えいゆうとかいぶつ
要塞から響く破壊音、そこから溢れだす黒い粘液のような何か。
一目見て誰もが只事ではないと判断するだろう。事実、その傍には武器を構えたフェンリスの兵士達が集まりつつあった。
その方向に向かって、少年は歩き出す。
最早走るだけの体力も残っていないのだろう。足を縺れさせながら、懸命に。
オーウェンが少年の方へと歩き出すのを見て、エリアスは反射的にその道を塞ごうと動いていた。
「……い、行かせねえよ。あんたはもう負けたんだから、引っ込んでてくれよ。……ください」
オーウェン・スティールの武勇はエリアスも父親からよく聞かされていた。彼が英雄になれなかったと風の噂で聞いてからも、その憧憬は消えることはなかった。
それでも、今はルクスを追わせるわけにはいかない。
「……退きなよ。こんな状態でも、お前さんと一対一で負けるつもりはないぜ」
折れた槍を投げ捨て、オーウェンはそう言いながらエリアスを睨みつける。
そのあまりの迫力に後退りそうになるが、懸命にその場に踏み留まる。
「じょ、上等だよ……。元々、そのアディ……さんって人を助けるのが作戦だったんだ。ここで時間を稼ぐのが俺の仕事なんだからよ」
「……どいつもこいつも」
オーウェンが頭を抱えながら、深い溜息を吐いた。
「あの少年のやってることが、本当に正しいと思うかい? 世間を無駄に混乱を招こうとしているだけにしか俺には思えんのだがな」
オーウェンの言葉は恐らく正しいのだろう。
ルクスのやっていることは完全に愚かなことで、人間達の社会から見れば誤った行いだ。
仮にここでアディを助けたとしても、ルクスが人造兵であり、彼女があんな力を持っている時点で正道を歩めるはずがない。
少なくとも、エリアスはただの人間だ。その我が儘に付き合う理由は何処にもない。
「仕方ねえだろ、あいつらいい奴なんだよ。俺なんかの力を必要としてくれて、一度は逃げたのに、それでも仲間だからって受け入れてくれた。野盗なんかやってた俺をだぜ? だから、種族が何だとかそんなの関係ないんだよ、あいつには」
だからこそ、無謀な作戦にも付き合おうと決めた。その打算なき心と行いに、惹かれてしまったから。
「あんたはどうなんだよ! 英雄にまで選ばれた人が、こんなところでガキ共いたぶって、情けなくないのかよ!」
「……俺が英雄だったら、お前さん達を容赦なく殺してるよ。英雄ってのはそう言うもんだ、だから俺はそうなれなかった」
「だったら!」
「……だからこそ、迷った。俺は英雄じゃない、綺羅星のように名前を轟かせる奴等と同じようなことはできなかったが、だからと言って世界に対する背徳を容認することもできない。そんな半端者だからな」
オーウェンが歩き出す。
「……だが、そうだな。俺は負けたみたいだからな」
懐から取り出した煙草を咥え、火を付ける。
ゆっくりと紫煙を吐き出すその姿にはもう敵意を感じることができず、エリアスは彼を無理矢理留めることができなかった。
▽
身体が熱い。
あれほど冷え切っていた何もかもが嘘のように、アディの肉体は内側から強い熱を発していた。
そこから漏れだす魔力が、彼女の中に入り込み一体化した『何か』が、黒い塊となって辺りを覆い尽くしていく。
「あぁ……」
武器を構えた兵士達が自分を囲んでいる。
それはアディにとっては、研究所から一人で放り出された時のことを思い起こさせた。
あの時も同じ、アディを捕らえようと、或いは何かに利用しようと大勢の人間が追いかけてきた。
かつてはそれらに怯え、謝り、逃げるようにしながら生きてきた。
どうしようもない時にだけ彼等を手に掛け殺め、その命の重さに後悔を重ねていた。
でも、もうその必要はない。
幾ら殺してもアディは自らに咎を負わせることはない。
何故から、彼女は怪物だから。
怪物が人間を殺すのは当たり前のことだから。
黒い塊が蠢く。
少し敵対行動をとっただけで、指揮官のいない烏合の衆たちは距離を取り、我先にと逃げだしていく。
「あははっ、馬鹿みたい。そんな風に逃げるなら、最初から向かってこなければいいのに」
そっとしておいてくれればよかったのに。
誰にも手を触れられなければ、世界の片隅で朽ちていくことだってできたかも知れなかったのに。
それでも、アディ・ルーは幸せでいられたというのに。
彼等は自らその枷を破壊した。
彼女が自分自身を幸福であると、そう言い聞かせていた全てを否定した。
「みんな死んじゃえばいい。みんな殺しちゃえばいい、邪魔するものは全部壊して、そうして……そうすれば……!」
「アディ!」
彼女の望みは、思ったよりも早く叶いそうだった。
目の前に一人の少年が立つ。
例え成長していても、それを見間違えるわけがない。
彼にもう一度会うことだけが、アディが生きていた理由だったのだから。
「ルクス、君……ふへへっ……」
歪んだ笑いを浮かべて、少年へと近付いていく。
両手を広げ、十数年ぶりに再会した友達を抱擁するように。
彼女は、最期の望みを口にした。
「わたしを、殺して」




