二話 大移動に備えよう
「へぇ~、素敵じゃないですか」
朝の回収に来たカリヤが、心底嬉しそうな声を出す。
まだまだ暑いからだろう、相変わらず作業着だけの薄着だ。とはいえ、厚着嫌いだからいつもギリギリの時期まであの格好らしい。
「はっ、素敵か」
ずいぶんと子供っぽい言葉だと、口で転がしていた煙を吹き出した。
「ちょ──笑わないでくださいよ」
カリヤが作業する手を止めて俺に向き直った。
「だって今時そんなに紳士的な人いませんよ?」
「ずいぶんと肩を持つな。ははあ、さては"ほの字"か」
あの親切馬鹿が初めて来たときは、100年穴蔵で暮らしたような風体だったが、ちゃんと身なりを整えてみればそれなりに整った顔をしていた。
いかにもカリヤのような年頃の娘が好みそうな、こう、“しゅっとした”というか。そういうやつだ。
この辺じゃ若い色男なんか夢のまた夢だから、まあ若い娘が真っ先に目をつけるのも分かる。
「もうっ、おじさん臭いですよっ」
カリヤが珍しくむきになっている。図星のようだ。
「歳相応の臭いだ。我慢してくれ」
「あーあ、もう知らないですっ。私はもう行きますからねっ」
「あぁ、お疲れさん」
足音が、いつもより足早に裏口へ向かっていって──止まった。
「あっ、そうだスティーブさん」
不意に声をかけられ、座ったままで体をねじって振り向く。
カリヤは、打って変わっていつも通り調子に戻っている。切り替えの早いことだ。
「今年の“大移動”、もう始まりそうらしいですよ」
「もうか? 今年はずいぶんと早いな」
「中央の方で、早起きさんがもう何匹か確認されてるみたいなんです。今シーズンは早めに打ち止めした方が良いかもですよ」
「……そうだな。だいぶ早えが、明日からにすっかなぁ。ご通達どうも」
「いえいえ、メンバーの方たちにも伝えといてくださいね」
「あぁ、特にアイツにはよく言っておく」
カリヤは分かりやすく、表情をパッと明るくした。
「はいっ、ボーさんってまだ大移動の経験ないんでしたよね」
「そう言ってたぜ。俺がずいぶん前に言ったこともよく覚えてるもんだ。ははっ」
笑い飛ばすとカリヤの顔が真っ赤に染まって、あっかんべーをして出ていった。
……あっかんべーか。あいつも大概にオバサン臭えな。
──────────
「大移動、ですか。ずいぶん前にもその言葉を聞きましたね」
いつも通り、安いものしか受けないクセに依頼表をまじまじと読み込むボーだったが、俺の言葉に顔を上げた。
「そうだ。詳しくは知らねえだろうから教えてやる」
そろそろ良いかと、灰を落とす。
「といっても、モンスターやら動物やらが固まって大陸を移動するってだけだがな。季節の変わり目の風物詩ってやつだ」
「なるほど……依頼の受諾にはどう影響するんです?」
「飲み込みが早ぇじゃねぇか」
話題に出したという所で、そこに影響すると察したようだ。……まぁ、察しが良いから親切なんざしているんだろうがな。
「ギルドマスターである俺の独断で、依頼の受諾を打ち切りにできる」
「困ります」
案の定、彼は即答する。だが大移動には当然、凶暴なモンスターだってたんまりといる。コイツはそこそこ強いと聞くが、行かせるわけにはいかない。
「あぁ。お前、蓄え無さそうだしな。……安心しな。しょっぱいが、ちゃんと手当は出る。それで食いもん買って、家でお寝んねしてりゃいい」
それを聞いても、不満げな顔は消えなかった。
「依頼主さんが困ります」
「……そういや、そういうやつだったな」
全く、訳がわからない程に献身的なことだ。命だろうが喜んで差し出すかもな。
呆れきって、俺は葉巻から煙を口に含んだ。しばらく弄んで、言葉と共に吐く。
「困りますったってよ、大移動があることぐらい依頼主は百も承知だろうが。それでお前が無理してくたばったら、依頼主はどう思う?」
「……オレは大丈夫ですよ。対群でも一対一でも負けません」
親切屋の口から意外な言葉が飛び出した。
……まぁ、コイツも若いしな。今までがずいぶんと大人びていたってだけか。
「──ったく、大移動を舐めるじゃねぇよ若いの。そう言って何人も馬鹿がフィールドに出て死んだ。だからこそ打ち切り制度ができたんだぜ」
ガキが襲われてるってぐらいの理由でもなきゃ、ギルドマスターとして行って良いとは言わねえよ。そう言うだけ言って、また葉巻を吸う。
「そう、ですね…………」
張りの無い声を出す。コイツのこんなしょげ腐った顔は初めてだな。
「はぁ、止めろ辛気臭え……ったく。じゃあ、この仕事をやってくれねえか」
横にある棚から、紙の束を取り出す。大移動による依頼受諾禁止期間を知らせる通知書だった。
「禁止期間は明日から1週間だ。日付書いて町中の奴らに届けてくれ。机はそこのを使え」
「──! えぇ、任せてください」
今度はカリヤのようにパッと顔を明るくした。ミステリアスな風体で分かりやすい奴とは、一周回って分からねえヤツだな。
親切馬鹿が紙の束を持って、適当な机に座った。ペンを取り、熱心に日付を入れ始めた。
……。
…………。
………………はぁ。
ペンを取ってカウンターを抜け、馬鹿の隣に座ると、彼は俺を見た。
「……暇だからな。届けるのはお前一人でやってくれ」
「えぇ、もちろんです」
「……言い忘れてたが、タダ働きだ」
「元からそのつもりです」
平然と答える。皮肉じゃあなく、コイツは本気なのだろう。
「…………ったく。調子狂うぜ」
「葉巻の吸いすぎです。咥えたままこっちに来るなんて、身体に悪いですよ」
いつもカリヤが言う台詞。
やっぱりコイツら、中々にお似合いじゃねえのか。
「うるせぇよ」
「あはは……」
会話が切れ、二人で黙々と日付を書き入れていく。
彼はどうやらコツを掴んだようで、結構な早さで書類をさばき始めた。
「……スティーブさん」
「ん?」
手を止めず返事をしたが、彼の手が止まっていることに気付いて顔を上げる。彼はいつになく真剣な目をしていた。
「折り入って、相談があるんです」
「どうした」
「…………迷っていることがあるんです」
ずいぶんと勿体ぶっている。意外だが、この親切バカにも人並みの悩みはあるもんだな。
「言いな。そこまで出かかって何でもないですなんて言ってみろ。気になってまた寝不足になっちまうぜ」
「ありがとうございます。ではスティーブさん──」
親切屋は言葉を区切る。さて、どれだけ深刻な悩みをぶちまけてくるかな。
「──“冒険者の親切屋です”と“親切屋の冒険者です”のどっちが良いと思いますか?」
「………………あぁぁん?」
本当に意味が分からず、なんとも言えない声を出してしまう。
「ですから、挨拶です。どっちの方が自然に聞こえます?」
なんというか、もはや呆れもしない。真剣になった時間を返しやがれと、心の中で悪態をつきながら作業に戻った。
「あ、酷いです……オレは真剣なんですよ」
「……どっちが主体だ? 主体が最後で良いだろ」
「それが決まらないんです」
「冒険者ってのがお気に入りなんだろ。ボロの手帳を大事にしてやがるんだからよ」
「ええ、冒険者にはずっと憧れてましたから。でも、親切屋も同じくらい好きなんです」
「そんなに気に入ったのか。ありゃ皮肉だぜ」
また彼の顔を見る。困ったような、それでいて優しげに微笑んでいた。
「皮肉は、的を射ているから皮肉なんでしょう」
「うるせぇよ。じゃあ、これからは親切屋って呼んでやるよ。ボー・ケンシャとかいう間抜けな偽名よりゃマシだ」
彼は破顔した。名を偽っていたことがバレたというのに、慌てている様子は全くなかった。
「あはは、バレちゃってましたか……。ありがとうございます、スティーブさん」
「口より手だ。とっとと終らせちまいな、親切屋」
明日と、それから1週間後の日付を書きながら、親切屋が手を動かし始めるのを見ていた。