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黒い鼓動

 ――最初の君は、まだ幸せだった。己が思うがままに、力を振るって死ねたのだから。


 ――二番目の君は、暗闇の中で朽ちた。


 ――三番目の君は、不幸だった。大勢の人に罵られ、悪魔と呼ばれて死んでいった。でも、そうなるだけの理由はあったのかも知れない。


 ふと、我に帰る。

 一瞬気絶していたのかも知れない。頭の中に響いた妙な声に導かれるように、ルクスの視界が開ける。

 黒の剣を杖にして、辛うじて立っていた。

 横には、大の字に転がったベオ。既に数度に渡る魔獣の攻撃を受けて、辛うじて生きていられるような状態だった。


 背には城壁。


 その背後で、ミリオーラの人々が今も逃げ切れず立ち往生している。

 そして、目の前には魔獣。

 血走った目を向け、牙を光らせ、背中から生えた二本の腕を威嚇するようにくねらせている。


 勝てなかった。


 余りにも身の程知らずだった。

 魔獣はベオの魔法によって傷ついているものの、致命傷とは言い難い。


「ベオ……ごめん、巻き込んで」

「言うな、馬鹿め。元々、貴様がいなければ闇の中だった身だ。私とて己の衝動に付き従った結果だろうが」


 無茶をしたルクスを罵るわけでもない。

 ただ、ベオはその選択を受け入れていた。

 ならば、ルクスももう諦めてもいいかも知れない。これ以上辛い思いをする必要など、ないのだろう。


 そう思い、一瞬手から力が抜ける。

 黒の剣がルクスの手を離れる直前、横でベオが空に向けて手を伸ばすのが見えた。

 その小さな掌を太陽に向けて、果たしてそれはルクスに言ったのか、それとも単なる独り言か。


「くははっ、ここまでか……。折角、陽の光を浴びれたのになぁ」


 その声が、普段の彼女からは想像もできないぐらいに弱々しい声色が、耳に届く。

 そしてルクスは、手放しかけていた黒の剣の柄を、強く握っていた。


(……僕は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。自分勝手な意地にベオを連れてきて、一番に諦めようとしている。僕は、今自分に負けそうになったんだ!)


 地面に足を強く叩きつける。

 自分はここにいる、まだ立っていると魔獣に見せつけるように。

 一瞬、諦めた。


 英雄になることも、自分自身の全ても。

 辛かった日々があったから、だからもう楽になっていいんだと言い訳して、死と言う逃げ道を選びかけた。


(そんなのが許されるわけがない! 僕は生きるって決めて、英雄になるって決めて、そして自分の意思でベオを解放したのに)


 ここで、自分だけ諦めて、ようやく太陽を見ることができた少女と一緒に死ぬのが、英雄のやることだろうか。

 そんなわけがない。

 少年が憧れた英雄は、そうじゃない。


 例え冷たい言葉を浴びせられたとしても、覚えていてもらえなかったとしても。

 弱者のために立ち上がり、身体が動かなくなるまで人々のために剣を振るう者のことだろうに。


「……まだ、全部を絞り出してない」


 あの時の力が、まだ残っている。

 力を込めて、黒の剣を握る。語り掛けるように、そのくすんだ赤色の刀身を見つめた。


「お前にそう言う力があるなら、それを貸してくれ。お前はレリックじゃないんだろう? 英雄になれない僕なんかに力を貸してくれるんだろう? だったら!」


 その様子を見て、魔獣が吼える。

 咆哮に全身を貫かれながらも、ルクスは両手で剣を握り、正眼に構えた。


「どうして僕が選ばれたのかはわからない……。人造兵だからなのか、それとも他の理由があるからなのかも」


 だが、その剣は確かにルクスを選んだ。

 ベオは言っていた。黒の剣はベオの封印するための触媒として使われていたが、その力はまた彼女とは別なものであると。


「何も持ってない僕に、英雄になれない僕に力を貸せよ、お前だってそうだろう! 英雄の武器にはなれない剣なんだから!」


 確証があったわけではない。

 しかし、ルクスにはそこに封印されていたベオの姿が見えていたこと、そして何よりもその剣に初めて触れた時から感じる、理由なき共感があった。


 きっとそれは、自分と同じだ。

 この剣もまた、王道を外れたもの。光の下を歩めぬ逸れ者。


 ドクンと、心臓が強く脈打った。

 それに呼応するように、黒の剣の刀身がくすんだ赤から鮮やかな紅へと変化していく。

 あの時と同じ。

 初めてこの剣と出会った時や、エリアスと戦った時と。


 内側から湧き上がるような力が、ルクスの全身に宿っている。

 それが何であるか、何らかの代償を支払わなければならないものなのか、そんなことは関係ない。


「もう悲劇は沢山だ……!」


 或いは聡い者なら、人生経験を積んできた人ならば、ルクスの中にある虚無と、英雄を目指すことへの執念が何処から来るかを半分は理解していたかも知れない。


 だが、それはあくまで人間の視点で見ての話だ。

 答えはもっと単純なところにある。

 あの炎の中で、救えなかった少女がいる。


 わけもわからぬままに奪われた幾つもの命がある。

 その悲劇に比べれば、少年がそれまで歩んできた日々などは、悲劇と呼べるほどでもなかっただろう。


「死なせない……!」


 魔獣が目の前に迫っている。

 その横を通り抜け、擦れ違いざまに一閃。

 数秒遅れて、魔獣の角が一本斬り飛ばされ、そこから鮮血が噴き出した。

 怒りの声を上げて、魔獣の背中から伸びる腕が迫る。


 突き立てられる二本の爪を剣で弾く。

 踏み込み、斬りつける。

 魔獣が攻撃すれば、器用にそれを避けて、何度も何度もその身体を削るように斬撃を見舞って行った。


「行ける……! ベオの魔法のおかげで、こいつの硬い体毛がなくなっているから!」


 クレーターの中を二つの影が飛び回り、何度も交差する。その度に魔獣の身体には、ルクスが付けた傷跡が増えていった。


「……負けない……!」


 牙と剣が交差する。

 先程は押し切られた魔獣の膂力に、ルクスは両足を踏ん張って抵抗していた。

 黒の剣が、脈打つ心臓が無限に力を与えてくれる。今だけは、まるで英雄にでもなったかのように身体が軽く、内側から活力が溢れだしていた。


「負けてたまるか……! お前にも、自分にも、この世界にも……!」


 全力を込めて、魔獣を押し返す。

 魔獣自身もまさか人間に力で負けるとは思っていなかったのだろう。無理矢理に後ろに下がらされて、次の行動が一拍遅れることとになった。


 その隙に、ルクスは魔獣の片目を斬りつける。

 真っ赤に染まった眼球に線が走り、潰れて血が噴き出す。

 その返り血を受けながら更なる一撃を加えようとした時、不意にルクスの身体が動きを止めた。


「……なっ……んだ?」


 頭の中に、映像が浮かぶ。

 誰かの意識が流れ込んでくる。

 これは自分の記憶ではない。


 血を通して同調してしまった、『誰か』の追憶。


 最早声さえ消えてしまった、意識すらもない声に耳を傾け、ルクスの意識は一瞬で闇の底へと沈んでいった。


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