3‐17
エルマ率いる獣人達はその日のうちに村を立ち、彼等が知っている樹海の道を抜けて指定された場所へと向かうことになった。
ルクス達はそれを見送ってから、村の跡地で一晩を過ごして、翌朝からウィルフリード達の率いる本隊へと合流することにした。
その日の夜、ベオは一人で一晩の宿にしている比較的損傷が少ない家を抜け出した。
村の中を特にあてもなく歩き回り、落ち着ける場所を探したが結局は中央の石切り場を見下ろせる場所に腰を下ろすことにした。
妙な夢を見た。
いや、夢ではない。
あれは記憶だ、記憶の断片のはずだ。
だからあの時討たれていた男は自分自身のはずだ。
「……私は、魔王ベーオヴォルフ。かつて世界を焼いた者」
そのはずだった。
理由はわからないがこんな少女の身体に入れられていて、それが原因で記憶の一部が失われている。
そう思っていた、信じていた。
しかし、考えれば考えるほどに疑問が沸いてくる。
どうして記憶が断片的にしかないのか。何故少女の肉体なのか。
それでも今日までは必死に、自分にそうであると言い聞かせていた。そうでなくては、ベオは何者でもなくなってしまう。
それでもいずれ限界が来る。その一つが、今しがた見た夢だった。
鮮烈な光景であるはずなのに、決して忘れ得ぬものであるはずなのに。
実感が全くない。目の前に女に対して自分が向けていた視線の重さ、己を殺した英雄に対しての強い感情。
その全てが理解出来たはずなのに、そこに実感が伴うことはなかった。
「……もし、そうなのだとしたら」
そもそも、魔王はこんなに弱かったか?
たったこれっぽっちの魔法しか使えなかったのか?
剣を振るい万の軍勢を薙ぎ倒した自分は、いつ戻ってくるのだろうか。
魔王ベーオヴォルフは、今ルクスに抱くような強い感情を、他者に抱いたことがあるのだろうか。
何もかもがわからない。自分のことであるのに、余りにもおぼろげだった。
いつの間にかベオは膝を抱えていた。
まるで迷子の子供のように。
そして、ついにその言葉を口にする。
言わないようにしてた、自分の中の不安を搔きたてる一言を。
「……私は、誰だ?」
魔王でないのなら。
魔王の記憶を持つ自分はいったい何者なのだろうか。
どうして少女の姿をしている?
何故、剣に封印されるような形であの場所にいた?
そして何よりも、魔王でないのならば――。
「ルクスを導くことなど――」
「僕がどうしたの?」
背後で足音がする。
不覚だった。まさかこんなに近付かれるまで気付かないほどに、注意力が散漫になっていたのかと。
耳と尻尾を派手に逆立てながら、ベオは弾かれたように立ち上がって、背後に立つ少年の姿を見た。
「ルクス」
「うん、一人で出てくのが見えたから。危ないよ」
「馬鹿を言え。他のぼんくら共ならともかく、私が油断するものか」
「でもすぐに後ろを取られてたし」
「む、それは……」
腕を組んで精一杯の虚勢を張る。
「し、しかしあれだな……うん。最近のお前は少しはやるようになったではないか」
「どうしたの急に?」
「別に。たまには褒めてやらんといかんと思っただけだ!」
「みんなに助けられてるからだよ、特にベオに」
「……当然だ」
腕を組んでそっぽを向く。どうして心が弱っている時に、そんな風に柔らかいところを的確に突くようなことを言ってくるのだろうか。
「うん、頑張ってるぞお前。本当に、頑張ってる。頑張って、頑張り過ぎて、ひょっとしたら本当に英雄になれるかも……な」
――ベオは見た。
一瞬、本当に瞬きも許さない刹那の間。
ルクスの顔が泣きそうなほどに、悲しげなものに変わったことを。
「そうだね。エーリカさんの戦いを見てまだまだ遠いと思ったけど、逆に頑張ろうって目標ができたよ」
彼は英雄を目指している。
それは多分本心で、失われる命を救いたいというのも本当だ。事実、ルクスは他者を護るために簡単に命を投げ出す。
では、どうして彼がそうするのか。
ベオは既にそれをわかっていた。人造兵として誰かの輪に入ることを許されなかった彼は、人造兵のルクスではない『何者か』になることで心を満たそうとした。
同じ境遇にあったアディが、ルクスを想うことでそうしていたように。
――ベオが、己をベーオヴォルフであろうと信じていたように。
もし彼が英雄になれなかったとしたら、ルクス・ソル・レクスはやはり『何者』でもなくなってしまうのだろうか。
ベオが魔王でなければ、ベオもまた『何者』でもなくなるのだろうか。
「ベオ?」
ルクスが顔を覗き込む。
「……ひょっとして、怖い?」
「――ああ怖い」
ベオの返答に、ルクスは意外な顔をした。
彼の質問は、魔王と戦うことに対してだろうが。
「だから、手を握れ」
ベオの小さな手が、ルクスの手を握る。
少年の手はベオが思っていたよりも大きくて、硬かった。
「なあ、ルクス?」
「なに?」
「私は魔王だ。魔王、ベーオヴォルフ。いや、そのはずだったのだが、どうやら違うかも知れんのだ」
「急に情報の洪水を浴びせるのはやめてよ」
ルクスは苦笑する。ベオの言葉が冗談や酔狂だと思っているからではない。
「どうして今日まで私のことを何も聞かなかった?」
「必要なかったからね」
「必要ない?」
「ベオと会って世界が広がって、一緒にあの屋敷を出て色々なことをした。一人だった僕にギルドっていう仲間ができて、アディとも再会できた。そして明日、英雄と一緒に魔王に挑むことができる。それだけで僕にとってはベオは恩人で、最高の相棒だから」
「……貴様……!」
手を放す。
そのままルクスの背中に突撃し、顔を埋めた。
「……ベオ」
「しばらくこのままでいさせろ」
ルクスはそれを了承する。
そのまま二人は長い時間を、無言のまま過ごす。
お互いのことは聞かず、それでも心は通じ合っているような、そんな不思議で温かな時間が流れていた。




