3‐22
ゆっくりと。
まるで見せつけるように、魔王がその腕のように変化した部位を持ち上げる。
どろりと粘着質な黒い泥が糸を引き、その場には何も残っていない。
近くでよく見ればその泥の中は思いの外透き通っていて、まるで水のように内部で何かが流れているようにも見えた。
そんな場違いなことを考えてしまう程度には、ルクスの思考は停止していた。
以前もこんなことがあった。
ベオはアディに呑まれて消えた。
しかしそれでも、ここまでルクスの心が塗りつぶされることはなかった。それはアディであったからだ。
今は違う。
目の前の『魔王』と呼ばれる存在は、ベオに対して一切の容赦をすることなどはない。単なる食料として、そのまま消化してしまうだろう。
ぎょろりと、魔王がルクスを見た。暗い闇の奥にある目のような器官が、こちらを覗いたような気がした。
まるで時が止まったような寒気がする。
同時に心臓が熱く燃えるように鼓動する。
魔王が脈動し身体を動かすたびに、半死半生の兵士達が悲鳴を上げて飲み込まれ、押し潰されては死んでいく。
英雄達が必死で武器を振るい、魔王の身体を削り取っていく。
だが、そんな光景を目の前にしても今のルクスには――。
「ルクス君!」
意外なことにその意識を取り戻させたのは、アディの声だった。
普段はか細い声が、力を持ってルクスの耳に届く。
それを聞いてようやく、自分がエリアスに支えられて立っていることも、周りで起こっていることも理解することができた。
「まだ大丈夫……多分」
「大丈夫……?」
「ベオちゃんは、まだ中にいる。あいつにとってベオちゃんはご馳走だから、簡単に消されたりしない」
「でも、どうすれば……?」
数多の英雄達が死力を尽くして戦っている。
それでも魔王は朽ちない。或いはこのまま戦い続ければいずれは倒せるのかも知れないが。そこにルクスの力が加わったところで、さしたる援護にもならないだろう。
「ベオちゃんは、中にいる」
繰り返すように、アディがそう告げる。
最後の選択をルクス自身に託すように。
魔王の中にある何かが、ルクスを見た。
その感覚には覚えがある。魔獣と戦った時に伝わってきた、『彼等』の痛みと悲しみだ。
「……わかった」
大きく頷く。
自分で言いだしたことながら、アディが小さく震えるのがわかった。
「エリアス、もう大丈夫。ありがとう」
そう言うと、ルクスを支えていたエリアスが離れていく。
「ルクス、お前……」
「あいつの中に入って、ベオを助ける」
「いやいやいや、周りを見て見ろよ、あいつの中に入ったらどうなるかなんて……!」
「僕は大丈夫。……確証はないけど」
ルクスの内側の何かも言っている。
奴を倒すための最善を尽くせと。そのために生み出されたのだろうと。
「……いや」
何かを言いかけて、エリアスはやめた。
「ああ、そうだな! そうだよな、そう言って無茶してやっちまうのがお前だよな」
バンと、強くエリアスがルクスの背を叩く。
「すまねぇ。俺は一緒には行けねえ。だけど、送り出してやることぐらいはできるから、だからちゃんとベオさんを連れてこいよ。……ついでに、この魔王を倒して『英雄』になっちまえ!」
何よりも心強い応援を貰うことができた。
「ルクス君、ちょっと待ってね。……今抉じ開けるから!」
アディの身体から染みだした闇が、錘のような形へと先端を尖らせていく。
それが勢いよく、魔王の身体へと突き立てられた。




