あの日放してしまった手
フィンリーの立てた作戦は、決して褒められたものではなかったが、だからと言って無謀と言うわけでもなかった。
現状投入できる戦力を全て用いてのギリギリの勝利。それこそが彼女の描いた戦いの最高の終わり方だった。
戦術としては満点ではない。しかし、成功すればその分の見返りは大きい。
その為の必要最低限の戦力はこの場に整っていた。問題は、それが彼女に反発心を抱く部下達によって無駄に消費されてしまったことだ。
結果として、彼女は部下の掌握を怠った指揮官として無能の烙印を押されてしまうことだろう。この場を無事に切り抜けることができない限り。
修理が終わっていない城壁の穴から、次々の魔物の軍勢が押し寄せる。
昼間の時点で負傷者の数は相当数に上り、治癒魔法によって誤魔化すことで辛うじて戦線を支えていられるような状況だった。
「ちぃ! 充分な治療を受けた癖に、最前線に立つこともできんのか!」
ベオが怒鳴りながら、両手に纏った炎を無差別に放つ。
最早周囲をゴブリンとオークに囲まれ、何処に撃っても敵に当たるような状況だった。
押し寄せる魔物の群れを、ルクスとオーウェンが中心となって迎撃する。魔導師達は比較的安全な屋根の上から魔法を詠唱しているが、そことて敵の矢に晒され、充分な援護は期待できない。
「おらぁ!」
オーウェンの一薙ぎが、纏めて複数の魔物を打ち倒す。
しかし、その一撃を持って彼の槍は穂先が折れ、武器としては使い物にならなくなってしまった。
「ちっ……。これならもっといいやつを持ってくるんだった」
「安物か?」
「支給品だ!」
ベオにそう返答して、オーウェンは足元から倒れた味方の剣を持つ。
そのまま見事な剣捌きで、迫るオークを見事に倒して見せた。
「……凄い……」
「武器にこだわりはないんでな。それより少年、無理すんな」
「でも、この状況は無理でもしないと!」
オーウェンに並び立つように、前に出る。
彼が打ち漏らしたオークを黒の剣で斬り、戦線を押し上げる。
「数が足りねえ……。どれだけの魔物が発生してたんだ、こりゃ」
「周辺に広がった奴等が一斉に集まってきたようだな。今ここにいる戦力を片付ければ、当面はこの辺りの支配権を手に入れられることがわかっているらしい」
両手に纏わせた炎が、ゴブリンの首を焼き切った。
肉の焼ける嫌な匂いをさせながら、ベオがルクス達を援護するために前線へと加わっていた。
「ベオ、大丈夫?」
「私を誰だと思ってる。近距離戦も、貴様よりはこなして見せる」
両手に纏った炎が、長い爪の形へと変化していく。
「大した魔導師だ。何処で習った?」
「独学だ」
再度、魔物達が突撃を敢行する。
ルクス達はその流れに瞬く間に飲み込まれ、自分達の身を護るので精一杯な状況にまで陥っていた。
積み上げた土嚢を突破され、逃れ切れなかった兵士達が悲鳴を上げる。
「このままじゃ!」
オークの持つ巨大な太刀を、黒の剣で受け止める。
そのまま受け流そうとしたところで、脇腹から痛みが走って、ルクスは弾き飛ばされてその場に倒れた。
「ルクス!」
ルクスに止めを刺そうと勇んだオークの懐に、ベオが飛び込む。
心臓を貫くような炎の掌底を受けて、醜い悲鳴を上げてオークが崩れ落ちた。
だが、敵はそれだけではない。
オーウェンでは相手にし切れなくなった魔物達が、弱っている者から片付けようとルクス達の方へとじりじりと包囲を狭めていた。
剣を杖にどうにか立ち上がろうとするが、力が入らない。
身体の内部からルクスを焼く毒素によって、既に体力は限界に達していた。
視界が霞み、額からは嫌な汗が次々と垂れてくる。
包帯から染みだした血が、地面に落ちた。
「……くっ……こんなところで死んでたまるか……! 僕は……!」
視界が赤く染まる。
魔物達が火矢を放ち、人間達を一網打尽にするために街を燃やそうとしていた。
それは周囲の建物に瞬く間に引火して、ルクス達を包囲するように炎で包んでいく。
「……こんなの、まるで……」
あの日の光景のようだった。
少年が自分の無力を噛みしめた日。
弱さ故に、少女の手を離してしまったあの日。
――だが、今日はその日ではない。
声が走った。
炎の燃える音や、魔物達の鳴き声、人間の悲鳴よりも遥かによく響く、高らかな声。
それは意味など持っていないはずなのに、何故か歌声のように聞こえていた。
一斉に、魔物達の動きが止まる。
それに戸惑うように、ルクス達を初めとする人間達もまた、その場で停止していた。
経過した時間は、数秒にも満たなかっただろう。
時が動きだすのと同時に、異変が訪れていた。
何かが飛来する。
炎の膜を切り裂くようにして飛んできたそれらは、槍や剣だった。まるで砲弾のように発射され、背後から次々と魔物を貫いて絶命させていく。
「……なんだ……この気配……」
隣でベオが、上擦った声でそう言った。
見れば、獣耳と尻尾を逆立てて、何かに警戒するようにその方向を見つめている。
夜の闇の一点。
炎の灯りすらも飲み込むような黒い何かが、地面に染みだしていた。
「……ぐっ……」
心臓が痛む。
黒の剣が呼応するように輝いている。
その闇はまるで影のように広がって、魔物達の足元に伸びると、底なし沼のようにずぶずぶとそれらを沈めていく。
「ああっ……!」
まるでそれは、捕食だった。
正体不明の敵に戸惑い立ち竦む魔物達を、容赦なく貫き、その死体を飲み込んでいく。
心臓を抑え、地面に蹲るようにしながら、ルクスはその光景をじっと見ていた。
その闇の中に、炎の光すらも飲み込み消し去るほどの暗黒の中心に、誰かがいる。
一人は金色の髪の女性、今まで姿を見せることのなかった、フィンリーだった。
「……彼女は……!」
病的なほどに細く、華奢な少女が隣に立っている。
波打つような白金色の髪は、彼女の目を覆うほどにまで伸びて、その下から紫色の瞳が爛々と輝いている。
口元は不気味に歪められ、魔物達が悲鳴を上げて消えていく傍らで、何かを満たしているようにすら見える。
「……喰っているのか、こいつらを?」
ベオが隣で、そう呟いた。
少女の足元から伸びる影は、確かに魔物へと絡み付きその存在を飲み込むようにして削り取り、消滅させていく。
その姿が捕食のように見えたのは、どうやらルクスだけではないようだった。
「……あれが、『切り札』ね」
そう言ったのはオーウェンだった。
やがて魔物達は突然目の前に現れた恐怖に、背を向けて散り散りに逃げだしていく。
その様子を見ながら生き残った兵士達はそれぞれに安堵の息を吐いて、負傷者の救護へと移って行く。
空には雲が満ち、落ちてきた水滴がルクスの頬に触れた。
だが、そんなことはルクスには関係ない。
必死で意識を繋ぎ止めながら、その少女の顔を真っ直ぐに見つめる。
遠く離れた距離なのに、はっきりとわかった。
――その少女は――。
「アディ」
その手を握っていた彼女を。
手放してしまった、心の中に残る後悔のその名を、呼んだ。
互いの距離は、決して近くはない。
辺りは火の音に雨の音、それから生き残った人々の上げる声で雑音に満たされ、ルクスが呟いたその声が届くわけがない。
にも拘わらず、少女は伏せていたその顔を上げた。
二人はそれぞれの顔を、成長したその姿をはっきりと視界に捉えた。
しかし、そこまでだった。それを最後に、ルクスは限界を迎え、その意識は暗闇の底へと落ちていく。
未だ彼を苛む、炎の悪夢の中へと。




