転生―切なさの加護
――お久しぶりです。
声がする。目を開ける。
そこは白い世界だった。壁もない、どこまで行けば果てがあるのかもわからない、白。
上も白。地面も白。左右を見ても前後を見ても果てのない白い空間に、僕は立っていた。
――醒めましたか?
姿のない声。
女の声だった。哀れみに満ちた、優しげな声だ。
「あんたは?」
――私は『切なさ』の女神。
……切なさの女神? そんなけったいな名前の神は聞いたこともない。
――あなたの世界には、私はおりませんから。
苦笑いしたような声で、いれば助けることもできたのですが、と続ける。口に出さなくとも考えていることが分かるらしい。
「僕の世界ってことは……。あんたは異世界の神で、ネットやらアニメで流行りの異世界転生でもさせようってのか?」
言わなくても伝わるようだが、なんとなく心を読まれるのも癪なので、言葉にすることにした。
――話が早くて助かります。私の世界ではほかの神が転生させた勇者がいるのですが、戦況が芳しくないのです。
「それで僕を、勇者として転生させようってこと?」
――えぇ。例に漏れず、私の加護や能力を授けます。
■■■は《女神の加護Ⅳ》が与えられる!
これにより、■■■は《先見の明》を獲得した!
同じく■■■は《神の約束した克服》を獲得した!
同じく■■■は《驚異の集中力》を獲得した!
同じく■■■は《焦土の吸収力》を獲得した!
同じく■■■は《果て無き成長》を獲得した!
同じく■■■は《無限の度量》を獲得した!
「……至れり尽くせりなこって」
――……あなたを見て来ました。顔に傷を負う前も、顔に傷を負った後も。
……!
――失礼。あなたの切なさは、異世界の私に届くほど、深いものでしたから。
「……悪趣味なことだ。僕の死に際も見ていたんなら、勇者なんて立派な職業には不向きだと思うけど?」
――あなたはいつも、泣いていましたね。抱く時も金銭を稼いだ時も、人に武術で勝利した時も。
「涙なんて、子どもの頃以来流してないよ」
――心の中で、ですよ。
さすが女神。クサい言葉にも躊躇がない。そして、そうクサいとも感じさせない。
――いつでもあなたは、勉学に励み肉体を鍛え、自分を成長させてきました。恵まれた状況でも、恵まれない状況でも。顔の傷で普通の人が持てば、何倍もの幸福が手に入る域まで能力を伸ばして、それでも幸福が得られない状況にめげることなく。これらの能力は、あなたの成長を最大限手助けするでしょう。
「ただの、諦めだ」
うーばーイーとが出来てからは本当に助かった。家にいても美味いものが食える。外食では、口を開かずには食えない。顔を曝せば、人の蔑みや哀れみの目が刺さる。美味いものを食っても美味いと感じられなかったのだ。
……最後に人と食事をしたのは、いつだっただろう。
――切ない、ですね。
「もういい。ただ、僕よりもどうしようもない状況の人間なんていくらでもいるだろう」
――そういう方たちは、諦めているのです。諦めは切なさと似て、縁を遠くするものです。
わかるような、わからないような気がした。それでも、何故僕なのかとはっきりしないのでは、気持ちの置き所がない。
――名前ですよ。
「名前?」
――あなたは、自分の名前が言えますか?
「何を言っているんだ。自分の名前くらい、言えるに決まっている」
……あれ?
「え……、あれ、僕の、名前」
――あなたは名前を長らく呼ばれていない。そのうちに、名前を忘れてしまっているのです。
嘘だ。人と関わっていないわけじゃない。空手の道場にはいつも行っていた。
――あなたを慕う子どもたちは、覆面のおじさんとしか呼んでいませんでしたね。道場主たちは、あなたを覆面の、と呼び蔑みながら利用だけしていました。道場生たちはそもそもあまり関わっていません。
……確かに、大会にだけは勝つために出させられていた。ご丁寧に出場者名まで『覆面』で登録されて。
――名前はどの世界でも、重要な意味を持ちます。それを持ちながら忘れてしまうほどに呼ばれてこなかった、切なさです。
「うるせぇよ……。セフレたちは――」
――あなたの名前を知りません。
そうだ。全員、出会い系で体だけを写した写真に釣られたデブか、ブスたちだ。
――切ないですよね。容貌が優れた女性には、素顔を蔑まれたくなかったあなたの心も。
「――っ!!」
バレている。その通りだ。僕が狙ったのは、自身も見た目で蔑まれている、僕の顔を何とか受け入れてくれる見込みがある女だけだった。
――……名前を忘れている、ということ自体も重要なのです。
「どういうことだ?」
――いくら神でも、異世界の魂を呼び寄せることは、簡単ではないのです。名前はその人間を己の世界に繋ぎ止める、重要な楔なのです。それが無いことは転生を容易にさせます。あなたとは、以前関わりもありましたし。
関わり? 身に覚えがない。
――あなたは私の声を一度聞き、姿を見ていているのです。
「……そんな記憶はないけど」
――あなたが、一番切なさを感じた時ですよ。
その言葉とともに、女神は僕の前に姿を現した。