3‐26
飲み込まれて落ちた先は、何もない暗黒の世界だった。
仰向けに倒れているベオの背中には、真っ暗な闇ばかりが広がっている。
視界を下げて見ても、足元には何もない。辛うじて靴越しに伝わってくる感触から地面があることはわかるが、程なくしてそれもわからなくなってしまうことだろう。
上も下もない、虚無の世界。その中で怨嗟の叫びと悲鳴だけが、耳の奥にこびりつくように響いていた。
だが、ベオはもうここが何処であるかを探るつもりもなかった。
周りを這いずる何かの音にも恐れることはなく、ただ最期の時を待っている。
予想は現実だった。
嫌な予感は真実となって、ベオに諦めという感情を思い起こさせた。
魔王だったのだ、彼女は。
自分が魔王ベーオヴォルフだと、そう信じていた。だから戯れに人造兵の少年を救い、彼を導こうとしていた。
「……違うな」
あの時、ベオは必死でルクスを庇った。
自分の命も顧みず、単なる戯れと割り切ることもせず。自分自身がどうなってもいいからと、彼と魔王の間に立ち塞がってしまった。
魔王ベーオヴォルフが、そんなことをするわけがない。
力を失っていたとしても、少女の姿で戯れをしていたとしても、そうであるはずがない。
違うかも知れないという予想は立っていた。だから覚悟もしていたはずだった。
しかし、意外な場面で自らを否定してしまった衝撃は、ベオにとっては思っていた以上に大きなものだった。
たった一人の少年と自分の命を天秤に掛けてしまった時点で、ベオはもう決定的に『彼』ではなかった。
だから、ここにいるのは名も無き少女だ。
自分が何者であるかもわからず、価値すらも失った哀れな少女。
それが無謀にも英雄を目指す少年を導こうなど、おこがましいにもほどがある。
最早やるべきことは終わった。『何者』でもなくなってしまった少女は、せめて彼の命を一度救うという役割を果たして、全ての仕事を終えたのだった。
「上出来だろう、私にしては」
何もない世界に解き放たれた少女は、自らの中にある記憶だけを頼りに存在を保っていた。
長年の封印に耐えられたのも、その記憶を元に作り上げた強大な自我があったからだ。
それを失った今、何もない彼女が生きていくにはこの世界は辛すぎる。
だからせめて最後の最後に。
結果的にとはいえ騙してしまった純粋な少年を助けられたことは、彼女にとって初めての、彼女自身の誇れる行いだった。
魔王ではなく、一人の少女として少年を助けられたから、もう悔いはない。
この程度で充分だろう。何せ、自分は『何者』でもないのだから。
そうやって諦めかけて、最期を悟って静かに目を閉じたその時に。
不意に遠くから声が聞こえたような気がした。
この暗闇の中、無限の煉獄のそこにある少女を呼ぶ声が。
まさかと思い顔を上げてる。
そうしてベオは、自らが馬鹿であったことを悟る。
――そうだ。
彼がそんなことで諦めるような人間ではなかったことを。
控えめに見えて、滅多なことでは意見を言わなくて、ベオが舵を取って流されるばかりな印象を周りに与えながら。
その実、彼は自分の意見を曲げない。
――少し考えて見ればわかることだ。
ベオが彼の命を助けたところで、そこで話が終わるわけがないと言うことを。
生き残った少年が何をするか、そんな簡単なことが今のベオには理解出来ていなかった。
後悔するべきなのだろう。
自らの愚かさを呪うところなのだろう。
「……馬鹿め」
空が開く。
光が差し込み、人影が見える。
よく見知った少年。
――だと言うのに、ベオは嬉しく思ってしまう。
彼が助けに来てくれたその事実を。




