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3‐18

 異臭がする。

 そこは腐った海のような場所だった。

 ターラント樹海の奥、深い縦穴の洞窟。

 地上にぽっかりと口を開ける深い闇の奥には数え切れないほどの死の塊が転がっている。

 人間達はこの樹海で、魔法技術に必要な鉱石を獣人達に採掘されていた。

 栄養状態も悪く、強制労働を課された彼等の寿命は限りなく短い。

 しかしそれでも問題はない。これは生産性を期待してのことではない。アルテウルにはここ以外からも、充分な量の魔法鉱石が運び込まれている。

 では何故彼等がここまでの労働を課されるのか?


 罰だ。

 獣人達は以前、魔王戦役の際に魔王に味方し人間達に牙を剥いた。

 戦いが終わり、そうしたのは彼等の中のほんの一部であり、大半の亜人達に反抗の意思はなくお互いに平和に暮らして行こうと協定が結ばれた。

 それはあくまでも表向きの話。

 亜人達に村を焼かれ、家族を殺された人間達の憎悪はそんな話し合い一つで誰とも知らぬ者達の握手で消えるものではない。

 あの戦いで、どれだけの命が潰えたと思っている。

 どれだけの不幸が生まれ、生活が壊されたと思っている。

 その報いを知らしめなければならない。亜人達はまだ、自分達がかつてこの大陸に君臨し人間達を虐げていた時代を忘れることができていない。

 奴等は隙を見せれば、すぐに喉元に噛みついてくる獣だ。

 飼いならすだけでは甘い。徹底的に調教し、爪や牙の一本に至るまで抜き払わなければ安心することができない。

 だからこうして、徹底的に弾圧する。

 生きていられるだけでもありがたいと、人間に感謝するように。

 そうでなければ、また時代が巡り歴史が繰り返す。

 折角築いた人の文明が、人間達の営みが崩れてしまうかも知れないから。


 穴の底からはまだ生きているもののか細い呻きが聞こえてくるが、恐らく今夜一晩も持たずに命を落とし、そこに転がる死体の数よりも多い肢体を喰う虫達の栄養になることだろう。

 新鮮なものも腐ったものも、多くのご馳走を食べ続けた屍肉食虫達は小動物程度の大きさにまで成長しているものもいた。

 そんな暗闇の中を、覗き込む女が一人。

 襟首辺りまで伸びた黒髪の、涼しげな目元が特徴の女だ。

 明らかに人のものではない瞳孔を持つ紅い瞳を、特に感情もなく縦穴の奥に向けている。

 そこから発せられるとてもではないが普通ならば耐えられないほどの腐臭に表情一つ変えることなく立ち尽くす姿は、いっそ異様でもあった。


「人間とは愚かなものですね」


 女の形の良い唇から、そんな言葉が発せられた。


「こうして自ら、内側から己を食い破る憎悪を育て上げている。その結果、再び自分達が滅びの危機に晒されるかも知れないことも知らずに」


 女は薄く笑う。

 そんな人間達を、こうして互いに喰いあう亜人達を、それらを先導し事を成そうとする自らを嘲笑うように。


「もっとも、我等魔族もまたその円環に囚われて久しいのですが。あのお方が断ち切ろうとしたそれも、全ては泡沫」


 ぽとりと、その掌から何かが落ちる。

 穴の奥深くまで落下していったその、まるで黒い洞のような何かは、死体の一部に染み込みじわじわとその領域を広げていく。


「もう充分でしょう。積み上げられた死体の山は、言葉なく悲劇を語る。地の底に響く憎悪の声は、新たなる戦いの火種となる」


 穴の内部から粘着質な音が響く。

 虫の鳴き声が、彼等の肉の軋みが合唱のように反響していた。


「例えそれが偽りであろうと」


 闇が広がる。

 新たな生命が生まれる。

 それは憎悪によって紡がれた生命。こことは異なる領域から到来した、世界を喰らう者。


「その憎悪は本物なのですから」


 噴水のように、一度黒い闇が吹き上がった。

 次第に勢いを失ったそれは、再び縦穴の奥へとその身を隠していく。

 まだ全ての捕食を終えていない。

 ここに積み重なった怒りと悲しみ、苦しみを喰い尽くすには充分な時間が必要になるだろう。


「幾度となく争いを繰り返す愚かな生命。貴方達は自らが育てた闇に噛まれ、大きな傷を負うでしょう」


 ――これは、現在より一月前の話だ。

 そうやって成長した憎悪の塊、『魔王』は今も『英雄』達と激戦を繰り広げている。

 深い闇の中に、この世の全てを飲み込むために。


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