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3‐30

 ――血が騒ぐ。

 これが望んでいた戦いだと、黒い心臓が激しく脈動する。

 英雄とは魔王を討つ者。そのために生み出されたルクス達は、今こそ本懐を遂げるために限界以上の力を引き出そうとしていた。


「ルクス、無理はするな」

「うん、大丈夫……!」


 ベオの炎が辺りを焦がし、ルクスが残った敵を掃討する。


「随分と倒したが……これからどうする?」

「……何も考えてない」

「そんなことだろうと思った」


 呆れ顔でベオが溜息を吐いた。


「……だが、これはチャンスでもあるな。外側から攻めるのは骨が折れるが、中からならば脆いかも知れん。……とは言え、ただここでこいつらを倒しているだけではな」

「……その心配はないみたいだよ」


 ルクス達を包囲していた屍の兵達が、糸の切れた人形のように、一斉に崩れ落ちて闇の中に溶け消えた。

 暗闇の奥、目を凝らしても見えないほどの黒い世界。

 そこに何かがいた。


「……そうだな。どうやらここがこいつの心臓か」


 闇の中から足音がする。

 金属の擦れる音と、肉が潰れるような異音が入り混じり、耳を塞ぎたくなるような不協和音が木霊する。


『……喰わせろ』


 魔王の心臓は形を変え、侵入者を抹殺するために動きだした。

 その姿は本来想定されたものではない。最初に蒔かれた種子はこんな形をしていなかった。

 恐らくは自分が無差別に喰らったものを繋ぎ合わせ、ルクス達を真似て生み出した偽りの姿。

 次第にそれはルクス達の視界へと近付いてくる。

 金属と生物が入り混じった、黒い異形の鎧に身を包んだ騎士のような姿で、魔王はルクス達の目の前に現れた。


『アァ』


 呻きのような声が顔を覆い隠す兜から漏れる。


『腹が減った、疲れた、痛い、苦しい、悲しい。わたしの子供は、お母さんは』


 延々と垂れ流されるのは、この魔王の元となった怨みの声だろうか。

 既にその言葉に意味はなく、ただ彼等の今際の叫びを代弁するだけ。

 鎧の隙間から覗く脈打つ赤黒い肉の部分が、それがこの空間の心臓部であることをルクス達に伝えていた。

 魔王の腕が震え、何かが砕けるような異音と共に形を変えて剣のようなものへと変化していき、ルクス達へとその兜の正面を向けた。


「……早いっ! ベオは下がって!」


 なんとか剣の一撃をルクスは受け止める。

 近くに寄った魔王は、ルクスにとっては見上げるほどの巨大だ。その体重を乗せた斬撃だけで、容赦なくルクスの防御を崩しにかかる。

 そしてベオの魔法も、後何発も撃てるものではない。ルクスの言いたいことがわかってか、ベオは文句を言わず指示に従った。


『英雄、英雄! 英雄ううぅぅぅ!』


 何度も無茶苦茶に繰り出される斬撃を、辛うじて受け流す。

 黒の剣は紅く輝き、心臓と同調して力を与えてくれていた。

 剣撃がぶつかり合い、火花が散る度に、兜の下から呪詛の声が響いてくる。

 自分達を迫害し使い捨てた人間達、戦場で救ってくれなかった英雄達、そして何よりも魔王戦役に乗じて反乱を企てた亜人の先代達に対して。

 自分達ではどうしようもないほどに強大な力、そして抗えない流れ、それらに流されてしまった者達の苦しみと嘆きがこの魔王をここまで成長させていた。

 間隙を突き、魔王の肉の部分を斬りつける。

 最早血すらも流れないその身体に出血はなく、霧のような靄が流れだすだけ。

 肉体を失い、本来の姿すら見失い、溶け合って混じり、そうなってもなお消えないほどの憎悪の炎。

 今ルクスが対峙しているとは、そう言うものだった。


「……うん、そうだね。もし圧倒的な力と恐怖で人間達を脅かすのなら、こいつは間違いなく魔王だ」

『どうして! どうしてだ! どうして殺される! 何故壊される! 何故誰も助けてくれない!』


 意味なき言葉が闇の中に木霊する。

 巨体の横へ回り込もうとすると、もう片方の手からも剣を出現させ、回転するように振り回す。

 その刃はルクスを掠め、軽装鎧を簡単に切り裂いて傷を付ける。


「まだ浅い!」

『何故!』


 相手が空ぶった隙に、ルクスは身体を蹴り上げる。

 上空から真っ直ぐに、兜に向けて剣を振り下ろす。

 硬い感触がして、兜の一部が砕ける。

 最早頭部とは呼べない肉の塊の中、目のような紅い光がルクスを見据えていた。


『何故貴様は!』


 この言葉に意味はあるのか、それともただ声すら失った誰かの言葉を繰り返しているだけなのか。

 魔王の両肩から腕が生えて、硬い無数の棘が付いた裏拳がルクスの腹を殴り飛ばす。

 目を見開き、ルクスの身体が吹き飛ぶ。内臓が傷ついたのか口からは堪え切れず血が溢れ、暗い闇の中に染み込んでいった。

 ルクスはベオに一瞬だけ視線を送る。動きかけた彼女は、小さく頷いた。

 まだ戦いは終わっていない。地面に手を突いて、呻き声を上げながらも立ち上がる。

 魔王はこちらを見た、四つの腕を威嚇するように広げて、ルクスに止めを刺すために近付いてくる。


「……僕はまだ折れてない」


 誰の目にも止まらない闇の中、延々と互いの剣が交差する。

 音は響くが、外には聞こえない。ここで繰り広げられている戦いも、ベオ以外の誰にも見られることはない。

 魔王再誕に幕を開いた戦いの締めくくりは、人の記録どころか記憶にすらも残らない場所で行われていた。

 ルクスの剣が鎧を砕き、魔王の剣がルクスの身体を傷つけ血塗れにしていく。

 互いに歪み切った生命。

 生き物の胎からも生まれられなかった偽りの英雄と偽りの魔王の剣が、幾度も幾度も鈍い音を立ててぶつかり合う。


「一つ!」


 魔王の動きが鈍る。それは恐らく、外側での戦いの影響なのだろう。外と内での戦闘は、魔王の肉体を少しずつではあるが確実に傷つけていた。

 腕の一本を斬り落とす。痛みによる呻きもないが、再生もない。

 こんな醜い無様な戦いが他にあるだろうか。

 英雄が繰り広げる雄々しく煌びやかな戦いではなく、闇の世界で行われている、世界から弾きだされた者達の死闘。

 だが、ルクスの表情に悲壮はない。

 むしろ笑っていた。


「……僕は君を救うこともできない」


 魔獣の時と同じ。

 この呪詛を解き放つ方法を、彼等を救うやり方をルクスは知らない。

 振り下ろされた剣を避ける。

 薙ぎ払われたもう片方を弾く。

 本命の拳がルクスの身体を掠める。

 無数に生えた刃がルクスの身体を傷つけるが、痛みは今の彼を押し留める理由にならない。


「二つ!」


 三本目の腕が肘の辺りから切断され、闇の中に溶けて消えた。

 魔王は引くことを知らない。本能のままに、自分の滅びも厭わずに暴れることだけが彼に残された最後の足掻き。

 ルクスが踏み込む。


『貴様は、貴様も』


 紅い眼光が揺らぐ。

 或いは彼は、ルクスに何かを感じ入ってしまったのかも知れない。

 同じく偽り、英雄でも魔王でも、人間でも亜人でもないこの世界から半ば切り離された者同士として。


『貴様も……!』

「僕は!」


 硬い音が響く。

 鎧の胴体部分を、黒の剣が袈裟懸けに斬りつける。


『同じ』

 だがそれは鎧の表面を削り取っただけで、致命傷には至らない。

 ルクスが離れるよりも早く、魔王の両腕の剣が彼を斬りつける。

 懐で上手く身をかわし直撃は避けたものの、両の刃はルクスを深く斬りつけ、肩と腹から鮮血が飛び散った。

 ルクスがここにこうしているのは運がよかっただけの話だ。

 偶然心臓が適合し生きながらえ、アレクシスに救われて、その後の人生もなんとか生き延びることができた。

 何処か一つでも歯車がかみ合わなければ、ルクスもこの憎悪の中の一人だったかも知れない。

 更に前進。

 魔王が次の一撃を繰り出すよりも早く、大きく引いた黒の剣を、鎧と肉の混じりあう腹部の隙間へと捩じり込むように突き入れた。


『はずなのに』

「君を超えて、英雄になる」


 限界まで突き入れた剣を、引き抜いた。

 鎧は砕け、肉には穴が開き、それでも魔王は止まらない。

 足元がふらついたルクスを眼光が射抜き、止めを刺すために両手の剣を大きく振り上げる。

 その隙が、魔王の命取りとなった。


「よくやった」


 少女の声がすぐ傍でする。

 炎に焼けた細腕が、ルクスが今しがた空けた穴へと思いっきり突きこまれた。


「馬鹿め。私なんぞを喰おうとするから、食あたりじゃすまんぞ」


 紅い光が爆ぜる。

 不浄を焼き尽くす炎がベオの掌から、魔王の鎧の中へと全力で放たれた。

 魔王の動きが止まり、その隙にルクスはベオを引っ張るようにして距離を取る。


『お、おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』


 内部から肉が爆ぜ、鎧が砕け、絶叫が木霊する。

 無限に響き渡るその声は最初は苦痛によるものだったが、次第に声に澄んだものが交じっていく。


「炎による浄化か」


 ベオがそんなことを言った。

 腐った肉体は焼け落ち、囚われた魂達は明々として炎によって導かれるように、本来あるべき所へと還っていく。

 巨体が揺れる度に、腕や足などが炭のようににぼろぼろと崩れていく。

 次第に本来の姿すらも失い、立てなくなっていく魔王。

 完全に倒れる刹那、赤い眼光が細められ、ルクスの方に向けられた。


『……ありがとう、英雄よ』


 幾つもの声が重なる。

 その言葉を最後に魔王の肉体は崩れ、闇の中へと溶けるように消えていく。

 同時に、魔王の体内であるこの世界もまた、消滅しようとしていた。

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