ばけものでかいぶつ
短い銃声が響く。
アディは咄嗟に両手で頭を庇うようにして、床に縮こまるように身を小さくした。
弾丸は彼女へは届いていない。
それもそのはずだろう。凶弾が狙ったのはアディではなかった。
「……あ……」
その声は、アディかフィンリー、どちらの口から漏れたものなのだろうか。
女の身体が崩れ落ちる。
綺麗な金色の髪がまるで絨毯のように埃だらけの床に広がって、その下から赤い液体が染みだすように流れた。
「……フィンリー……さん?」
何度も何度も、少女はそれを見てきた。
研究所で、失敗してその姿になった友達を見てきた。
放り出された流浪の日々で、糧を求めた争いの場で、その紅を見続けた。
少女にとってそれは、呪いであり、同時に懐かしい。
「へっ、何も最初からビビることはなかったんだ。こうなっちまえば、ただの女なんだからな」
「……あん、た……」
「あん? まだ生きてたか?」
ゴッと、重苦しい音がする。
部屋に入ってきた男、ホルガーが倒れ伏したフィンリーの身体を蹴飛ばした音だった。
「ひっ……!」
目の前に転がってきたフィンリーを見て、アディは恐怖の声を上げながらもそこに駆け寄って行く。
「ホルガーさん、そいつどうするんです?」
「何びびってんだ。命令がなきゃ動けない、ただの人形だろうが」
もう一人の声が、部屋の外から聞こえてくる。
「ったく、そいつには色々と苦労掛けさせられたぜ。二言目には出世、出世。てめぇの欲に俺達を付き合わせるんじゃねえよ」
「……ぐっ……」
倒れたままのフィンリーが顔を上げて、ホルガーを睨みつけるが、それは今の彼にとっては更なる高揚感を与えるだけに過ぎなかった。
「上を見るのは結構だがな、部下の管理もしっかりしないとこういうことになるんだぜ、お嬢さん」
ホルガーの言葉はある意味では正しかった。
フィンリーの苛烈な性格はこの支部に大きな手柄を与えたが、同時に激しい人員の消耗をもたらした。
「俺が支部長だったころはもっと自由にやらせてたんでな。ったく、戦闘地域での略奪まで禁止にされたら、俺達は何を楽しみに戦えばいいんだよ」
「……下種……!」
「いいねぇ、そうやって俺を見上げる姿、なかなか様になってるじゃねえか。もし考えを改めるなら今からでも命を助けてやらんこともないぜ? そうなりゃお前は、一生亜人以下の奴隷扱いだがな!」
そう言って、勝利を確信したホルガーは高笑いをあげる。
一頻りフィンリーを嘲笑った男が次に目を付けたのは、その場で呆然としているアディだった。
「さて、お前も処分しとかないとな。可哀想に、お前がいなけりゃこのフィンリー支部長殿も、もう少し長生き出来てたんだろうがな」
「……わたし、が?」
「ああ、そりゃそうだろうよ。余計な野心が芽生えなければ、こんな目にあうこともなかったからよ。しかし、考えてみりゃお笑い草だ、孤高の支部長殿が、よりによって怪物人形と友達ごっことはな!」
下品な笑いを浮かべながら、ホルガーはアディに銃口を突き付ける。
パン、と乾いた音がして、一瞬でアディの肩に真っ赤な血が滲んだ。
「う、ああああぁぁぁぁぁぁっ!」
焼けるような痛みに、肩を抑えながらその場をのたうち回るアディ。
ホルガーはそんな彼女の様子が可笑しいのか、笑いながら次々と手足に銃弾を打ち込んでいく。
「い、痛いぃ! 痛いです! やめてください! やめてぇ!」
「はっはっはっ! 怪物は心臓を打ち抜けば死ねるのか?」
「あ、でぃ……! こいつを……!」
「おっとぉ!」
命令を下そうとしたフィンリーの背中を強く踏みつけて、言葉を途中で途切れさせた。
「げほっ……!」
強く踏みつけられた衝撃で、咳と共に口から血の塊が噴き出す。
「な、なんでこんなことするんですか? わたしが悪いなら、アディが悪いことをしたのなら出て行きます。誰にも迷惑かけないように、誰も知らないところで一人でいますからぁ!」
「それで許されるわけねえだろ、化け物が! なんで人間扱いされないかわかるか? お前も、人造兵みたいな連中も、亜人共も、人間の形をして俺達を騙すような醜い怪物だからだよ!」
「そんな、酷い……。わたしは何もしてません……。何も、してないのに……!」
「魔王戦役でお前みたいな奴に大勢の人間が殺された。あの時、戦場で見たお前の力は、そう言う連中と同種のものだ! つまり、お前みたいな奴は、生きてることすら許されないってことだ!」
四肢をだらりと下げたまま、アディが立ち上がろうともがく。
しかし、全身の痛みに耐えることができず、そのまま後ろに倒れて、重なった荷物に背中を強く打った。
「うぐっ……!」
「気持ち悪い、紛い物の人間もどきが。存在してるだけで反吐が出る。そんなもんを使わなきゃ出世できない馬鹿女も含めてな」
「なんで……。おかしいです。おかしいですよ。わたしは、何もしてないんですよ。奪われて、投げ出されて、なんとか必死で生きてきて。自分が嫌われものだってわかってるから、ちゃんと理解してるから日陰をずっと歩んでるのに。自分の希望を押し込めて、言いたいことなんか何も言わずに、与えられるパン屑に喜んで、本当はもっと欲しいものもあったのに。でも、それはいけないことだって、駄目なことだって思ってたから我慢してたのに」
アディの目から光が消える。
彼女の身体から流れる血が、まるで意思を持っているかのように一点に集まり始めていた。
「ほ、ホルガーさん、そろそろ……」
「ああ、わかってるよ」
「馬鹿みたい……。馬鹿みたいじゃないですか。ケーキが食べたくて、ずっと食べることができたのに、アディは普通の人間とは違うから、ずっと我慢してたのに。我慢して、我慢して、殺さないように、嫌われないようにしてきたのに。その結果がこれですか? じゃあ、アディがしてきたことはなんだったのですか?」
「ちっ、さっきからぶつぶつと……。まあいい。おい化け物、てめぇは頭をぶち抜けばちゃんと死ぬんだろうな?」
ホルガーは異変に気付かず、銃口をアディの頭部に付きつける。
譫言のように独り言を延々と呟きながら、アディは急に首を上にあげて、ホルガーの顔を見上げた。
その生気の消えた表情にホルガーは一瞬たじろいだが、すぐに全てを終わりにするために引き金に指を掛ける。
その銃口から、弾丸が発射されることはなかった。
「……は……?」
ごとりと何かが落ちる。
それが自分の手首ごと床に落ちた、今まで手に持っていた銃だとホルガーが気付くのに、僅かばかりの時間を要した。
「お、おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
悲鳴を上げ、ホルガーがアディから距離を取ろうとするも、足元の小さな段差に引っ掛かり彼はその場に尻餅を付いてしまう。
べちゃりと、先端のない手首と残った手が、何かに触れる。
床一杯に広がった、アディの血。
その色は赤ではなく、いつの間にかどす黒く変色し、まるで底なしの沼のように部屋中に広がっていた。
「あっ、えっ、おぉ、ひっ! な、何なんだよ、お前!」
「うふふっ……ふふふふふふふふふっ。何って、何って? 知りたいですか? 知りたい? ねぇ、本当に知りたいんですか? だったら教えてあげますけど、教えてあげないこともないですけど!」
幽鬼のように、細い少女が立ち上がる。
今しがた撃ち込まれた銃弾の怪我など全くなかったかのように、確かな足取りで闇に絡めとられるホルガーのすぐ傍まで近付いていった。
「ばけもの、かいぶつ、何者なんでしょう? 何処から来たんでしょう? 何処へ行くんでしょう? わたしにも、アディにもわかりません。何にも、わかりません。でも、確かなことが一つ、一つだけ」
「ひぃ!」
闇がホルガーの身体に絡み付く。
腕や足を捉え、床に広がる黒い水底へと縛り付ける。
「貴方は、死にます。食べられてお終い。幸福な人生に、感謝とお別れを!」
「ま、待て! 待ってくれ! 謝る、謝るから許してくれぇ! 出来心だったんだ、死にたくない!」
黒い軟泥が意思を持つように動き、身体を蔦のように細く伸ばしてホルガーを床に縛り付けるように拘束する。
彼は背中から倒れたまま、自分の手足がずぶりとその黒いウーズの中に取り込まれていくのを受け入れるしかなかった。
「あ、ああぁあ! 俺の手が、手がぁ! 足がぁ!」
ホルガーの手も足も、既に黒いウーズに呑まれてこの世から消え去っている。必死で引き抜こうともがいても、底なし沼にいるように全く身体が持ち上がることはない。
「なぁ! 許してくれ、助けてくれ! 助けてくれたら何でもしてやるから! ここから出してやってもいいし、金だって……!」
「そんなのいらないです」
無慈悲な少女の言葉が狭い部屋の中に響く。大声で喚くホルガーのものとは対照的な、小さく冷たい声だった。
そのままホルガーは全身を闇に飲み込まれ、最初からそこに存在していなかったかのように消え失せてしまった。
「……美味しくない。ふへへっ、ゴブリンの方が、美味しかったかも」
「ホルガーさん、何を……ひっ!」
入ってきた男が、惨状を見て息を飲む。
腰に下げていた剣を抜いて、アディの首を落とすために中に踏み込んでいく。
「な、何だこいつは……? ひょっとして、魔獣なのか?」
「わ、わからないけど……多分、外れ。外れです。なんとなく、響き的に、こう、感じます。その魔獣ってのより、わたしの方がずっと、強い、かも」
箍の外れた少女は、彼を殺すことにももう抵抗はない。
ホルガーを牢屋から解放したその男は哀れ、瞬く間に闇に呑まれて形も声すらも失ってしまった。




