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少年と魔獣

 朝焼けに染まる地平線の先。

 黒の剣を片手に佇むルクスの前に、その黒い獣は現れた。


 既に街の避難は大半が完了しているが、それも全てではない。今魔獣が街の中に解き放たれれば、大勢の犠牲者が出る。


「……だから、ここで抑える」


 冷や汗が頬が顎に伝って落ちる。

 目の前にいるのは一匹の黒い獣。魔獣と呼ばれる古代の生物兵器。

 四本の四肢、獣の顔に裂けた口、二本の角を生やしたその大きさは、ルクスの二倍以上だった。これでもアレクシスが戦った時よりは大分小さくなっているのだが、そんなことはルクスが知る由もない。


 獣が吼える。

 目の前の敵を威嚇するように、この世のあらゆるものに、自らの存在を誇示し、恐怖を与えるように。


「今更なことではあるが」


 横で腕を組んだまま黙っていたベオが、不意に尋ねた。


「作戦はあるのか?」

「……ないよ。一応、僕が引きつけるから、ベオはあいつを隙を見て魔法をお願い」

「……承知した」


 どの道、切れる手札など多くはない。

 二人のやり取りを遮るように、魔獣が咆哮した。

 世界中を己の声で染め上げるような声は、戦いを開始を告げる合図となる。

 四本の足が地面を蹴る。

 魔獣はその巨体に似合わぬほどの俊敏性で、一挙にルクスの目の前まで躍り出る。


「早い、けど!」


 体当たりを、剣を構えて防ぐ。

 想像していたよりも遥かに大きな衝撃がルクスを襲い、その小柄な身体が空中に打ち上げられた。

 どうにか受け身を取り、地面を転がって衝撃を殺すが、すぐに攻撃に移ることはできそうにない。

 顔を上げた次の瞬間には、魔獣の牙が視界一杯に広がっていた。


「っ……!」


 縦にした黒の剣で、その牙を受け止める。

 その凄まじい力に拮抗できるのは、僅か一秒にも満たないだろう。

 すぐに押し切られて、その胸を食い破られる。


 その恐怖に目を背けそうになったその時、頭の中に妙な映像が浮かんだ。

 獣の赤く染まった瞳、それを見た瞬間、ルクスの心臓が跳ねる。


「な、」


 驚いたのは、獣も同様のようだった。

 一瞬、力が抜ける。

 その隙に下に潜り込み、腹に蹴りを入れてその巨体をずらす。

 彼我の距離が離れたその瞬間、膨大な熱量が横合いから獣を焼き尽くした。


 炎に巻かれた獣はその場から吹き飛んで、その巨体を跳ねさせるが、仕留めるには至らない。

 すぐにまた態勢を立て直し、炎を振り払って、凶悪な牙を剥き出しにしてルクスとベオを睨みつけていた。


「……今の、何だ?」


 今もなお、心臓が高鳴っている。

 それは黒の剣に初めて触れた時と同じ、同調するような脈動。

 映像が、垣間見えた。


 獣人の少女の中に押し込められた魔獣の記憶が、一瞬脳裏に投影された。

 暗い洞窟の奥、話し相手もいない日々。

 与えられる餌は――。


「うっ……!」


 込み上げてきた吐き気に口元を抑える。


「ルクス! 何をしている!」


 その間に、魔獣は次の行動に移っていた。

 飛びかかってきたその巨体に、ベオの放った火球が炸裂し、爆風で魔獣を遠くへと追いやる。


「貴様、何を呆けている! この期に及んで風邪をひいたとでも抜かすつもりか!」

「違う……! いや、でも……。そうだね」


 堪える。

 今の映像は幻であると、自分に言い聞かせる。

 両手に剣を構えて、改めて魔獣を見る。


 ベオの炎を受けても、魔獣は全くダメージを受けた様子はない。その流動する泥のような黒い体毛によって、全て防ぎ切られているようだった。


 ゴブリンとは違う。

 少しばかり腕の立つ人間とも違う。

 これがルクスが経験する、初めての死闘だった。


「ベオ、今の魔法は全力?」

「侮るなよ……と言いたいところだが、そうだな。業腹だが今の私では、このぐらいの出力が限界のようだ」


 悔しげに唇を歪め、ベオが掌に炎を出現させる。


「かくなる上は直接ぶち込んでやるしかなさそうだ」

「だったら、隙を作るよ」

「当然だ。やって見せろ」


 獣が駆ける。

 同時にルクスも走る。

 両者はその中ごろの距離で再びぶつかり合った。

 その頭に黒の剣を叩きつけ、そのまま突進を右に跳躍して交わす。

 側面の脇腹に剣を入れても、硬い体毛を突破できる気配はなく弾かれてしまう。


 だが、それでも魔獣にとっては煩わしいもののようだった。不快そうな声を上げて、前足で薙ぎ払うように攻撃してくる。


 それを、剣で弾く。

 そして距離を取り、挑発するように再び剣を構えた。

 もうあの一撃を正面から受けることはしない。受け止めることもできずに粉々にされてしまいかねない。


 ルクスにできることは、ただ獣を攪乱し、ベオが攻撃できる隙を作ることだけ。

 斬りつけ、離脱して、再び攻撃する。

 その度に獣は爪を、牙を振り回してルクスの迎撃する。

 たった一撃でも受ければ、そのまま殺されてしまいかねない圧倒的に不利の攻防。


 それでも臆せず、ルクスは無謀な攻撃を魔獣に繰り返す。


「……お前を倒す。倒して、僕は認めさせる……!」


 これは、超えなければならない壁だ。

 英雄になるために、否定された自分を取り戻すために。

 人造兵たる少年が、その在り方を誰かに認められるために。


「僕はお前に……勝つ!」


 焦れた獣は一度ルクスから距離を取り、助走を付けてその牙を剥いて襲い掛かる。

 それはルクスにとって、千載一遇の機会だった。

 既に魔獣の速度には、目が慣れている。


「このタイミングなら!」


 相手の速度、体重、それらを全て利用した一撃を返すことができる。

 両手で黒の剣を強く握る。

 心臓が脈打ち、手から伝わる力によってくすんだ赤色が鮮やかな紅へと変化していく。

 すぐ目の前には、獣の顔。


 下段に構えた剣を、その首へと一気に振り上げる。

 鈍い音がした。

 ルクスの放った一撃は、その泥のような体毛を切り裂いて魔獣の首筋へと深々と減り込んでいく。

 血が吹き出て、剣を握る両腕に降りかかる。


 予想外の威力に、獣が驚いたように目を見開いた。


「ベオ!」

「わかっている!」


 この場から動けそうにはない。

 決死のカウンターは、獣に対して打撃を与えることには成功したが、その勢いを完全に殺しきったわけではない。

 全身を打ち抜くような衝撃を受けて、ルクスはその場から動くことができないでいた。


 そこに、天から銀色の影が落ちてくる。

 高く跳躍したベオは、その手にありったけの魔力を込めて魔獣の背に叩きつける。


「多少の火傷は覚悟しておけよ!」


 爆音がすぐ傍で鳴り響いた。

 ベオが炸裂させた炎の魔力の塊はその場で炸裂し、紅い閃光が吹き荒れる。

 その爆発は巨大な衝撃波となって、すぐ傍にいたルクスを遠くへと吹き飛ばした。


 ミリオーラの城壁近くまで転がされたルクスは、痛みを堪えながら手を突いて顔を上げる。

 濛々と立ち上る炎と煙の中、そのあまりの威力に削り取られてクレーターとなった地面が見える。


「……やった……?」


 煙が晴れても、クレーターの中心に巨大な影は見られない。

 今の一撃で影も形も残らないほどに消滅してしまったのだろうか。


「……ルクス」

「ベオ、今の……!」


 すぐ傍に立つ少女を見上げて、ルクスは言葉を失った。

 魔法を放った彼女の右腕は、流れる血すらも固まってしまうほどの痛々しい火傷を負っていた。

 皮膚は剥がれ、触れればそれだけで指先から崩れてしまいそうなほどに痛々しい火傷跡を見て、何も言うことができなかった。


「まだ来るぞ」

「えっ……?」


 地面が爆ぜる音がした。

 咆哮と共に、二本の腕が土を吹き飛ばすようにクレーターから飛び出してくる。

 それはその先端についた鉤爪でルクスとベオ、それぞれに同時に叩き込まれた。


「ぐあっ!」


 悲鳴を上げて、二人は同時に地面に叩きつけられる。

 特にベオは立っているのも精一杯だったのだろう、そのまま無防備に仰向けに地面に叩きつけられた。

 じわりと、赤い血が広がっていく。


 それを見たルクスも、自身の腹にある爪の後を見て、悲鳴を上げそうになった。

 そして、次に魔獣の本体がクレーターの瓦礫を押し退けて顔を出す。

 その全身は火傷を負い、体毛はぼろぼろで所々焦げ落ちて、間違いなくベオの魔法によって痛手を受けている。


 しかし、いやだからこそだろう。


 更なる殺気と凶暴性を秘めた目が、ルクス達を睨んでいた。


 単なる獲物ではない。殺さなければこちらの命に関わると判断した、生存本能が、凶悪なまでに研ぎ澄まされた牙となってルクス達に襲い掛かろうとしていた。


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