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憧れの英雄

 アレクシスが去ってからの夕立亭にいた人々の反応は、思っていたよりは落ち着いたものだった。

 近くに魔獣が潜んでいて、今もこの街を狙っているというのに何処か安心できるのは、英雄アレクシスが来てくれたからだろう。


 エリアスも暫くその背を見送って、彼が出て行った扉を情けなく眺めていて、ようやく我に返ったところだった。

 英雄、アレクシス。

 彼の名は、アルテウル王国に広く轟いている。


 先の魔王戦役だけでなく、それ以外の様々な戦に現れて、悪しき者を倒し弱き民を救う、英雄の中の英雄。その強さは数多の英雄達の中でも一際輝いていて、大英雄の一人として語られることもある。

 エリアスもまた、そんな彼に憧れていた一人だった。


 いや、この国に生まれて、一度も英雄に憧れを抱かない者などいるはずがない。そう考えるぐらいには、エリアスは英雄に対して強い憧憬の念を抱いていた。もっとも、色々な現実を知った今では、それは単なる、誰でも一度は掛かる熱病のようなものだと理解出来てしまってはいるが。

 だが、今そこに立ち尽くしている少年はどうだろうか。


 エリアスよりも幾分か幼い、出会ったばかりの彼は、純真な瞳で英雄になれると信じていた。

 それが、他ならぬ英雄自身によって否定されたのだ。もしエリアスが子供の頃にそう言われていたら、三日三晩は泣いて過ごしたかもしれない。


「……あの、ベオさん?」

「……なんだ?」


 そう声を掛けてみると、椅子の上で胡坐をかいて、面白くなさそうに肉を頬張っている彼女から、明らかに不機嫌そうな声が返ってきた。


「いや、ルクスさんのこと……なんて言うか、なんか言ってあげた方が……」

「別に掛ける言葉もないだろう。私は世情に疎いが、あんな奴の言葉は気にするなと言ってやれるほど、影響力が少ないわけではなさそうだしな」

「……それは、そうっすけど」

「お前が言ってやったらどうだ?」

「……俺が? 昨日今日知り合ったばっかりですよ?」

「過ごした時間など、私とてそれほど変わるわけでもない。それよりも、あのアレクシスと言う男に同種の視線を向けていた者同士の方が、まだ話もわかるだろうに」


 そう言って、ベオは意地悪く笑いながら、椅子から垂れた尻尾で床を叩いた。

 この獣人の少女には、どうやら見抜かれていたようだった。

 例え封印したつもりであっても、心の奥底にしまい込んでいたとしても、本人を目の前にしてどうしようもなく溢れだしてしまった、英雄に対する憧れが。


「私には何がいいのか理解できんがな」

「だって、英雄ですよ? 大勢に認められて、尊敬される。圧倒的な武勇を振るう戦士に憧れない男はいませんって」


 無意識に熱を帯びていたエリアスの言葉を、ベオは涼風のように受け流す。

 その視線はじっとルクスを見つめていたが、彼女が自分から動くことはなさそうだった。


「……じゃ、行ってきます」


 ルクスの元に歩み寄り、アレクシスが去っていった扉の向こうを見つめている彼の肩に手を置く。

 果たして何と言ったらいいものか、こういう時に都合のいい言葉をすぐに思い付けるほど、エリアスは人の心に聡くはない。


「あー、気を落とすなよ。英雄だって人間なんだし、物忘れもするって」


 取り敢えずは、ルクスが彼に覚えていてもらえなかったことに対してフォローを入れることにした。

 手を置いた彼の肩は小さく震えている。

 ひょっとしたら泣いているのかも知れないと一瞬身構えたエリアスだったが、どうやらそう言うわけではなかったようだ。


「……話しかけちゃった……大英雄アレクシスに……! どうしよう、エリアスさん。僕、まだ震えてるよ……」

「……ルクス?」


 正面に回って顔を覗き込むと、ルクスは締まりのない笑みを浮かべていた。その不思議な光彩を放つ瞳も、いつも以上に輝いているような気がする。


「やっと会えた、命の恩人に会えた……! あー、こんなことなら握手とサインをお願いするんだったー! でも、魔獣の討伐が終わったらまた会えるから大丈夫だよね?」

「い、いや、どうなんだろう……。アレクシスって言えば謝礼も受け取らないってことで有名だし、ひょっとしたらすぐにどっか行っちゃうかも……」

「そんなー! 追いかけようかな……でも邪魔になるって言われたばっかりだし……。こっそりついていけば何とか……」

「……全く堪えてないみたいだな……」


 ベオの方を見ると、彼女としても意外だったのか、呆れた顔でグラスを持ったまま固まっていた。


「だってアレクシスだよ? あの英雄アレクシス! エリアスは嬉しくないの?」

「いや……嬉しいけど」


 嬉しいは嬉しいが、目の前でこうまではしゃがれると、なんとなく一緒になって騒ぐ気にもなれない。それに本人が気にしていなくても、ルクスに対して冷たい言葉を放ったことに対しては、少しばかり思うところがあった。


「まぁ、ルクスが大丈夫ならけどな。それよりも、市長に伝えに行かないと」

「ああ、そうだった! じゃあ、ちょっと言ってくる! これもアレクシスの役に立つことだもんね!」


 そう言って、ルクスは夕立亭を飛び出していってしまった。

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