b 某所、観測者より
「……もう、終わりかな」
少女が一人、椅子に座っている。
背丈は低く、華奢な肢体は真っ白な衣に包まれており、うつむくその相貌はつやのある白銀の長髪に遮られて見えない。
「時間がない」
彼女がいるのは、小さな、本当に小さな部屋だ。
少女の足で壁際を歩いて一周するのにもほとんど時間がかからないようなその部屋は、扉と窓が一つずつ、それ以外の壁のほぼすべてを書棚が占めている。
「時間も、強度も、ほとんど残ってない」
書棚を埋めるだけでは収まりきらない本が床に無造作に積まれて幾つもの山を成しており、それらに埋もれるようにして部屋の中央に小さなテーブルと、少女が掛けているものを含めたいくつかの布張りの椅子があった。
「ただ、ほんの僅かだけ……ただ、"あの子"がいる場所を保つだけしか、できない」
少女の言葉に返す者はいない。
部屋の中で一人、相手もいない中で語られるそれは、単語の一つ一つを自身に確かめさせるような、刻み込むようなものであった。
「でも……でも、まだ、やめない」
少女は、ただ一点だけを見つめている。
長髪と、それが生み出す影によって表情は読み取れないが、隙間から除く瞳だけは、まっすぐな光を宿して"それ"へと向けられていた。
「やめるわけには、いかない。それだけが、わたしが、"あの子"と交わした約束だから」
"それ"は、端的に表現するならば光の球だ。
木枠の窓の向こうは底の知れない闇で満ち、ランプなどの類もない室内で、唯一の光源。
少女の両手に収まる程度の大きさのそれは、その時々で明るさを変えながら、テーブルの上でわずかに浮かんでいる。
「もう、どうしようもないけど。誰も、何もできなくても……できたとして、どうにもならないところまで、きちゃったけれど」
それでも、と。
少女はつぶやいて、両手を掲げる。
その小さな手のひらを、光の球を包み込むように広げたところで、
「あっ……」
何かに気づいたように、小さく動揺の声を洩らし、少女は、その動作を止める。
次いで、顔を上げる。
光の球体からそれた視線は、その向こう側、テーブルを挟んで彼女と向かい合う位置へと定められる。
少女の目から、緊張が解れていく。
笑んでいるような、安堵したようなそれは、しかし自身が抱く感情という意味だけでなく、彼女のが今、向かい合っている相手--今しがた現れた"来訪者"にも促すものだ。
「よく、来てくれたね」
少女は、語り掛ける。
優しく、温かく、"来客"を歓迎するように。
「わたしは、あなたが今まで生きてきた日々を、ここに来た"理由"を知らない。けれど、この場所に来られたあなたの"これまで"が、とても、とても大変だったということだけは、知ってる」
滑らかに並べられる少女の言葉は、それまでにも何度となく口にしてきたように淀みがなく、しかし定型文を読み上げるような事務的な風でもない、心から紡がれるものだった。
「これから、あなたは、今までとは別のあなたになる」
「残念だけど、"ここ"に来たからといって、必ずしもあなたが幸せになれるとは限らない」
躊躇いがちに。
だけど、確かな決意をもって、少女は"来訪者"に語り掛ける。
「"ここ"でこうしてあなたを迎えているわけだけれど、残念ながらわたしにはあまり力が無いの」
「ごめんね、あなたを幸せにできなくて。
幸せにできないまま、幸せにする約束もできないまま、あなたを送り出すしなかなくて」
それでも、と。
そう口にした直後、"来訪者"の背後にある木の扉が軋む音を立てながら、ゆっくりと外へと開き始める。
「これだけは、言える。
今までも、これからも、誰に否定されても、少なくとも私だけが、あなたに言える言葉」
すぅ、と息を吸って。
今までよりも晴れやかな笑顔を浮かべて。
送り出すための言葉を、少女は口にする。
「ようこそ、この世界へ。わたしたちは、あなたを歓迎する」
これは、終わりが確約されたお話。
朽ち行く世界と、 の物語だ。