かつての記憶
少年はずっと、歩き続けていた。
居場所がなかったから。
誰からも必要とされなかったから。
忌むべきものと、排斥されたから。
街から街へと、時折親切な人と出会い、食料を恵んでもらって一緒に旅をさせてもらえることもあった。
例えその結果が冷たい別離に終わろうとしても、少年の心には確かに温かいものが残った。だから人間を嫌いになることはできなかった。
色々な人と出会った。
少年を利用しようとする者、忌み嫌って理由もなく暴力を振るう人、或いはそうであると知っていながらも優しく接してくれる人。
出会い、別れ、繰り返しながら歩く。
いつしか目を覗き込まれることが怖くてたまらなくなる。
親切だった人が、その光彩を見た瞬間に程度を変えてしまったこともあったから。
時には剣を握り、人の役に立とうと必死で慣れない媚びを売り、旅に同行させてもらう。
戦いの真似事もした、殆ど役には立たなかったが、戦闘を生業とするならず者たちは、あまり少年を差別的な目で見ることはなかったように思える。
勿論、そんな彼等であるから、一緒に居られた時間はそれほど長くはなかったが。
歩く途中で、ふと立ち止まる。
離れたところに、街の明かりが見えた。
夕焼けに染まりゆく街には、仕事を終えた人達や宿を求める旅人が吸い込まれるように向かって行く。
きっと中には、少年の知らない家族と言うものがあって、一緒に食事をしてお風呂に入って眠るのだろう。
別にそれらを妬むわけではない。
彼等に対して恨みを募らせることもできない。
ただ、羨ましい。
その度に胸に去来するのは、あの時手を引いていた少女ことだ。
あの後人目を隠れながら焼け跡に戻っても、誰もその場にはいなかった。後悔しながらも、だからと言って後を追えるほどの勇気もなかった少年はそのまま生きていくしかできなかった。
もし、自分が強かったなら。
あの時助けてくれた英雄のような力を持っていたのならば、手を離すことなんてなかったのに。
彼女を護ってあげて、今も一緒に居てあげることができたというのに。
もし、自分が英雄だったのなら。
こうやって遠くから眺めているだけではなく、あの温もりの中に彼女を連れて行っても許されたかも知れないのに。
そう思うたびに心臓が痛む。
ずきずきと鈍い疼きを訴えるそこを抑えながら、英雄を夢想する。
そうなれば、全てが叶うかも知れない。
そうやって彼女に贖罪し、生きていることも許されない自分が生き続ける理由にしなければならない。
鼓動が強まり、痛みが激しくなっていく。
その鈍痛を受ける度に、少年は脅迫されたかのように決意を固めていく。
英雄にならなければならない。
英雄になって、救われたい。
誰も自分達を救ってくれないのならば、せめて自分だけでも――。
▽
「……ふん」
眉根を寄せながら、ベオは翳していた手を退ける。
ミリオーラの街のルクスのギルド支部。つい先程ここに連れ込まれた傷だらけのルクスの治療を、覚えたばかりの治癒魔法で終えたところだった。
目の前にあるベッドには、この部屋の主が横たわっている。ベオが魔法を使う前に、エレナ達によって最低限の治療を受けていたため、全身には包帯が巻かれている。
「べ、ベオちゃん? ルクス君の容体は……?」
「私は魔法を使えるが、医者ではない。だが、傷は殆ど塞いであるし、顔色も悪くはない。呼吸も問題なさそうだ」
隣で真剣に事を見守っていたエレナが、ほっと息を突いた。そして次に先程までルクスに伸びていたベオの右手に注目する。
「ベオちゃん! その火傷は……?」
「……あぁ、折角覚えてみたのだがな」
苦笑し、傍にあった椅子に腰かける。
背もたれに全力で身体を預けながら、視線だけエレナの方へと向けた。
「どうにもこの治癒魔法……特に神聖な力で傷を癒す類のものと私の肉体は相性が悪いようだ。色々と覚えて見たのだが、勿体ないな」
「ちょっと待って、すぐに薬を……」
「大袈裟な」
言いながら、素直に右手を差し出してエレナの治療を受ける。彼女は手際よく、ベオの右手に軟膏を縫ってその上から包帯を巻いてくれた。
「乳女、悪いがこいつと二人にしてもらっていいか?」
「え、う、うん……」
治療が終わってすぐにそう切り出されて、戸惑いながらもエレナはベオの頼みを承諾する。
「でも乳女はやめて……」
部屋を出ていく直前、そんな声がした。
二人だけになった空間で、ベオはそっとルクスの額に手を当てる。
「……余計な物を見てしまったな」
彼を癒しながら頭の中に流れてきたのは、過去の映像だろう。
どうしてそんなことになったのかは、ベオにはわからない。
治癒魔法が未熟故に、余計な術式まで発動させてしまったのか、それとも黒の剣を介して繋がっているからそうなったのか。
「……或いは、お前が見てほしかったのかもな。……そんなわけないか」
即座に自分で否定する。
「だが、やはりお前はそうだったんだな」
予想はしていた。
必死で英雄になりたがるその姿はとても危うく、何かを志し夢見ると言うよりは寧ろ――。
「まるで罰を求めているかのようだ」
困難を自らに課せ、それを乗り越えて誰かを助ければ認めてもらうことができる。
そうなることが許してもらえる。そうなることで初めて、自分を許せる。
人造兵として生まれてしまった己自信を許すために、少年は英雄を目指そうとしていた。
「恐らくお前は、人造兵の自分が嫌で嫌で仕方がなかったのだろうな。だからせめて、『何か』になろうとしている。……ははっ」
ルクスから手を遠ざけて、自嘲しながら天井を見上げる。
思い返すのは、混濁した自分自身の追憶。
世界を焼いた燎原の火、魔王ベーオヴォルフ。
世界に恐れられたものであるはずなのに、思い出せないことが多すぎる。
何故、世界を焼いたのか。
何のために、多くのものを傷つけたのか。
その果てに何を手に入れたのか。いや、手に入れていないからこそ、こうしてここに戻ってきてしまったのか。
ベオの中にある記憶は断片的なもので、辛うじて自分を定義できる程度でしかなかった。
「私の手を離すなよ、ルクス」
包帯の巻かれた右手を、仰向けに眠るルクスの胸の上に置く。
「私がお前を英雄にしてやろう。その代償は――」
少女が何を願ったのか、それが誰にもわからない。彼女自身ですらも。




