ベオの優しさ
ルクス達は普段、ミリオーラの街の、夕立亭からそれほど離れていないところにある宿で寝泊まりをしている。
エリアスがギルドに加わってからはもう一部屋を追加で借りたのだが、初期の頃からルクスとベオは二人で一部屋を使っていた。
二つ並んだ簡素なベッドの上で寝巻に着替えたルクスがぼうっとしていると、部屋の扉が開いて、濡れた髪を垂らして裸の上にバスローブを纏っただけのベオがやってきた。
「ベオ、寝間着はちゃんと着ないと」
「いいではないか、このぐらいの気温なら裸で寝た方が気持ちいぐらいだぞ。それが貴様が煩いから、こうやって最低限隠してやっているというのに」
その言葉通り、初日は全裸でそのまま寝ようとしていた。それではルクスの方が困るということで、なんとか説得して今の状態にまで至っている。
ベオは全く遠慮なくルクスのベッドに飛び乗ると、乾いた布と櫛を投げてよこす。風呂上がりにこうして彼女の髪を手入れするのは、既に日課となっていた。
丁寧に水気を取り、髪を櫛で梳いていく。
ベオがルクスに背を向けているためその表情を見ることはできないが、ぱたぱたと上機嫌に動く尻尾や耳を見る限りでは、その動きで問題はなさそうだった。
長い髪を時間を掛けて乾かしていると、不意にベオが自分のベッドの方を見ながら喋りはじめる。
「落ち込んでいたのなら、慰めの言葉でもくれてやろうかとは思っていたのだがな」
「……落ち込むなんて……そんな」
思いの外優しい声色に、ルクスの方が驚いてしまう。
ベオは黙ったまま、ルクスの次の言葉を待っているようだった。その心の内を語れと、彼女の小さな背中が告げている。
「……僕は、あの人のおかげで生きていられる。英雄アレクシスが命を助けてくれて、そして生きる目標にもなってくれた。それだけで、あの人は僕にとって英雄なんだ」
彼がいなければ、あの時炎の中で息絶えていた。
身体を張って命を助けてくれなければ、英雄に憧れることもなかった。
アレクシスと言う道標がなければ、ルクスと言う少年はもっと早くに、生きる希望を失って命を棄てていただろう。
「アレクシスは僕に希望をくれた。そうやって生きてきて、今はベオとかエリアスがいる。ああやって人の輪の中でご飯を食べることができるだけで、彼が僕にくれたものは充分過ぎるから」
例えそれが覚えていないことでも、路傍の石に一瞥をくれた程度のことだとしても。
英雄アレクシスは、確かにルクスを生かしてくれていた。
それ以上を望むのは、身勝手というものだろう。
「……そうか」
それを聞いたベオは、それ以上何かを追及することはなかった。
「本当にそんな感情だけだとしたら、お前はやはり人間のできそこないなのだろうな」
「……そうだね」
それは耳を塞ぎたくなるほどに辛い言葉だったのかも知れない。
それでも今もルクスには受け入れることができた。
「……少しだけ、僕は安心しちゃったのかも知れない」
「なに?」
「ずっと考えてた。どうして君の姿が見えたのか、黒の剣が僕を選んだのか……。答えは出ないけど、それは」
心臓がある場所に手を当てて、寝巻のその部分をぎゅっと握る。
皺が寄った安っぽい生地の下では、その身体の中では今も黒の剣と同調した、黒い心臓が脈打っている。
ルクス自身はそれが何であるのかは知らない。時折聞こえてくる声の正体も、自分の中にそんなものがある理由も。
だからこそ、怖かった。そしてアレクシスに会ったことで一つの可能性がルクス自身の中で芽生えてしまっていた。
「僕は、英雄に倒される、そう言うものなのかも知れない」
炎の中に焼け出されたルクスは、幼かったと言うこともあってか自分が何のために生み出されたのかを知らない。
ルクスがいた場所で何が行われていたのか、本当に自分はただの人造兵なのか。
一度は人間に反乱したという危険性を押してまで、哀れな命を創り続けてきた理由はなんなのか。
「だからどうした?」
ベオは、そんなルクスの言葉を遮った。
不機嫌そうに耳をぴこぴこと動かし、尻尾でルクスの膝の辺りを叩く。
「小僧、忘れるなよ」
ベオが背を倒して、ルクスの胸に身体を預けてくる。
未だ濡れている髪がルクスの寝巻に触れたが、それは気にならなかった。
ベオの体温の心地よさに比べれば、そんなものは些細なことだった。
「私は英雄に関しては一家言ある身だ。それこそ、あんな馬の骨なんかよりもな」
「……うん」
「貴様は英雄になる。私はそれを見届ける。違うか?」
「……ありがとう、ベオ」
妙に優しい声色に驚きつつも、不器用なその言葉をルクスは受け入れる。
そのまま髪が乾いて、片方が欠伸をするまで二人は静かな時間を過ごしていた。




