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ベオとアディ

 元々の作戦はルクス達がオーウェンや兵士を引きつけている間に、ベオが要塞に忍び込む手筈になっていた。

 既に内部に入り込んだ時から違和感は感じていた。幾らエリアスが引きつけているとはいえ、兵士達の数が妙に少ない。

 嫌な予感を拭えないまま物陰に隠れて調査をしていると、不意に奇妙な気配を感じてその場に立ち尽くす。

 無意識に肌が泡立ち、獣耳と尻尾がピンと張って警戒する。

 恐慌に支配された悲鳴と、大勢の足音が聞こえてきたのはその直後だった。

 ベオは慌てて誰もいない空き部屋に飛び込み、それらが去るのを待つ。

 扉の隙間から見えたのは、思った通り武装した兵士達だった。

 その数は十人以上、恥も外聞もなく彼等が逃げだしているのを見て、尋常でない事態であることをすぐに理解する。


「……これは拙いかも知れんな」


 逃げるべきか、それとも今が機会と強行するべきか。

 誰もいなくなったのを確認してから扉から出て、すぐにベオは事態がそんな悠長でないことを思い知らされることになる。

 要塞は石造りで、廊下も武器を振り回せるように広く取られている。

 そこを埋めるように、黒い影のようなものが広がり始めていた。

 まるで沼のような、泥のようなそれは瞬く間にベオの足元まで迫り、そこから黒く細長に何かを伸ばして絡め捕ろうとる。


「ちっ」


 無造作に足元に炎を放ち、それを焼き払う。

 ずるずると這いずるような音が聞こえ、その主が廊下の突き当りから姿を現した。


「……ほう」


 ベオは感心したように口元を歪め、頷く。

 生気のない虚ろな瞳の少女、まるで人形のようにも見える深い闇の主は、ベオをその視界に捉えていた。


「只者ではないと予想はしていたが、よもやここまでの代物とはな。……しかし」


 ちり、と。

 頭の中で火花が散る。

 一見すれば魔物だが、明らかに違う。それが何処から来たのかも、何のためにあるのかもわからない。

 ただ、奇妙な胸騒ぎだけが残る。これはこの世界にあってはならない何かであると、ベオの中にある『魔王ベーオヴォルフ』の欠片が叫んでいた。


「……貴方」


 アディの口が動いて、声が零れる。

 目が大きく見開き、眉がつり上がった。

 その表情は、憤怒。明らかな怒りの感情を込めて、アディはベオを睨みつけていた。


「貴方も、アディを不幸にする!」


 足元の闇が急速に広がる。

 それと同時にアディの身体から雫のように零れた黒い塊から、先端が棘のようになった闇が伸びてくる。


「何の話だ?」


 それらを一息で焼き払い、ベオは距離を詰める。

 どちらにせよ、この状態でルクスの傍に連れて行くわけにはいかない。最悪の場合、ここでベオが彼女を仕留めることも考えなければならなかった。


「わたしは、わたしは不幸になりたくなかったのに! なってはいけなかったのに!」


 足元に広がる不浄の塊を、ベオの炎が浄化するように焼き尽くす。

 身軽な動きでアディの目の前に立つと、五本の爪のような形で掌に纏った炎で、彼女の前に広がる黒い塊を斬りつける。


「全部、憎い……。全部、嫌いぃ!」


 闇が広がる。

 まるで奔流のような膨大な質量でベオの身体を押し流して、廊下の端まで追いやりその壁に叩きつけた。

 ずるりと、底なしの沼の中に身体が飲み込まれる。

 それが何を意味するかをベオは即座に理解し、寒気が走る。

 ベオの下にあるのは最早要塞の石床ではなく、その中に取り込まれたものを消化し自らの力へと変換する巨大な胃袋のようなものだ。


「悪いが、食われてやるわけにはいかん!」


 魔力を炎へと変換して瞬間的に大量に放出する。

 それによりベオの周囲の闇は焼き尽くされ、先程までと同じ要塞の床や壁が姿を現していた。


「……なんで? なんで死んじゃわないんですか? そんなにわたしを不幸にしたいの? アディがそんなに憎いんですか?」

「貴様のことなんか知らん。殺されてやる理由がないだけだ。そも、ここに来たのはお前を連れていくためだからな」

「……そうやってまた、わたしを不幸にするんですね。そうはさせません、わたしは決めたんです。もうこれ以上不幸になるわけにはいかないから、駄目だから、決めたんです。邪魔する人は、もう殺しちゃってもいいんじゃないかって」


 闇の中から何かが飛来する。

 咄嗟に避けたベオを通り抜けて背後の壁に突き刺さったのは、金属でできた剣や槍だった。


「……消化できないものはそうやって吐き出すのか。まったく、行儀が悪い」


 次の弾丸が、暗闇の中に装填される。

 ベオはそこに向けて掌に生み出した火球を放ち、撃たれる前にそれらを一挙に薙ぎ払う。


「いい加減に正気に戻れ。私は別に貴様がどうなろうと知ったことではないが、ルクスが呼んでいるんだ」

「……ルクス、君?」

「ああ、そうだ。貴様が来ないと、奴がふぬけたままなのだ、それに」


 あの時見た夢。

 自分のことを許せなかった要因の一つ。手を離してしまった少女。

 ルクスの中にずっと横たわっているその後悔はきっとベオに全てを理解できるものではなく、だからこそそれを解消してやりたかった。

 ルクスの言う通りこの二人が昔馴染みならば、何らかの理由で暴走しているこの状態を解消できるかもしれないと、ベオは考えていた。


「……貴方が……!」


 アディの表情が怒りに歪む。

 そこにあるのは紛れもなく、ベオへの憎しみだった。

 無意識に全身の毛が逆立ち、ベオはその場から飛び退る。

 その判断は正解だった。

 まるで鈍器のように硬度を増した黒い闇の蔓が、ベオが立っていた石床やその後ろの石壁を次々と殴りつけ破壊していく。

 紙一重でそれを避け続けるベオだったが、それに気を取られている間に自分のすぐ足元にまで近付いてきている小さな塊を見落としていた。

 その塊は瞬時に盛り上がり、人の形へと変化する。


「貴様……!」


 目の前に急に現れたアディは、ベオの両手首を掴んで壁に叩きつける。


「貴方が……、それを言いますか? わたしがいた場所を、わたしがいたかった場所を、ずっと夢見ていた、そうあればいいと願っていた。それだけを頼りに生きてきたわたしの居場所を、奪ったのに……!」

「奪った……?」

「わたし、見たんです……あの時、あの戦場で、ルクス君と一緒に居る貴方を。必死でルクス君を心配してる姿が健気で、可愛くて、だから諦めようと思ったのに。もうそこにわたしの居場所はないんだって、そう思ってた。でも、今はもう違います……」


 触れた場所が、闇に侵食される。

 ここにきてようやくベオは、彼女が纏う闇の正体を理解した。

 それは一般的にはウーズと呼ばれる、粘液のような性質を持つ極めて原始的な魔物だった。

 ウーズ自体は決して珍しいものではない。スライムの親戚のようなものだ。厄介な魔物ではあるが、対処方法は確立されている。

 だが、目の前の少女が纏う闇は違う。

 性質こそウーズのそれだが、恐らくはよく似ている別物なのだろう。

 柔らかく、冷たい闇に身体が囚われる。

 両腕はいつの間にか消失に、黒い粘液の中に飲み込まれていた。

「わたしは、もう諦めました。この世界は醜くて、優しくなくて、辛い場所なんだって気付いちゃったんです。だから、もうどうでもいい。だからこうして貴方のことも、飲み込んでしまえる」

 ベオの半身を闇が浸す。

 そこは熱くも寒くもない、生命の行きつく先であり暗闇の墓所。


「……甘ったれるなよ、小娘」


 闇の中に、明い火が爆ぜる。

 それはベオを飲み込んでいた黒い塊を伝い、アディの身体まで到達しその身を直接焼いた。


「あぐぅ! ……ふ、ふふふっ、熱いっ……!」


 拘束が解かれ、ベオの身体が床に立つ。

 その紅い瞳は真っ直ぐに至近距離からアディを射抜き、彼女をその場に留める。

 黒い粘液を動かせばいつでも全方位からベオを攻撃できるにも関わらず、アディは何故かその場から動くことができないでいた。


「大方その身に降り注ぐ苦難を乗り越えられず、心が折れたのだろう。そして自暴自棄になり、まるで地団太を踏む子供のように暴れているのが今の貴様だ」

「……何を……?」

「そんな奴にわたしが殺せるものか。わたしを、魔王ベーオヴォルフを討つのは、強き意志を持って挑んでくる覚悟を持った奴だと決まっている」

「……なによ……。わたしのことなんか全然知らないくせに、ずっと独りだったことも、怪物だって嫌われてたことも、生きるために戦場で死体を食べてたことも、そうまでして辿り付いた場所で、結局人間になれなかったことも!」

「知らんし興味もない。だが、貴様は強いだろう」

「……強い……?」

「たった一人で砦の兵士共を追い散らし、今こうして私と渡り合っている。その強さこそ貴様の価値であり、生きる理由となる。全てを捨てて諦めるには、勿体なさ過ぎるぐらいにな」

「……そんなの……そんなこと言われたって、もう……!」


 後退るアディに向けて、ベオの手が伸びる。

 ベオの手はアディの手をしっかりと掴んだ。

 自らの熱を、生きる者の温もりを強く伝えるように。


「自棄になるな、貴様を必要とする者がいる。生きて、それを見つけて何かを成して見せろ。せめてあの馬鹿者に、顔を見せてやれ」

「……もう、遅すぎる」


 掴んだ手が、闇に呑まれた。

 粘着質な黒い塊は、そこからベオを浸蝕し瞬く間に全身を包みこんでしまった。


「……ふふっ、ふへへっ……。ほら、いなくなっちゃった」


 誰もいなくなった廊下に、アディの乾いた笑いだけが響いた。

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