英雄になり損なった男
草原に立つ。
ここはあの時と同じ、先日敗れた道の上。
既に傷は完治している。体調はほぼ万全と言えた。
これは本当にただの偶然で、あの日と同じ場所に男は立っていた。
口に咥えた煙草を吸い込み、紫煙を吐き出す。
そして、気だるげに口を開いた。
「よぉ、少年。また来たか。……正直、勘弁してほしいんだがな」
オーウェン・スティール。
英雄になり損なった男。
「はい。今度こそ、アディを返してもらいに来ました」
「そう言うのは嫌いじゃないが、別にお前さんのもんじゃないだろうに」
「……確かに。それじゃあ、えっと……貰いに来ました」
「……ははっ、そりゃもっと不格好だ。だが、その意味はわかってるんだろうな?」
無言で腰の鞘から剣を抜く。
オーウェンもそれに呼応するように、握っていた槍を回転させ構える。
「本当言うとな、今日で俺の任期は終わりなんだ。だからこれは、ただ働きってことになる」
「だったら退いてもらえませんか? 戦わないなら、それで」
「そう言うわけにはいかねえのよ。一応は、英雄候補だったんでね。あの嬢ちゃんをここから出すわけにはいかねえのさ」
剣を握る手に力を込める。
黒の剣は即座にルクスに応え、心臓と共鳴し全身に力を漲らせた。
地を蹴る。
同時に、オーウェンもその場から動いた。
お互いに数歩の地点で、剣と槍が交差する。
初手の一撃を弾きあい、すぐさま態勢を立て直したオーウェンが上方から下へと突きを繰り出す。
足を狙った一撃を、ルクスはそれよりも前に踏み込むことで回避した。槍の穂先が石で舗装された地面を砕く。
「剣の間合いなら!」
「猪突猛進は結構だが!」
懐から振るった剣が、オーウェンの纏った鎧の胸の部分を傷つける。咄嗟に彼が後ろに下がったことにより、その身体を傷つけることは叶わなかった。
「やっぱり早い!」
「今度はこっちの間合いだぜ」
息を突く間もなく、次々と突きが繰り出される。
どうにか身体を逸らしてそれを避けるも、的確にルクスを狙うその攻撃は、あちこちに掠り、その個所から赤い血が飛び散った。
「前進しないと……!」
「学びがないぞ、少年!」
剣で槍を弾いて前進。しかし、オーウェンはそれを完全に読み切っていた。
振り回された石突きが、ルクスの腹を狙う。
だが、ルクスもそれが来ることはわかっていた。
剣を振るって、それを迎撃。反対側に叩き落とす。
「っとぉ!」
たたらを踏んだオーウェンだったが、それでも彼は崩れない。
無理矢理態勢を立て直すと、迫る黒の剣を槍の穂先で受け止めた。
清澄な金属音が響き、互いの攻撃が弾かれる。
ルクスとオーウェンは距離を取って、改めて向かい合った。
「……なるほど、別人の動きだ。たった数日で、何があったか教えてくれるかい?」
「別になにも。……ただ、オーウェンさんを超えたいって思っただけです」
以前アディと会おうとした戦ったオーウェンは、ルクスにとっては単なる障壁でしかなかった。
しかし、そう意識して戦うにはその壁は余りにも高く、厚い。そして何よりも、ルクス自身がその強さに、英雄になり損なった男に惹かれ、超えたいと思ってしまった。
「俺を超えるね、別に思うのは勝手だが、そりゃ今日やることかね?」
「貴方を超えて、アディを助けます。どんな手を使ってでも!」
正面からの戦いでは、オーウェンを倒すことはできない。だからこそ、ここでこうしてルクスが時間を稼ぐ必要がある。
内部に侵入するのはベオの役目だ。それだけでなく、彼女からある『仕込み』をしてもらってもいる。
一人で戦うわけではない。ギルドの全員で、仲間の力で立ち向かって、オーウェンと言う男を超えて見せる。
「嫌だねぇ、子供ってのは……。たった数日会わなかっただけなのに、別人みたいに成長してやがる」
深く、長い息を吐く。
ルクスが呼吸を整えたのを確認して、オーウェンは改めてその顔を正面から睨みつけた。
「こっからは本気だ。死んでも文句言うなよ、坊主!」
ガギィッ、と。
耳障りな金属音が響く。
「今のを防ぐか!」
「……重い……!」
一瞬で目の前に迫ったオーウェンの突きを、ルクスは辛うじて縦にした剣で防御していた。
そのまま穂先で引っ掛けられ、バランスを崩されて地面へと引き倒される。
背中で草むらを擦りながら、ルクスはその場で転がった勢いで立ち上がる。
「攻めないと……!」
無理矢理に真正面からオーウェンに接近を試みるが、巧みに操られる槍捌きは剣の間合いへの侵入を許さない。
致命傷こそ与えは来ないものの、幾度とない武器同士のぶつかり合いに、ルクスの体力がじりじりと削られていく。
「そらよ!」
掛け声と共に、オーウェンが槍を投擲する。
その行動をルクスは全く意識することができず、咄嗟に剣で身体を庇ったものの、ルクスの手を離れた黒の剣は空中で回転して地面に落ちた。
お互いに徒手空拳。次にどう動けばいいか、戸惑ったルクスに反して、オーウェンの次の行動は早かった。
ゴッ、と鈍い音がする。
同時に目の前がくらくらして、ルクスは自分が殴られたことを理解した。
「あぐっ……!」
続けて腹を殴られ、蹲ったところを頭部に蹴りが炸裂する。
なんとか腕で防いだものの、ルクスはその場から吹き飛ばされて、それ以上の抵抗ができずに地面に再度転がった。
「かはっ……!」
腹を抑え、吐き気を堪えながら立ち上がる。
その様子をオーウェンは冷静に眺めていた。
「剣を手放させても動きは変わらない。お前さんのその力は、剣由来のものじゃなさそうだな。だとすれば、剣に共鳴する形でお前さんの中の何かが目覚めかけているのか」
「……素手でも強いなんて……」
「甘く見んなよ。こちとら幾つも修羅場を潜ってきてんだ。武器がねえなんて甘えは通用しないんだからよ」
「そう、ですよね……。それが、強さ」
「ああ、そう言うこった。なあ少年、ここらで諦めないか? これ以上やるなら、俺はお前さんを殺さないといけなくなる」
「……諦めきれません」
「そいつは子供の我が儘だぞ」
「かも知れません。でも、そうじゃないと、そのぐらいのことをしないと……僕が憧れた人に、英雄に近付くことなんてできませんから」
「……お前……」
オーウェンはそれを聞いて笑った。
呆れたような、感心したような、そんな笑みだった。
「……本当、敵同士なのが惜しいよ、少年」
息が荒い、殴られた衝撃で視界が揺らぐ。
弾かれた剣は、ルクスよりも後方にある。ルクスが剣を拾いに走れば、オーウェンはすぐ傍に落ちた槍を拾い上げてその隙にそれを投擲するだろう。
素手でそれから逃れられるわけがない。
「じゃあ、悪いがこれで終わりだ」
オーウェンが踏み込む。
あまりに早く、鋭い一歩。
ルクスはそれにまともに反応することができなかった。否、辛うじて防御だけが許されていた。
だが、それでは意味がない。防戦一方になっては、そのまま敗れるしかなかった。
「……本当に」
視界の端に、人影が躍る。
オーウェンもすぐにそれに気付いて、ルクスの傍から飛び退いた。
その隙に自らの武器へと飛びついて、黒の剣を手にする。
「おりゃあああぁぁぁぁぁっ! 助けに来たぞ、ルクス!」
「毎回助けられるね、エリアス!」
派手な剣戟の音が響く。
オーウェンが咄嗟に拾い上げた槍で、エリアスの持つ稲妻を纏った剣を受け止め、身体ごと弾き飛ばしていた。
エリアスは器用に受け身を取り、ルクスとオーウェンを挟みこむ形で武器を構える。
「よぉ、遅くなってすまねえ。だが、ちゃんと奴等は足止めしてきたからよ」
「……なるほど、だからこんだけ騒いでも誰もなかったわけか」
オーウェンが何やら納得する。
エリアスには陽動と、その足止めを頼んでいた。具体的になにをしたかはわからないが、彼がここにいると言うことはそれが成功したという証拠だった。
「やけに兵士の数が少なかったのもあるんですけどね……。あの、オーウェン・スティールさん?」
「なんだい?」
「ず、ずっと憧れてました! 今はこんな形になっちゃいましたけど。大勢の命を救ったアルフリッツの戦いとか、レグイド防衛戦の話とか、大好きで……」
「ははっ、そいつはありがたい。英雄になり損なった男だが、そう言ってもらえれば多少は頑張った自分を褒めてやれる」
「……はい、でも今は俺、こいつの仲間っすから。申し訳ないけど、全力で行かせてもらいます。多分、ルクス一人じゃ貴方に勝てないと思うんで」
「……結構だ。掛かってこい」
再度、オーウェンが槍を構える。
二体一になってなお、その圧力は全く消えることはなく、むしろ彼の中の闘志がより燃え上がっているようにすら感じられた。
戦いはまだ終わらないが、先程までとは違う。
ずっと孤独だった少年は、今や仲間を手に入れた。
それだけでまだ戦えると、ルクスは黒の剣を強く握る。
同時に、心臓の鼓動がまた大きくなったような気がした。




