『英雄』ではない二人
オーウェン・スティールは、かつて英雄だった。
その称号が与えられることはなくとも、彼は力なき民のために戦い、共に戦う仲間の力を誇り健闘を称え、それらを生かすための己の全てを賭けることができる男だった。
その男は今、二人の若者と対峙している。
既に二人とも息が上がり、足元もおぼつかない。
それに対してオーウェンは多少の手傷こそ負っているものの、未だその戦力に陰りはなかった。
「……ったく、嫌になる……。若い奴の相手は疲れるね」
オーウェンを挟みこむように、左右にルクスとエリアスが立っている。
それでも彼等は迂闊に攻撃をすることはできなかった。生半可な勢いでは、すぐに捌かれ形勢を不利にさせられてしまうことを、嫌と言うほど理解していた。
「……一つ聞いていいか、少年」
「……なんですか?」
剣を構えたまま、若き人造兵が尋ね返す。
「あの嬢ちゃんがこの世界にとって忌むべきものだとして、それを助ける理由はなんだ? お前さんが魔獣を倒したのは、それが理由だろう?」
ルクスは僅かに逡巡する。
「忌むべきものであるかどうかなんて、僕には関係ありません。魔獣を倒したのは、あれが大勢の人を傷つけて悲しみを振り撒くからです」
それでも、少年は後悔している。
あの魔獣はそれ自体が悲しいものだった。お互いに矛を収める道があったなどと言う理想論を語るつもりはないが。
だからこそ、少年は退くことができない。手を離してしまった後悔を、帳消しにできる最初で最後の機会が訪れたのだから。
「アディはただの女の子です、少なくとも僕にとっては」
「……他の世界の全てが、そうじゃないって言ったらどうするんだ?」
「助けて、護ります。例え他の誰かが彼女を利用しようとしても、害そうとしても、僕は彼女の盾になる。それが、英雄ってものでしょう」
オーウェンはそれに対して答えを返さない。
英雄とは、人間のために戦う者の名だ。
神から与えられた力はその代わりに人間を愛し、人間のために尽くす、人の希望となる圧倒的力の持ち主を、神の仔である王家の名において英雄と呼称し栄誉を与えている。
だから、少年の征く道は英雄ではない。
この世界に於ける人々の語る英雄と、彼が歩もうとする『英雄』の道のりは悲しいほどの乖離していた。
――だが、オーウェンはその曲がった情念を笑わない。笑うことができない。
己の意志のままに、信念と共に歩み戦う。
それこそが、彼が目指した英雄の姿でもあったから。
それ故に、オーウェン・スティールは英雄になれなかった。或いは、目の前の少年も。
「……まぁ、そうだな。何にせよ、英雄になるなら紛い物の一つは超えて見せないとな」
「……僕にとっては、貴方だって!」
「そう言うのは求めてないんだよ。さぁ、小僧共、掛かってこい!」
「……オーウェンさん、貴方を超えます!」
ルクスの心臓の鼓動が更に加速する。
オーウェンでも捉えられないほどの速度で踏み込み、振り抜いた剣はこれまでにないほどの力で防御に回した槍へと叩きつけられていた。
「ちぃ! こいつ、何処にこんな力を……!」
「これが正真正銘の、切り札だ!」
剣を振り抜く。
そのまま更に踏み込んで、一撃。
槍の中ほどでそれを防ぎ切り、前蹴りを放ってルクスとの距離を取った。
「強化魔法? ……明らかに普通じゃないレベルの、あの嬢ちゃんか!」
それは、ルクスにベオが託した切り札だった。
彼女は治癒魔法を習得すると同時に、自らの炎の魔法と合わせることを思いついてた。
仲間の力を強化する魔法を、炎の持つ活力で更に高める。
身体に掛かる負担を考えなければ、今のルクスですらもオーウェンに至るほどの力を得ることができる。
「だが、そいつは諸刃の剣だ。力を使い過ぎればその反動はとんでもないもんになる」
「今はそれでも! 貴方を超えて、アディを取り戻す! それができればどうなったって構わない!」
凄まじい速度で、嵐のように斬撃が見舞われる。
オーウェンは槍を回転させ器用に防いではいるが、懐に入り込まれるのも時間の問題だった。
二人の武器が交差し、火花が散る。戦いの余波で草地は抉れ、その下にある土が捲れ上がっていた。
「若いってもんじゃねえぞ、ただの馬鹿か!」
「かも知れません!」
一際大きな音が響いて、二人は鍔競り合う。
強化された膂力で押しきろうとするルクスだったが、単純な腕力ならばこの状態でなお、オーウェンの方に分があった。
「どれだけ綺麗事を並べようと、そこに美しい理想があろうとな、現実ってのは非情なんだ。お前さんがやろうとしていることは、人造兵が同胞を取り返しに来たって風にしか人の目には映らねえんだ!」
「ここに来たのは僕が人造兵だからじゃない、彼女が普通じゃないからじゃない。僕は、子供の頃に離してしまった手を、もう一回掴みに来ただけだ!」
「それが……!」
ルクスの身体を押し返し、そのまま振り回した石突きがその細い身体を強く打ち付ける。
それでも少年は止まらず、更にオーウェンに対して攻勢を掛けた。
「彼女が助けを求めてるのならそれを救う。例え彼女が何者だって構わない。英雄っていうのは……!」
「……ああ、わかってんだよ……!」
――男がいた。
時期に英雄となるであろうと評された男だ。
弱き者を見捨てられず、共に戦う仲間を愛し、彼等を生かすことにこそ価値を見出していた。
そして、彼は英雄として選ばれる。
そのために必要だったのは、絶対的な意志と無慈悲なる心。
男にはそれがなかった。
魔王戦役と呼ばれる全てが狂ってしまった戦いの中でさえ、敵を殺す前に仲間の命を救い、時に動けなくなった敵ですらも助けてしまった。
人としての美徳は、英雄には当てはまらない。
人間が追い詰められ、外敵に怯えなければならないこの世界に於いて、そんな慈悲を持った者は英雄になることはできない。
だから、オーウェン・スティールは英雄になれなかった。
今、英雄になり損なった男は、英雄を目指す少年と対峙する。
「エリアス!」
前進しながら、少年が叫ぶ。
今の今まで意識の外にしたエリアスが、その号令を受けて動くのを感じた。
「待ちくたびれた! オーウェンさん、やらせてもらいます! 【エンチャント・ファイア】!」
だが、それでもオーウェンは負けることはない。
多少戦いになれていても、動きが早くなっていても直線的な動きしかできない連中だ。
踏み込みながら放った突きを黒の剣に当てて、ルクスを吹き飛ばす。
そのまま悠々と振り返り、上から全力で振り下ろされた赤熱するショートソードを槍の柄の部分で受け止めた。
「悪いな、俺の勝ちみたいだ」
「おおおぉぉぉぉぉりゃああああぁぁ!」
「無駄だよ!」
「げふぅ!」
受け止めたまま、振り回した槍でエリアスを吹き飛ばす。彼はそのまま地面をごろごろと転がっていった。
「まだだぁ!」
「……!」
それも予想の範囲内。
魔法によって強化された人造兵が、止まるとは思ってないない。
故に、オーウェンに焦りはなかった。この瞬間までは。
「……槍が……!」
エリアスを弾き飛ばした槍は、彼の渾身の一撃を受けてか、それとも激しい戦いの所為か、持ち手の部分が砕け二つに分かれていた。
それに僅かに動揺した隙を突いて、少年の影がすぐ傍に迫る。
折れた槍ではそれを受けることも、反撃することもできそうにはなかった。
死を覚悟したオーウェンの首筋に、紅く輝く刃が迫った。
「……なんで殺さない?」
「それが目的じゃないからです」
黒の剣は、その首すじで止まっている。
そのまま振り抜けば、オーウェンに命はなかったというのに。
「僕の勝ちです。だから」
ルクスが何かを言う前に、それを遮るように要塞の方から破壊音が響いてくる。
三人の視線がそちらに向くと、要塞の壁が砕け、そこから黒い何かが溢れだしていた。




