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英雄との距離

 予定の時刻になると全軍に響くような号令もなく、静かな指令一つで進軍が始まった。

 現在の時刻は昼を過ぎたころ、太陽は頂点に達し、覆いかぶさるような樹海の木々の間から容赦なくルクス達を照らしている。

 気温よりも特に厳しいのが湿度だった。樹木の傘に覆われた空間は、まるで密室のようだ。

 額に浮かぶ汗を何度も拭いながら、ルクスは足場の悪いぬかるんだ土の上を歩いて行く。


「君は炎の魔法が得意なのだろう?」

「そうだが?」


 前を歩くエーリカが、背中越しに尋ねる。


「これだけ湿度があれば延焼する心配もないだろう」

「……どうだかな」


 恐らくだが、元々ベオは手加減するつもりなどないだろう。

 不意にルクスが上を見上げる。

 少し前には、エリアスが木々の間を器用に飛び移って前方の様子を確認しながら、手信号でこちらに指示を出してくれている。

 彼だけでなく、各ギルドの身軽な者達が斥候として視界を広げ、様子を全軍に伝える役割を担っていた。


「しかし、魔王か。魔王戦役を知らないボクにとっては、どれほどのものかまだ想像上の存在でしかないが」

「じゃあ、エーリカさんが生まれた時には魔王はもう……」


 エーリカの呟きに、ルクスが尋ねる。


「ああ、そうだね。ボクが生まれた時には既に、魔王は討たれていた。そしてボクは因果を持ち、英雄になったのだが……まさかボクのこの華麗で優雅な力を魔王に振るう日が来るとはね」

「魔王ってそんなに短い間隔で現れるものなのでしょうか……?」

「アルテウルの歴史上、初だろうね。そもそも、前回の魔王戦役によって研究が進められることになったが、それまでの歴史では魔王なんてものは、大きな戦争や災厄のような扱いだったようだし。魔王因子、なんていうものを解き明かしたのも近年のことだ」

「魔王因子……一応、アルテウルの研究ではそれによって魔王が発現した、らしいですね。あくまでも前回の魔王戦役に関してはですけど」


 ルクスの背に隠れるようにしながら、アディが今度は口を挟んできた。


「でも、でもでも魔王因子が何処から来たのかは、誰も解き明かすことができないでいました。だから魔王因子の研究として代用品を用意して、それがアディだったり違ったりたりたり……」

「魔王因子、か。果たしてそれは何処から来たものなのだろうね。そして、どうしてボク達人間に試練を与えようというのか……いや、むしろ……」

「ベオ?」


 ふとルクスは、横を歩くベオの様子が気になった。だいたいは偉そうなことを言って会話を締めてくれる彼女が、黙ったままなのも珍しい。

 それだけでなく、少しばかり顔色が悪いようにも見える。


「大丈夫? 疲れた? 休憩……はできないけど」

「背負ってあげようかい? 遠慮はいらないよ」

「いらん。少し退屈過ぎるだけだ。戦をしに来たのに、このまま何も起こらなければ名を上げるどころではないだろうに」

「……そうだね」


 そこで一度会話を打ち切って、暫くはそんな風な短い雑談を挟みながら進んでいく。

 進軍が始まって数時間、空が赤く染まりかけて来たころに、樹上から悲鳴のような叫び声が響き渡った。


「いたぞ! 魔物の軍勢が……数はわからない! 森の中が真っ黒だ!」


 地響きと唸り声がルクス達に届いたのは、それから程なくしてのことだった。


「ああ! これは運がいい、ボクの方に敵が向かってきたと言うことは、別動隊の被害は最低限に抑えられたということだ!」


 エーリカ達を先頭にして、部隊が樹海の中に広がって行く。

 次の瞬間、木々の間を縫ってまるで弾丸のような何かが飛来した。

 バサバサと不快な羽音を立てながら襲い掛かってくるのは、ハーピィと呼ばれる有翼の魔物達だ。

 両手が翼、足が鳥の足のような形をした魔物達は金切り声を上げながら風を纏い、まるで自らを爆弾のように地面へと急降下してくる。

 木の上から攻撃を仕掛けようとしていた斥候達もまた、彼女等によって次々と蹴落とされていく。


「あぶねぇ!」


 間一髪で降りてきたのはエリアスだった。すぐに短弓に矢を番えて、ハーピィ達を迎撃に移る。


「ルクス! 私とこいつで上の敵をやる、お前はでかぶつと前だ!」

「わかった!」


 ベオの放つ業火が、一瞬で数匹のハーピィを焼き尽くした。

 肉の焦げる嫌な匂いが漂うなか、ルクスは上を二人に任せて前方の木々の間へと視線を向ける。

 地響きと共にやってきているのは、大量の魔物達だ。隊列を理解しているのか、最前線は小柄なゴブリン達がそれぞれに武器を持って、狂乱したように突進してくる。


「さあ、幕を開けよう! 舞台にて舞い踊る主演はこのボク、薔薇の英雄エーリカ・ライプニッツだ!」


 エーリカが腰に差していた反りの入った細身の剣を抜き払い、敵陣に真っ直ぐに斬り込んでいく。


「薔薇よ舞え! ボクの優雅さを讃えよ! 目の前に立ちふさがる数多の敵達を屠り、ボクは今日この戦場で一番の輝きとなるだろう!」


 何処か緊張感のない、歌うようなエーリカの突進だが、彼女の実力は決して偽物ではなかった。

 瞬く間に、数十匹のゴブリン達が細切れのようになって散っていく。その周囲に散る魔力によって編まれた薔薇の花びらが浮遊し、彼女へ近付こうとする魔物達を切り刻んでいく。


「すげぇ……」


 ルクスの背後で、エリアスが感嘆と共に声を上げる。

 それが聞こえたからかはわからないが、なおも魔物達を切り刻みながら、エーリカがルクスに視線を向けた。

「付いてこられるか?」と、尋ねるような挑発的な表情。

 それを見たルクスは、何故だか心臓の辺りから噴き出すような黒い感情を覚えた。


「……行きます」


 聞こえるはずもない宣言をして、ルクスも敵陣へと飛び込んでいく。

 以前は五匹を屠るのに苦労していたゴブリンだが、今となってはルクスの敵ではない。

 例え狂乱し、自らの命をものともせずに武器を振り回してこようと、彼等の矮小な体躯から繰り出される単調な攻撃など、これまで戦ってきた敵から見れば全く動じるにも値しなかった。

 蹴散らすように、一瞬で数匹のゴブリンを倒した。剣を振るい、頭を叩き割り、腹を突き、腕を斬り落とす。

 ルクスは魔物達の血に染まり、それでもまだ足りないと言わんばかりに敵陣の奥深くへと斬り進んでいく。

 しかし、既にエーリカの姿は見えない。縦横無尽に戦場を駆けまわる彼女を視界に収めることもできず、ただ離れたところ、黒い魔物の波の合間から獣染みた悲鳴と人のものではない血飛沫が舞うばかり。


(心臓が……熱い……。英雄の戦いに、魅せられた、酔って、僕は……)


 心臓が強く跳ねる。

 手に持った黒の剣の刀身の輝きが強まり、ルクスに更なる力を与えてくれる。――僅かばかりの違和感と共に。


「おおおおああああぁぁぁぁ!」


 まとめて薙ぎ払う。

 追いつくにはまだ足りない。

 ルクスが一匹倒す間に十匹。二匹倒す間には三十匹。

 戦えば戦うほどに、その差は広がっていくばかり。

 相手は英雄、普通の人間の尺度で測れる存在ではない。例え彼女ほどの戦果をあげることができなくても、誰もルクスを卑下することなどないとわかっているのに。

 何故か、内側から湧き上がる衝動を抑えることができなかった。

 その黒い感情を吐き出すように、まるで八つ当たりのように目の前の魔物達に叩きつけ続ける。

 ルクスの倍以上の身長を持つ、トロールが立ちはだかる。

 以前はベオと協力してようやく倒せた怪物も、今なら行ける気がした。

 唸るような雄叫びをあげ、手に持った棍棒を振り回すトロール。

 上から振り下ろされたその必殺の一撃を、横に逸れて身をかわす。

 一瞬、相手がルクスを見失った隙を突いて、その膝を蹴るようにして近くの木へと飛び移る。

 道中、上空に舞い上がったルクスを狙いハーピィの群れが飛んできたが、それらは全てベオの放った火球が直撃し灰となって地面へと落下していく。


「一撃で首を!」


 足を掛けていた木の枝を蹴る。

 一気に加速し、トロールの肩の上へ。

 その勢いを殺さないまま、紅く輝く刀身をその首筋へと走らせた。

 悲鳴を上げてのたうつトロールだが、ルクスの今の筋力では、その首を一撃で両断するには至らない。

 むしろ首の半分まで刃が達していながらも、トロールの凄まじい生命力はその身体を本能のままに動かし続ける。

 放っておいても、いずれこの個体は力尽きる。それでも怒りか、それともまた別の感情があるのかトロールは身体を無茶苦茶に揺らし、ルクスを振り落としにかかった。


「うおおおぉぉぉぉぉぉ!」


 だがルクスも負けはしない。

 全力を込めて、剣を振り抜く。

 半ば無理矢理に、千切るように首を切断されて、トロールは二、三度の痙攣の後に、その巨体を横たえた。

 巨木が倒れるかの如く周りの魔物達を巻き込むトロールからルクスは飛び退いて、すぐに次の目標に移る。

 その前に一瞬、視界の中に英雄の姿を見た。


「……遠い」


 ルクスを初めとする一般の兵士達にとって、この戦場は地獄のようなものだ。

 例えこうなることを覚悟してきたとしても、周囲からは幾つもの怒声や悲鳴が木霊する。

 血に塗れ、死肉を踏み荒らしながら戦うその場の誰もが、戦闘開始からまるで死人に引っ張られたかのように顔に死相を浮かべている。

 そんな地獄にあって、例外がいる。

 英雄たる彼女の周囲だけが、まるで血と肉に彩られた舞台のように華やかだった。

 舞う血飛沫は彼女を彩る化粧にすら見え、切り裂かれ無残に倒れゆく魔物達ですらも演出のように思える。

 何もかもが、違う。

 距離にしてほんの僅か、走れば数秒も掛からないような位置。

 そんな場所に居ながら、ルクスとエーリカは、余りにも遠い。


「……まだだ……!」


 瞳の光彩が強まる。

 忌むべき光が、黒い心臓の鼓動がルクスをより強く進化させていく。

 果たしてそれは、彼が望む変化であるかどうかは、ルクス自身ですらもわからないが。

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