ロバーツ報告と世論
真珠湾におけるアメリカ軍の損害は、ルーズベルト大統領の想像をはるかに超えて甚大なものでした。
戦 艦 四隻沈没
一隻座礁
三隻損傷
軽 巡 三隻損傷
駆逐艦 三隻座礁
航空機 損失百八十八機
損傷百五十九機
戦 死 二千三百三十四名
日本海軍航空隊の精強さが証明されたと言うべきでしょう。この事実にアメリカの国民世論が激昂しました。
「あの小さい、遅れた日本が、近眼のパイロットと三流の飛行機によって、なぜこうも見事にわれわれをやっつけたのか?陸軍も海軍も、なぜ、ぼんやりしていたのか?いったい責任者は誰か?」
もちろん責任者はルーズベルト大統領です。国家の最高責任者ですし、参戦のための謀略を働いたのですから。以後、ルーズベルト大統領は懸命に謀略の事実を隠そうとします。
参戦するために日本軍に初弾を撃たせるというルーズベルト大統領の謀略は成功しました。もし、真珠湾の損害が軽微であれば、誰も責任をとる必要はなかったでしょう。しかし、主力戦艦がほぼ壊滅させられるという甚大な損害が出たため、何者かに責任をとらせる必要が出てきました。参戦の謀略を隠蔽するために新たな謀略が必要となったわけです。何者かをスケープ・ゴートとし、すべての責任を負わせるのです。
十二月十一日、記者会見に応じたルーズベルト大統領は記者たちの厳しい追及にタジタジとなりました。
「いまはともかくノックス海軍長官の報告を待つ。すべてはそれからです」
十四日、ハワイから戻ったノックス海軍長官は、ルーズベルト大統領に報告しました。
「キンメル大将もショート中将も事前に何も知らされていませんでした。このため陸海軍双方ともに即応態勢がなかったのです」
ノックス海軍長官の報告は正確でした。それにしても、すべてを知っていながら実に空々しい報告をしたものです。
翌十五日の朝、ルーズベルト大統領はノックス海軍長官、スチムソン陸軍長官、ハル国務長官を呼び、指示しました。
「陸海軍それぞれ別個に会見するように。いいか、これ以外は絶対にしゃべってはならんぞ」
そう言ってルーズベルト大統領は、陸海軍長官にそれぞれメモを手渡しました。この日、ノックス海軍長官は会見し、次のように述べました。
「陸海軍はハワイに対する空からの奇襲に即応態勢をとっていなかった。ただちにこの件について大統領の命令による公式調査がおこなわれる。調査対象は、わが軍に判断の誤りがあったかどうか、奇襲前に職務怠慢があったかどうかに絞られる」
スチムソン陸軍長官も会見して同様の声明を発表しました。
十六日、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、ルーズベルト大統領は会談し、ハワイのキンメル大将とショート中将を交代させることを決定しました。新たな謀略が始まったのです。
十二月十八日、最高裁判事ロバーツを委員長とするロバーツ調査委員会が設立され、調査が始まりました。ルーズベルト政権の迅速な対応といえますが、この迅速さは世論への火消しと責任転嫁のためであり、真実追究のためではありませんでした。
ロバーツ委員会では、証言に際しての宣誓が行われておらず、速記者の能力も拙劣でした。また、証人尋問は非公開で行われました。戦時中でしたから、やむを得なかったのかもしれませんが、それにしても疑問符の多い委員会運営でした。
ロバーツ委員会はワシントンからハワイへ飛び、キンメル大将とショート中将から証言を得ました。その際、キンメル大将は証拠を提出しようとしましたが、その受け取りをロバーツ委員会は拒絶しました。ワシントンでは、マーシャル参謀総長のほか、陸海軍情報部で暗号解読に携わっていた士官たちが証言しました。
一九四二年(昭和十七)一月二十一日、ロバーツ委員会は早くも最終報告案の議論に入りました。委員会内の意見は割れました。ハワイのキンメル大将とショート中将に責任があるとする意見が一方にあり、他方、ワシントンにも同等の責任があるという意見が出ました。結局、意見はまとまりませんでした。このためロバーツ委員長が報告書を起草し、二十三日、ルーズベルト大統領に報告しました。
ロバーツ委員長の結論は、ハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク海軍作戦部長らに落ち度はなく、ハワイに対して必要な情報を提供し、必要な指示命令を出していたとしました。そして、真珠湾事件の全責任はキンメル大将とショート中将にあるとしました。
「彼らは奇襲に備えるべき対策をとっていなかった」
報告書案を読んだルーズベルト大統領は了解し、「明日の新聞に全文載せるように」と指示しました。
翌二十四日、ロバーツ委員会報告が新聞に発表されました。早急に調査委員会を設置し、はやばやと調査結果を公開したルーズベルト政権に対して世論は好意を持ちました。おかげで参戦の陰謀を働いたルーズベルト大統領と五人の共同謀議者は火消しに成功したかに見えました。
ところが思わぬ副作用が起こりました。職務怠慢とされたキンメル大将とショート中将に対する激しい非難が国論を沸騰させたのです。
「キンメルとショートを処罰せよ」
「軍法会議を開け」
「ふたりを死刑にせよ」
ホワイトハウスには数多くの手紙と電報が届き、絶えることがありません。アメリカの法律では軍法会議は公開で行われます。軍法会議でキンメル大将やショート中将が真実を証言したら、ルーズベルト大統領らが画策した参戦の陰謀が暴露されかねません。ルーズベルト大統領は火消しに失敗したのです。
また、一部の識者はロバーツ報告に対してつよい疑問を感じていました。ロバーツ委員会の委員だったスタンドリー提督もそのひとりでしたし、現役のリチャードソン提督やハルゼー提督もロバーツ報告に否定的でした。さらに、暗号解読の現場にいた士官の中にもロバーツ報告に疑義を感じる者がいました。
ロバーツ報告のせいで世間の非難を一身に浴びることとなったキンメル大将とショート中将の不遇は表現のしようもありません。まさに濡れ衣です。それでも、ふたりの将軍は国家に対する忠誠心を失っていませんでした。ふたりは辞表を上官に郵送し、「自由に使ってくれて構わない」と書き添えました。その上官とは、スターク海軍作戦部長とマーシャル参謀総長です。陰謀の共同謀議者です。
ルーズベルト大統領の意に反し、ロバーツ報告はアメリカ世論をむしろ大喚起してしまいました。責任者たるキンメル大将とショート中将を軍法会議にかけて処罰せよという意見、ワシントン政府にも責任があるのではないかと疑う意見、ロバーツ報告は不充分だからさらに調べて真相を解明せよという意見など、議論が百出してしまったのです。
二月になると新聞各紙や雑誌が真珠湾事件の特集を組み、ロバーツ報告への疑義を掲載するようになりました。キンメル大将とショート中将への同情論も浮上してきました。こうした世論をうけ、連邦議会では真相解明の調査委員会設置の動議が提出されました。しかし、この動議は多数派の与党民主党が抑え込みました。
ルーズベルト政権は、二月中旬にキンメル大将とショート中将を秘かに退役させました。アメリカ陸海軍がこの事実を公表したのは二月二十八日です。
「陸海軍はキンメルとショートを職務怠慢で起訴すべく準備中であり、その時期は適切な時期まで延期する」
ルーズベルト大統領としては、真珠湾事件をこれで決着させたいところでした。ところが、この発表に全米が憤激しました。
「死刑にしても当然なのに、なぜキンメルとショートをかばうのか。彼らの怠慢のためにわれわれが被った屈辱をどうしてくれる」
抗議がホワイトハウスに殺到しました。同時に、キンメルとショートに対する同情論も湧き上がり、さらに真相究明を求める声がどんどん大きくなりました。ルーズベルト大統領は頭を抱えます。参戦の口実としては好都合だった真珠湾の大損害は、アメリカ世論を大興奮させてしまい、真相究明と責任者の処分をしないでは済まなくなったのです。ルーズベルト大統領が自分を守るためには、キンメルとショートに罪をかぶせるほかありません。
ルーズベルト大統領は軽挙妄動しませんでした。戦争遂行中であることが都合の良い言い訳となりました。マスメディアと国民の関心も、真珠湾事件の真相よりは、むしろ戦争の勝敗の方に向かいました。
ロバーツ報告が公表されて以来、キンメル海軍大将はアメリカ国民からの圧倒的な誹謗中傷に曝されてづけています。しかも、海軍からは沈黙するように示唆されていました。キンメル大将は素直に海軍の指示に従い、非難の嵐に耐え続けますが、やがて態度を変えます。ハワイの太平洋艦隊司令部がワシントンよって情報遮断され、重要な情報を与えられていなかったことに気づいたからです。法廷の場で争うことを決意したキンメル大将は弁護士を雇い、証拠を収集し、証言してくれる証人を探しました。キンメル大将は、太平洋上で日本海軍と戦う機会を与えられませんでしたが、日本海軍よりもはるかに手強いルーズベルト政権に挑むことになりました。
ワシントンの海軍省情報部に勤めているサフォード大佐は暗号解読の専門家です。サフォード大佐はロバーツ報告に納得していませんでした。
真珠湾奇襲の前、十二月四日未明、サフォード大佐の部下が日本領事館向けの暗号メッセージであるウインド・メッセージを傍受し、その意味を解読しました。部下から報告を受けたサフォード大佐は、その暗号を上司に報告しました。その報告は当然にハワイに伝えられるだろうとサフォード大佐は思っていました。
真珠湾が日本軍の奇襲を受けて大損害を被ったと聞いたとき、サフォード大佐はキンメル大将を罵りました。
(なぜだ。海軍情報部から事前に警告がハワイに伝えられていたはずだ。なぜキンメル大将は警戒していなかったのか)
ところが、サフォード大佐が改めて調べてみると、重要な暗号電文がハワイに報告されていなかったことがわかりました。それどころか、本来なら保管されているはずの暗号記録が金庫から消えています。
(なにかがおかしい。いつかキンメル大将のために証言する日が来るだろう)
そう感じたサフォード大佐は、任務のかたわら、真珠湾関係の暗号書類を探し集め、信頼できる部下や同僚に会ったり、書簡を送ったりして事実関係を確かめました。
そんなサフォード大佐は、過去にキンメル大将から恩義を受けたことがありました。キンメルが艦長をつとめる軍艦で砲術士官をしていたサフォードは、その指揮ぶりが御世辞にも良好とは言えませんでした。艦長のキンメルはサフォードに率直に言いました。
「君は大砲をぶっ放す仕事はやめた方が良い。わたしが君に合った部署を見つけてやろう」
こうしてサフォードは情報部で暗号解読の仕事に就き、メキメキと実力を発揮し、初代通信保安課長になりました。その後、サフォード大佐はアメリカ海軍に絶大な貢献をします。ドイツ海軍や日本海軍の暗号を解読することにより、Uボート艦隊を撃滅し、ミッドウェイ海戦の勝利を招き寄せるのです。部下の適性を見抜いたキンメルの眼力は確かでした。
第二次世界大戦の戦況は、連合国の圧倒的な優勢へと転換していきました。ロバーツ報告が出た後、真珠湾事件に関して沈黙をとおしてきたルーズベルト政権は、一九四四年(昭和十九)二月十二日に至り、ふたたび真珠湾事件に触れます。ノックス海軍長官が退役海軍大将ハートに対し「真珠湾関係の証人を調べ、宣誓のうえ口述をとれ」と命じたのです。こうして海軍省内にハート機関が設置されました。
この年の大統領選挙でルーズベルト大統領は四選を目指していました。真珠湾事件の真相を究明しているというポーズをとり、有権者の支持を集めたいところです。
海軍省がハート機関を設置したことはキンメル大将にとってもサフォード大佐にとっても大きなニュースです。ながく沈黙を強いられてきたキンメル大将は公正な裁判を希望していました。また、サフォード大佐はいよいよ証言するときが来たと覚悟を決めました。
キンメルとサフォードは、二月二十一日、ニューヨークのキンメル事務所で久しぶりに再会しました。サフォード大佐は言います。
「キンメル提督は、海軍史上最も汚いフレームアップ(捏造)の犠牲者です。わたしはその証拠を握っています」
そう言ったサフォード大佐はさらに経緯を語ります。
「じつは、真珠湾攻撃の直後には、たいへん失礼ながら、わたしはキンメル提督の職務怠慢だと思ったのです。それは、通信局通信保安課で傍受して解読した暗号情報が、当然、ハワイにも伝えられていたはずだと思ったからです。不審に感じたわたしは、過去に解読した暗号の秘密ファイルを見直して驚嘆しました。解読した暗号がハワイに送られていなかったからです」
力強い証言者の出現をキンメル大将は喜び、サフォード大佐の話をメモしました。キンメル大将の弁護士は、サフォード大佐に次のことを依頼しました。本格的な調査がおこなわれるときに備え、傍受電報の存在と内容を確かめておくこと、そして、いざというときにはそれらを閲覧できるようにしておくことなどです。サフォード大佐は簡単に了解しましたが、悪くすれば軍歴に傷を付けかねない行為です。なにしろ政権に刃向かうのですから。キンメル大将は得がたい味方を得たと言えます。
この日、キンメル大将は弁護士と相談のうえ、ノックス海軍長官に宛てた書簡を書き、ハート機関の調査に対する不満を述べました。
「わたしは一日もはやく公開の裁判が開かれ、わたしがいかなる容疑のために告発されているのかを知りたいのです。知る権利があると信じています。いまだに軍法会議開廷の気配がありません。ハート提督による調査は、自由かつ公開のものではなく、わたしが受けるべき裁判とは性格を異にします」
ノックス海軍長官からの返事は翌三月に届きました。
「現時点では速やかに公開の裁判を開くことは国益から見て不可能です。このことをご承知おき願いたい。できればハート提督の調査に協力して欲しい」
キンメル大将は、さらに手紙を書き、協力できない理由をノックス海軍長官に訴えました。
「証言を聞くだけというのは不適切です。起訴事実さえ示されない状態では、何を証拠にしてよいのかわからないし、反対尋問が不可能です。また、調査対象は陸軍や文官にまでも及ぶべきです」
しかし、ノックス海軍長官からは重ねて公開の軍事法廷を開くことはできないと伝えてきました。キンメル大将は、ハート機関の調査に協力しないと決めました。だた、サフォード大佐には証言するよう依頼しました。サフォード大佐の証言に対する政権側の態度を見定めることで、ルーズベルト大統領の意図がわかると判断したからです。