豪雨と矢の雨
ざんざんざんざと降っている雨に、苛立つ。
何だ。この胸騒ぎは。魔化してでも早く着かなきゃいけないような、そんな予感。
豪雨の中を三人で走っている。
雨に濡れる時間を短くしたい。そんな思いもある。だが、別の焦燥感がはっきりとある。
急がなければ、間に合わなくなってしまうような。もうすでに遅いと、理解しているような。
ただの予感じゃないことは、明らかだった。せっかく狩った二頭の馬も置いて走り出している。何も無ければ、後で取りに行けばいい。
前後の二人も息切れしている。切れた息もどうでもいいように、走り続ける。
豪雨で全体が水たまりになったような草原を走れば、ぐちゃぐちゃと濡れた土を掘り起こしてしまい走りにくくなる。もどかしいが、足の不快感さえ気にしている暇はない。
脚の速いソージ君は僕の先を走っている。遅いイッサさんに合わせようとは、僕もできなくなっている。
前を見れば、金糸の髪が雨で濡れて重くなっている。僕の白い髪蛇はあまり水を吸わない。そんなどうでもいいことを考えた。
一足先に門――というか、村を囲む柵がない部分に着いたソージ君が立ち止まった。
何かが起こっているのは、もう明確だった。男たちの怒声が、豪雨の音の中わずかに聞こえていた。
「何、ですか、これ」
血を流して倒れている村の人たち。明らかに、その体に生命は宿っていない。
呆然自失のソージ君の脇をすり抜ける。
僕は冷たい。あんなに優しくしてもらった村の人の死より、怒声の元へと走った。
遅かった。間に合わなかった。
眼に入ったのは、矢の雨。
兵たちに囲まれている中心に、頭二つ大きいヒジカがいた。
暴れたのだろう。統一した防具の兵たちには、血を流して倒れている者も何人もいた。ヒジカの持っていた剣らしい切り傷だ。
タマソン村の、優しかった人たちも、一つしかないものを落として倒れている。
ヒジカは、射られた矢の数本を剣で弾く。
しかし、何十本もの矢を弾くことは出来ず、数本を弾くとあとは避けきれなかった。
背中に一本の矢が吸い込まれ、倒れそうになる。前方の矢が右肩に刺さり、右後ろに体が流れる。
それでも矢を弾こうと剣を振るうが、たまたま当たったような矢が落ちるのみ。
数本の矢に射抜かれ、出来の悪いダンスを踊る。それでもまだ立ち、次に来る矢を払い落そうと剣を握りなおす。
「化物が! まだ、まだ倒れねぇのかよ!」
取り囲む弓兵たちが、怒鳴りながらまた矢を射る。剣を振るうが、もうヒジカは弾けなかった。見当違いのタイミングで剣が空を切る。
数十本の矢が刺さり、趣味の悪いオブジェのような狼男が、ただ立っていた。
もう矢は射かけられない。
もう踊らない。
走り続けていた僕は、ようやく跳びつける範囲にまで来た。
「ヒジカァァァァア!!!」
出したことがない大声を出しながら、跳んで兵の一人を踏みつける。首を捩じ折ってそれを足場に跳び、ヒジカの元へ。
ヒジカと僕を囲む兵たちの視線が刺さるのを感じる。そんなことはどうでもいい。ヒジカが、勇者が、この好い人が死んでしまう。
「総員、白髪の者にも矢を!!」
僕にも矢の雨が降りそそぐ。矢は肌の鱗が弾く。頭も髪蛇が動いて勝手に防ぐ。跳んでヒジカへの矢を弾こうとするが、すべては防ぎきれない。また刺さってしまう。
僕にダメージはないが、体に力が入らず、矢に押されるように膝を付いてしまった。
「もういい! すでに致命傷だ! 退け! 退けぇえ!」
殺すべきとさえ思えない。あんな奴らはどうでもいい。
兵たちは、僕に矢が当たったと思ったのだろう。バタバタと去ってしまった。
「ヒジ、カ……」
「……オゥ。ヤっぱ、強ぇし、やっパリ……、そうだっ、た、カ」
ヒジカは辛うじて声を出す。立ったまま。肌が痛いほどの豪雨の中なのに、はっきりと聞こえた。
どうしていいかわからず、立ち上がってヒジカの両肘を持って支えた。こんなに矢が突き刺さって。弱い体にはどれほどの痛みなのか。
僕はただ、うろたえるしかない。寝ころばせれば矢が食い込む。矢を抜いても痛みと出血は重い。
……何でもできると思っていた。
邪眼で生物なら動きを止められる。
ある程度の高位の魔物でも倒せる。
百メートルを超す大蛇になれる。
空だって飛べる。
でも僕は、何もできないじゃないか。
この優しい勇者の、矢一本分の痛みさえ取り除いてやれない。
「ヒジカさん!」
「ヒジカ!」
ようやく二人が追い付いてきた。
ソージ君は、イッサさんに背を支えられている。村の皆殺しなど、十歳の少年に抱えられるものじゃない。
「……オぅ。……イ、サさん、ソー、ジ」
虚ろな目で、イッサさんとソージ君の名前を呼ぶ。小さいが、豪雨の雨音よりも強い声。
「……ナぁ。一緒に……、行こうヤ……」
一瞬、何のことだかわからない。しかし、すぐにわかった。
「……何ですか! 今さら、それを言うなんて」
「俺たちは……、ずっとそれを待ってたんだぞ!」
一緒に旅に出よう。ヒジカ・トージス勇者一行として。
「……悪ぃナ。断られたらって思うと、怖くて、ナ」
勇気が出なくて、勇者なのにナ。そう言ってヒジカは力無く笑う。
「お前も。来て、くレる、カ?」
ヒジカは僕にも、そう言った。こちらを見つめて。
「……うん。行くよ……。僕も、連れていってよ……」
ヒジカは右手を僕の頭に乗せる。
「ナぁ。お前、も、勇者適正を持って、るンだ、ろ?」
息も絶え絶えの勇者に、嘘を吐く度胸は僕にはない。
「うん……。持ってるよ」
後ろの二人が驚いている様子を、背中越しに感じる。
「やっぱ、リカ。そんな気、してた、ンだ」
ヒジカが血を吐いた。大量の血が僕の顔にかかる。それを避けることも僕には出来ない。ただ受け止めた。
「……ナぁ、任せて、いい、か? 亜人の、こトを」
僕は、ヒジカの眼を見てただ頷いた。精悍な勇者の少年の顔は、出会った時からずっと尊い。
「ありがと、う、ナ。な、あ、イッサさん、ソ、ジ」
呼ばれた二人は、ヒジカの横へ力無く歩いた。しかし、それぞれ左右の肩をしっかりと支える。続く言葉を聞き逃さないように。
「二人、にも、頼む。あじ、ん、のこと。一緒、いきた、けど行け……うに、な……」
最後は聞き取れなかったが、二人にも意図は伝わったのだろう。
任せろと、任せてくださいという声が重なった。だからヒジカ、死ぬなと。
息が弱くなっている。掴んだ体から力が抜けていっている。
刺さったいくつもの矢。豪雨によって奪われる体温。
駄目だ。もう死ぬ。
今まで人間を治療するなんて、考えたこともなかった。だから僕は人を治癒させるようなスキルは持っていない。
欲しいとも思ったことがなかった。
こんな時、こんな時僕に、何かできることは、ないのか。
きっとこれは夢なのだとも思った。
目が覚めれば、ヒジカと両親がおはようと言ってくれる。タマソン村のみんなで勇者となるヒジカを見送るんだ。イッサさんとソージ君が付いていく。僕は、村に残ってもいい。ヒジカが生きていてくれるなら、少し悲しいけど見送る側でもいい。
そんな都合の良い夢は、幻だ。現実はそんな些細な悲しさじゃない。
戻れ。現実に。僕がやるべきことは、現実逃避じゃない。
逃げられないのだ。
今厳然とある、ヒジカ・トージスの身体が命を失っていく現実からは。




