
「あなたがラブクラウドさんで良かったですか?」
「そうだ。私がラブクラウド。ハワード・P・ラブクラウドだ」
すかさず、『Pってニャんニャ』とニャミンの突っ込みがあったが、パスクールは無視して質問を続ける。
「お仕事は何をされているのですか?」
「作家だ」
と、言いながらラブクラウドは背後に一度顔を向けた。その方向に大きな机と椅子が一式備え付けられていた。机の上には紙の束のようなものが置かれていた。
「次に君は私の昨夜の行動を問うのであろう?
ならばその答えは、原稿を書いていた、になる」
「ははっ……これは話が早くて助かると言うか、良くご存知で、と言うべきか……」
「私は作家だからな。推理小説なども書いたことがある。故に捜査の手順も分かるのだよ」
ラブクラウドは自慢げに胸を張った。
「なので君の関心事は昨夜の6時半頃から今日の朝の……7時の私の行動であろう」
「良く分かりますね」
「犯行時刻を推理してみたのだよ。
あの機械人形はいつも6時半から40分に帰ってくるのだ。それはもう機械のようにな。
そして、今日の朝7時頃にピッガーの叫び声が聞こえてきた。恐らくはその時間に発見されたのだろう。となれば昨日の夜の6時半から今日の朝の7時頃の私の行動を聞きたくなるのは必定。いや、なに簡単な推理だよ」
むふん、と鼻息がきこえてきそうなしたり顔のラブクラウドにパスクールはにこやかな笑顔を見せた。
「見事なものです。
それで、その時間帯はどうされていましたか?」
「ずっと家にいた。原稿を書いていたのだ」
「原稿をですか? ずっと?
一歩も外に出ずに?」
パスクールはそう言いながらラブクラウドの背後の書き物机、その上に載せられている原稿に視線を向けた。
「中を拝見させて貰って良いですか?」
「ダメだ!」
即答で断られた。
「小説家の未発表の原稿を見たいとは!
そんな暴挙を私が許すと思うのかっ!!」
「いえ、中身に興味があるわけではなくて、どのくらいか書かれているのか量を確認したくて……」
「私が書いたものに興味がないだとっ!!!」
ラブクラウドは更に激昂して立ち上がり、物凄い形相で睨み付けた。
「いや……そう言う意味で言ったわけではなく。1日中原稿を書いていたというあなたの主張が妥当かどうかと言うことを……」
気圧されてのけぞり気味になりつつパスクールは必死に言い訳をした。
「ニャ、この作家さん有名ニャのニャ?」
と、その横に座るニャミンがブンナゲッタに小声で聞く声がした。
「さぁ、自分も初めて聞きました」
と、ブンナゲッタも小声で答える。2人とも小声なのだかいかんせん距離が近いのでパスクールにも当のラブクラウドにも筒抜けだったが、ニャミンはまるで気づいていない風だった。
「ニャはは、やっぱりニャ、売れない作家ニャ。きっとあの原稿もただ書いてみただけなのニャ」
ニャミンの言葉に、ラブクラウドは口を開け、固まってしまった。真っ赤になった顔はみるみる白くなる。そして、無言で椅子に座りなおした。
「それなら確認することもない。全然かけていないからな、2枚か3枚ぐらいだ。私がずっと原稿を書いていた証拠にはならんよ」
一気に毒気が抜けたような落ち着いた声になっていた。
「そうですか。それは残念ですね」
パスクールは言いながら、その視線を少しずらす。机のすぐ横の床にはゴミ箱があった。ゴミ箱は丸まった紙が一杯になっており、入りきらなくなった紙クスが周囲にいくつもの山を作っているのが見て取れた。
「生みの苦しみというやつですね」
「君たちにはわからんことだよ……」
しょげたような、あるいは拗ねたような力のない声だった。
「ところで被害者のミスリンさんとの関係はどうだったのでしょうか?」
「彼とはほとんどなにもない。彼から話しかけてくることはなかった。ゴーレムの心というものに興味があったから何度か私の方から話しかけて見たことがあったがことごとく無視された。
それで、ああ、ゴーレムというやつは所詮機械なんだ、と思ったものだ。
そう言う意味では、あまり良い関係であったとはいえないな」
「ほほう。そうなんですか。なるほど、なるほど」
「うん? まさか、だからと言ってこの私が彼を殺したなんておもっていないだろうね。
私を疑うならまず、あの狼男、えっと、ウルバーンとか言ったか、奴を疑うべきだろう」
「ウルバーンさんを疑え、とはどう言う意味ですか?」
「知らんのかね。あいつは被害者のミスリンと大喧嘩をしたんだぞ」
「大喧嘩ですか?」
「そうだ。
……大喧嘩といっても狼男の方が一方的にぼこぼこにされていたんだがね」
「原因はなんだったのです?」
「さあ、なんだったかな。道端でぶつかったとかなんだか、だったような。奴も不愛想なゴーレムのことが内心気に入らないと思っていたのじゃないかな。
ま、なんにしてもだ。ゴーレムの倒し方も知らん無知浅学の輩にはむりだろうな」
「と、言いますとあなたはご存じなのですか?」
パスクールが水を向けると、ラブクラウドは「もちろんだとも」と答えると紙とペンを取り出した。
「いいかね、ゴーレムの額には古代魔法語で『エメス』と書かれているんだ。
これは我々の言葉で『真理』を意味する。それで最初の『エ』の文字を消すと『メス』となる。
『メス』とは『死』という意味だ。それでゴーレムは機能を停止する。だからゴーレムと戦うなら額の呪文を狙わねばならんのだよ。分かるかね?」
「いや、そんなことを知っているとは大したものですね」
「なに、なに、小説家として当然の知識だよ、君」
「つまり、この人はゴーレムを殺せるってことニャ」
ニャミンがぼそりとつぶやいた。とたんに、自慢気だったラブクラウドの顔は凍り付き、額に汗がにじんだ。そして、慌てて叫ぶ。
「いや、待て待て。知ってるだけで、私がゴーレムを殺したことにはならんだろう。
そ、それにだ。これはあの狼男も知っている話だぞ。あいつがぼこぼこになった時に、今の話をしてやったのだ。だ、だから、ゴーレムを倒す方法なら奴も知っているはずだ」
「今の話をウルバーンさんにも話しているんですか?」
パスクールの瞳がほんの一瞬だけ見開かれた。
「ああ、している。今みたいに紙とペンを使ってちゃんと説明してやったから、知らんとは言わせないぞ」
「でもあいつは知らないって言ってたニャ」
「なんだと?! ならばあいつは嘘をついたということになる。ううむ。怪しいな。怪しいぞ」
ラブクラウドは顎に手をやり、深刻そうな顔になる。
「あいつは、相当ゴーレムのことを恨んでいたからな。知っているかね? あいつは時折、中庭に出ると、ゴーレムの家のドアに小便をしていたんだ。
ささやかな意趣返しと言うやつかな。見た目以上に器の小さい奴なのだ」
その衝撃的な告白を聞いて、ニャミンが椅子から飛び上がった。
「ニャニャニャんニャ!!!!
ワタシ、あそこで転んだニャ! え、え、え、ちょっと勘弁するニャ!」
と言いながら自分の服の臭いを嗅いだ。そして、さらに悲鳴をあげる。
「フニャァー! く、臭いニャ! 狼の臭いが染みついてるニャ! 妊娠するニャ!!」
「え? 獣人ってそんなことで子供出来るの?」
驚いたように目を丸くするパスクールに、ニャミンは頭を抱えたまま牙を剥く。
「しないニャ! ただの例えだニャ。そんぐらい衝撃的な話ってことニャ!」
「ああ、そう。それならいいよ。
それでは、だいたい話を聞かせてもらえました。ありがとうございます」
そういうとパスクールは立ち上がる。と、さっきまで自信満々であったラブクラウドは不安の色で表情を曇らせた。
「ま、まさか、私のことを疑っているわけではないだろうね?」
「いや、まあ、今のところはみなさんを疑っていますので。
みなさんにはお伝えさせてもらっていますが、しばらくは外出を控えるようにしてください。
また、後ほどお会いしましょう」
笑みを浮かべるとパスクールはラブクラウドの部屋を後にした。
2023/04/09 初稿