少年と少女
「やっと、やっと来てくれたぁ……! ルクス君、ずっと会いたかった、会いたかったんだ。わたしのこと、わかる? 覚えてる? ひょっとして忘れちゃった? ううん、大丈夫。忘れちゃってても、別に気にしてないよ。ほんとだよ、ちょっと悲しいとか思ってないし……思ってないし。ふふへへっ」
両手を広げて全てを受け入れる姿勢で、アディは早口で何かを語っている。
その半分もルクスの頭には入ってこなかった。
彼女が最初に言った一言が、余りにも鮮烈過ぎた。
「あ、ルクス君ひょっとして忙しい、かな? だったら、あんまり喋るのもよくないよね。……じゃあ、はい」
「……はい、って……」
黒い塊が避けていく。
他の誰も立ち入らせないように、二人の周囲に広がり、いつの間にかその空間はルクスとアディの二人だけになっていた。
「いいよ、わたしのことを殺して。そうすれば、きっとルクス君はみんなから感謝される。感謝されれば、ひょっとしたら英雄になれるかも知れないでしょう?」
「……アディ……」
ただ呆然と、その名を呼ぶことしかできなかった。
彼女がこれだけの騒ぎを起こしたのは、全てそれが理由だった。この終わりを期待して、アディはこれだけのことをしていた。
「本当はもっとゆっくり来てもよかったんだよ。わたしが暴れれば暴れるほど、きっとルクス君はみんなに褒められるから。ふふっ、へへへっ、楽しみでしょ? もう、わたしには、アディにはそのぐらいしか価値がないから」
「違う、そうじゃない。アディ、僕は君を……!」
「だって、ルクス君は英雄にならないと。あぁ、でもこれを言ったのは『前の』ルクス君だったっけ? でも、今でも英雄を目指しているでしょう? 少しだけなら、わたしはルクス君のこと理解しているんだぁ」
「アディ、何を……」
アディの言っている言葉の殆どが理解できない。
そんなことよりも今のルクスにとっては、彼女を救うことの方が余程重要だった。
「アディ、助けに来たんだ。一緒に行こう」
「……ん、ふふっ。ふへへっ、もう遅いよ」
虚ろな瞳が揺れる。
唇が不自然に歪み、泣いているような表情へと変化していく。
「ルクス君のお友達、ベオって子、わたし食べちゃったから」
「……っ!」
アディの言う通り、周りにベオの姿はない。
ルクスはそれを、彼女がアディを取り押さえられないと判断して撤退したものだと思い込んでいた。ベオならば、そのぐらいの判断はやってくれると、一方的に信頼していた。
それはある意味、思考停止を意味していた。ベオならばと、無謀な期待と押し付けたルクスの落ち度だった。
「ね? ね? ほら、ルクス君はわたしを許せないでしょ? だから早く殺して英雄になろうよ、そうすればあの子も喜ぶし、わたしも喜ぶ、ルクス君も幸せでみんな幸福になれる」
「……なんで、ベオを……」
「……悔しかったんだもん。ルクス君の隣で、何でもわかったような顔で、わたしの方が昔から一緒に居たのに!」
昂る感情に呼応するように、周囲の黒い粘液が蠢く。
「でももう終わった話だね。ほら、早く。早く、殺してよ。わたしはもう、この世界に未練なんてないから。最後にルクス君と会えて、アディ・ルーは本当に幸せだったから」
少女は黙って己を裁く刃を受け入れようとする。
きっとルクスが剣を抜いて彼女を傷つければ、歪んだ笑顔で受け入れるだろう。
ベオを殺した怒りも恨みも、全てを抱えてこの世界から去ろうとしていた。
「……殺せない」
それがわかっているから、ルクスは腰の鞘から抜いた黒の剣を、地面に放り投げる。
「……なん、で……?」
目を見開き、唸るようにアディが言う。
表情を歪ませ、彼女はルクスを睨みつけた。
「なんで! わたしが殺してって言ってるのに、わたしは悪い奴で、ルクス君のお友達まで殺して、もし放っておいたら大変なことになるし、何よりも……生きていちゃいけない、怪物なのに!」
「アディがベオを殺してしまったのならそれは許せない。でも、アディを傷つけることもできないよ」
「そ、そんなの……困るぅ。どうして? どうして、どうして、どうして? それじゃあ、生きて行かなきゃいけなくなっちゃう! やっとこの世界を嫌いになれたのに、どんな目にあっても生きたいって願ってしまう浅ましい自分とお別れできたのに、最高の終わりを迎えられたのに! もうこの世界に居るのは嫌なの! 何処かに消えちゃいたいの!」
「……ごめん、それでもアディを殺せない」
怒りはある、彼女に対する憎しみだって芽生えている。
だが、その衝動に従ってアディを斬ることはルクスにはできそうにもなかった。
「そ、そんなの駄目だよ……ね、ルクス君。考えなおそ? わたしは、アディは憎い奴なんだよ。死んで当然、生きていちゃいけない、そう言うものなんだから」
震える声でアディが訴える。
それでもルクスはその場から動くことはない。
「僕だって、今の君が憎い。武器を持って、殺してやりたいとも思ってる。でも、その度に頭が痛むんだ。あの場所にいた時の記憶が、君の手を離してしまった僕が悪いって、だから……」
「や、やだ……! そんなのやだ! これじゃ全然違う! ルクス君を不幸にしちゃってる。こんなはずじゃなかったのにぃ! ねぇ、ルクス君お願い。お願いだから、殺してよ、馬鹿なわたしを、愚かで不幸なアディ・ルーを殺してよぉ!」
黒い塊が脈動する。
先端の尖った錐のような形になって、それは全方位からルクスに向けて伸びていった。
黒い錐状の先端が次々と肌に食い込み、そこから赤い血が流れて地面へと垂れていく。
それでもルクスはその場から逃げることも、反撃に出ることもなかった。
「ねぇ、ほら、殺してよ。早く、ねぇ、ねぇねぇねぇねぇ! じゃないと死んじゃうよ?」
黒い錐がルクスの左胸へと触れる。
今も早鐘を叩くその心臓が、一際高鳴っていた。それは恐らくは、死の恐怖からではない。
ルクスの中にある『何か』が、目の前の『何か』に呼応していた。
「……お願いだから……殺して。わたしはもう、嫌なの。せめて誰かを幸せにできれば、諦められるから」
先端が突き刺さる。
息が苦しくなり、痛みに顔を顰めながら、それでも抵抗はしない。
「ごめん、アディ。ずっと手を握ってあげられなくて、僕は無力だったから、君を探すこともできなかった。それを謝りたかった」
アディは何も言わない。
目からは大粒の涙を流し、ぐちゃぐちゃの顔で、必死になってルクスの身体を傷つけようとしている。
「……うぅ……! ううううぅぅぅぅっ!」
唸り声を上げて威嚇をしても、ルクスの決意が変わることはない。
ここで殺されるのならばそれでもよかった。そんなことでベオが許してくれるとも思ってはいないが。
ただ、子供であるルクスにはそのぐらいしか罪を償う方法も考えられなかった。
「……あっ……」
アディの細い声が響く。
次の瞬間、彼女は目を見開き、苦しそうにその細い身体を折り曲げて餌付いた。
「ああああああぁぁぁぁぁっ! げほっ、うぐうううぅぅ!」
「アディ!」
周囲に広がっていた黒い塊が、アディの元に集合していく。
一際大きな球体となったそれが、アディの苦しみように反応するかの如く激しく脈動した。
「あ、つい……! わたしの中が熱いよぉ! 苦しい、苦しくて……でも、」
言葉はそこまでで、アディは痛みに耐えるように蹲ってしまう。
近付くにも黒い塊が邪魔をしていて何もできないルクスがその場で立ち尽くしていると、聞き覚えのある声が闇の中から響いてくる。
「まったく、この程度で私を殺せたなどと、とんだ思い上がりだな」
闇が光によって切り裂かれて爆ぜたその中からベオが飛び出してきた。
「ベオ!」
「……まったく、よくもこれだけ汚らしいものを溜め込めたものだ。浄化するのに大分時間が掛かったぞ」
言いながら、両手をルクスに向ける。治癒魔法を使った時と同じように、火傷をしたような酷い怪我が、肩の辺りまで広がっていた。
「ふふん、覚えたての魔法だが上手くいったぞ。どうだルクス、私の才能も大したものだろう。……何を呆けている?」
「無事だったんだ……!」
「見ての通りだ。それよりそっちは……!」
思わず、ルクスはベオの身体を強く抱きしめていた。
「お、おい! 急になにをする! 気安く私を抱きしめるなど……」
最初こそ驚いてもがいていたベオだったが、ルクスの身体が震えていることを気付いて、抵抗をやめる。
そのまま身体を預け、されるがままになることを選んだ。
「……まったく、仕方のない奴め」
呆れながらも、ベオも耳と尻尾を忙しなく動かし、落ち着かない様子だった。
「さて、抱擁はこのぐらいにしておけ。足りぬのなら、後でまたしてやる。それよりもだ」
腕を伸ばしルクスを退かして、ベオはアディの方を見る。
「あ、生きてた……? 生きててくれたんですね?」
地面に伏したまま、顔を上げてアディはベオにそう言った。
「当然だ、馬鹿め。……それで、いい加減には気は済んだか?」
「は、はいぃ……」
まるで嫌な物を全て吐き出しきったかのように、アディの声色は穏やかなものへと戻っていた。
黒い泥も、まるで彼女の半身のように傍に寄り添っている。
「そ、それじゃあわたしは、アディは……えっと、その、色々と迷惑を掛けたので、下水道とかに籠って生きていくことにします」
去って行こうとするアディの傍に、ルクスが近寄って行く。
「ひ、る、ルクス君……! あ、あのあの、今のアディは忘れてもらって……。えっと、幼少の頃の美しい思い出のアディと共に生きてもらえるとお互いのためにいいんじゃないかと思いますですけど……ふへへっ」
混乱して口元には不気味な笑いを浮かべてるアディだったが、ルクスにとってはそんなことは気にならなかった。
あの時離してしまった手を、再び差し伸べる。
過去の後悔を雪ぎ、新たな日々へと歩み出すために。
「一緒に行こう、アディ。何がきても僕が……僕達が護るから」
その後ろには、何処か不機嫌そうにしながら腕を組むベオがいて、ようやく追いついて来て状況が理解できないエリアスがいる。
その姿を見て、改めてアディはルクスを見た。
立ち上がり、胸の前で自分の手を握る。何かを決意するかのように。
そして彼女は、離してしまったその手に、小さく白い手で触れた。
「あったかい……」
そう言って、ルクスの手を強く握る。
今度はもう、何があっても離れてしまわないように。




