ノムノンの畏れ
「ニャニャ、このドア、ノブがないニャ」
ニャミンが言うとおり、ドアにはノブがなかった。ノブどころが取っ手になりそうな出っ張りも蝶番の類いも見当たらない。ただの一枚の木の板が建物の外壁にはめこまれているだけに見えた。
どうやって開けるのだろうとニャミンが一歩近づくとドアが自然に横にスライドした。
「ニャン!」
悲鳴を上げて素早くバックステップをするニャミン。毛が逆立っている。本当にびっくりしたらしい。
「入られよ」
と、しわがれた声がドアの向こうから聞こえた。
「お騒がせしてすみません。えっと……ノムノンさんですか?」
薄暗い部屋に小さな人影が一つ佇んでいるのをドア越しに窺うようにしながらパスクールが問いかけると、「いかにも」と再びしわがれた声が返ってきた。
「ワシが作った魔法の自動ドアじゃ。そう怖がらず、通ってきなさい。別に噛みつきはせんよ」
おっかなびっくりで入ろうとしないニャミンたちを置いて、パスクールはノムノンさんの部屋に入った。部屋の床はむき出しの地面だった。
「これはまた個性的な内装ですね」
壁はまるで洞窟の壁面のように凸凹とし、天井からは鍾乳石が垂れ下がっていた。
「うむ、これが落ち着くのじゃよ」
ノムノンはなんのためらいもなく地面にどかりと胡座を組む。一方、さすがに地べたにしゃがむのを躊躇するパスクールたちにノムノンは敷物をさして、それを使えと言った。
「それではですね……」
座り心地を確認するとパスクールはおもむろに口を開いた。
「昨夜の行動についてお聞かせ願いますか?
昨日の夕方6時から今日の朝7時頃です」
「昨日は朝から薬を作っておった」
「薬?」
「うむ、魔法の咳止めじゃ」
答えながらノムノンは顎をしゃくる。そこには大きな土鍋があった。鍋の底をチロチロと青白い炎が舐めていた。
「昨日から始めての。三日三晩あれを煎じ詰めねばならんのじゃ」
「お一人でそんな作業をしているのですか?」
「うむ、独り身じゃからな」
「それは大変ですね。すると昨夜は徹夜ですか?」
「この歳で徹夜は体に毒じゃ。2、3時間単位で細かく寝ながらやっとるわい」
「では、外出もしましたか?」
「さすがに外出はしとらんよ。材料を入れてかき混ぜて、ちょっとウトウトして、また材料を入れてかき混ぜる。その繰り返しじゃ」
「では、その作業をされている時になにか物音を聞きませんでしたか?」
「いや、何も聞いておらんな。まあ、ずっと起きて耳を澄ましていた、とは言い難いからの。コトリとも音がせなんだ、と胸を張るわけにはいかぬ」
「失礼ですが咳止めの薬だけで生活できるのですか?」
「ほっほっほっ、馬鹿にするものではないよ。他にも作っておるわい。夜泣きの薬に、熱冷まし、捻挫、切り傷、腹下しに便秘の薬」
ノムノンは薬の名前を上げながら壁の一画に並べられた土鍋を順々に指差した。
「それにな、薬作りは年寄りの暇潰しのようなものじゃ。ワシも若い頃は冒険者として活躍しておった。それでそこそこ財をなしたのでな、今は悠々自適の隠居の身じゃよ」
「それは羨ましい限りですね。
するとあっちの棚にあるのは冒険者の時の戦利品ですか?」
土鍋が置かれて箇所とは真逆の壁へパスクールは顔を向けて、言った。するとノームの老人は満面の笑みを浮かべた。
「そうじゃ、そうじゃ。ワシの懐かしい思い出の品々じゃよ。思い出だけではなく一つ一つが一財産になる宝ばかりじゃ」
「それは凄い。ちょっと拝見してよろしいですか?」
「おお、良いとも良いとも、じっくり見なさい」
ノムノン老人は本当に嬉しそうであった。パスクールは棚に近づくと中腰になり、と言うとも棚はノームの身長に合わせていたので一番高い棚でもパスクールの胸の辺りまでしかなかったからだ、じっくりと老人の自慢の品々を眺めた。
赤や青、緑色の美しい宝石が一杯詰った白磁の壺
子供の拳大の黒真珠を咥えた水晶髑髏
魔水晶が七つもついた木の杖
黒い革の魔術書
表面にびっしりと古代魔法語が書かれた水筒
「無銘魔導書!
いや、さすがにその複製本か。
こっちは尽きない水筒」
「ほほう。その水筒に気がつくとは、なかなかの目利きとみえるな。クォーターじゃよ、その水筒」
「クォーター! それは確かに一財産ですね」
「そうじゃろう、そうじゃろう、こんなに田舎でそれらの真の価値が分かるものに出会おうとはおもわなんだよ」
ノムノンは本当に嬉しそうに何度も頷いた。
「いや、僕こそ面白いものを拝見させてもらえました。実に参考になりました」
棚のお宝を最後までじっくりと見るとパスクールはやや興奮したように答えた。
「さて、質問に戻らせてもらいますけど。
ミスリンさんとはどんな関係でした?」
「関係じゃと?!」
ノムノンの声は驚いたかのように少し裏返っていた。さっきまで御機嫌そうだった表情が打ってかわって険しいものに変わる。
「あ、あんなものは見たくもないわ!」
ノムノンはわなわなと体を震わせ、顔を蒼白にすると大声で叫んだ。
「余り良好な関係では、なさそうですね。
ご近所づきあいはされてなかったのですか?
ミスリンさんも元冒険者だったから話は合いそうですが……?」
「ば、馬鹿なことを言うな!
話すどころか、あんな物に近づきたくもないわ」
さっきまでの好好爺然とした態度をかなぐり捨てて金切り声を上げるノムノンにブンナゲッタとニャミンはすっかり気圧され、互いに顔を見合わせるばかりだった。
「……なるほど。大体分かりました。
ありがとうございます」
パスクールは話を切り上げると立ち上がった。部屋を後にしようとするが、そので立ち止まる。
「いや、部屋で火を炊いているせいか蒸しますねぇ」
と、言いながらポケットからハンカチを取り出そうとした。
「あれ、ハンカチが引っ掛かって……よっと!」
掛け声と共にハンカチを引っ張りだす。同時にポケットからなにかがたくさんこぼれ落ちた。
「あ、小銭が……」
「こ、小銭じゃと!」
パスクールの呟きにノムノンは悲鳴を上げながら立ち上がり、まるで熱い鉄板の上に立っているように足をじたばたさせた。
「ああ、申し訳ない。すぐ拾いますから」
パスクールは地面に散らばった硬貨を拾う。一通り拾い終わると手のひらでコインを確かめた。
「あれ? ミスリル銀貨が一枚無いなぁ。どこだろう」
パスクールはキョロキョロと床を見回す。
「あっ、そこにある。すみません、拾って貰えますか?」
ノムノンの足元を指差した。その瞬間。老人は跳び上がり断末魔のような悲鳴を上げた。
「ミスリル銀貨じゃと! ワシを殺す気か!!」
「ああ、ごめんなさい、見間違いでした。ちゃんとありました。良かった、良かった」
パスクールはにっこりと笑う。さっぱりとした実に爽やかな笑顔であった。
一方、ノムノンは怒髪天をつくがごとし、さながら部屋の角で煮える土鍋のごとく顔を真っ赤にして怒鳴った。
「出ていけぇ!!」
「一体、ニャんであんニャに怒ったのニャ?
意味がわからないニャ」
後ろでピシャリとしまった自動ドアを見やり、ニャミンは口を尖らせた。
「全くですね。
それより、あの御仁のミスリンさんへの憎悪はただならぬものがありましたよ。
殺意すら感じました。怪しくないですか?」
ブンナゲッタが人目をはばかるように小声で囁いた。
「ふんふん、ワタシもそう思ったニャ。
かなり怪しいニャ。パスクール様もそう思うニャ?」
「う~ん、どうだろう。あれは憎んでいたのとはちょっと違うかな。怖がっていた、と言うべきだね」
「怖がる? あっ! 確かゴーレムって魔法が効きにくいから魔法使いの天敵って聞いたことあります。ミスリンさんは、神秘金属製だから魔法はほとんど受け付けないでしょうね。
魔法使いのノムノンさんから見ると確かに怖い存在ですよね」
ブンナゲッタは納得したようにうんうんと何度も頷いた。
「……まあ、そのことはいいさ。
で、次は?」
「えっと、次が最後です。
ラブクラウドさん、ですね。小説家さんのようです」
2023/04/09 初稿