第312話 「むせる」
一夜明け、改めて魔物襲撃被害に遭った街の状況を見てみると、それはひどいものだった。
街の3割にあたる面積が瓦礫に変わってしまっているのだし、当然と言えば当然だ。
帰ってきた鳩には領主ライリエネによる粋な計らいが命令として記されていた。
ユスティースは早速復興を手伝うべく、アリーナを伴い街の東部へやってきていた。
街を襲った魔物たちは北東から現れ、そして西に逃げていった。
なぜ来た方向に逃げていかないのかは不明だが、それよりも北東というのが問題だ。
街の人の話では、エルフの騎士団が向かっていったのも北東の方向だったという事である。
彼らの目的地がどこなのかは知らないが、運が悪ければ鉢合わせをしていた可能性もある。
「……あいつら、大丈夫かな」
「大丈夫じゃなかったら今頃その辺にリスポーンしてるはずだし、心配しなくても大丈夫なんじゃない?」
「いや、別に心配してるわけじゃないけどさ。もう終わった任務の事だし」
今回被害に遭ったのは街の東側だ。
ユスティースたちは南のオーラルから街道を通ってやってきた。ゾルレンの南には、オーラル最北端の街プランタンが臨む魔物の領域がある。そして街道はその領域を大きく西に避けるようにして敷設されている。
ポートリーの騎士団はそのまま街に入れずに野営をしたので、彼らがリスポーンするとしたら街の南西部のはずだ。今回は何の被害も受けていない部分である。
「終わった任務の事だって言うならもう忘れたら? それより今は街の復興だよ。ほら、日が昇る前から作業してる人もいるみたいだよ」
見れば確かにまだ早朝だというのにすでに汗だくで、疲れ切った様子で作業している住民の姿がある。
お手伝い気分のユスティースとは違い、彼らはこの街で生きてきて、これからも生きていくのだ。寝ている暇などなかったのかもしれない。
ユスティースは反省すると、すぐに彼らの作業を代わると申し出た。
礼を言って休憩に入る彼らにはポーションを渡しておく。NPCは疲労回復ポーションは好まないと聞いたことがあるので、純粋に体力を回復させるものだけである。
これは支給品とは別に自腹で用意してあったものだ。というより、騎士になってポーションも支給されるようになったせいで使われなくなった傭兵時代の残り物というべきか。
かなり昔のものであり、医薬品は使用期限を無視すると安全性が不安なものもあるが、インベントリに入っていたなら大丈夫だろう。その前にポーションの使用期限などはあまり聞いたことがないが。
ちなみに今日はちゃんと鎧は着込んできた。
ちょっとした力仕事くらいなら鎧を着ていてもいなくても十分こなすだけの能力値はあるし、まさかないとは思うが再び襲撃などに遭ったとき、今度こそ街を守るためである。
そんなユスティースを見習ってか、アリーナも鎧はきちんと着込み、剣も佩いている。
彼女も昨日の一戦で思うところがあったのだろう。
しかしユスティースたちが作業を始めていくらも経たないうちに、今度は街の南西部が騒がしくなってきた。
もちろん喧噪が直接聞こえたわけではない。
南西方面から人が走ってきたのだ。
それもユスティースにも非常に見覚えがある人物である。
「こっ、ここにいたのか、騎士ユスティース……!」
「あなた、えーと、副隊長さん?」
次の任務に向かったという彼がなぜここに。
それに他のメンバーはどうしたのだろう。
騎士団全員では街に入れないだろうし、また外で待っているのだろうか。
もし手が空いているようなら彼らにも復興を手伝ってもらうのもいいかもしれない。
そういう理由なら街の人たちも大勢のエルフが街に入るのを許容してくれるだろう。魔物が入り込むよりはマシなはずだ。
「もしやと思って宿に聞いたら、ここだと……。それと私は副隊長ではなく副団長だ。名前はロイクという。名乗ったはずだが、覚えていないのか……?
いや、そんなことより、国に帰るのではなかったのか! あれから2日も経っているぞ、なぜまだこんなところにいる!」
こんなところとは失礼な言い様である。
確かに今は瓦礫の山にしか見えないが、ここもつい昨日まではちゃんとした街だったのだ。
そしてユスティースは今、その姿を1日でも早く取り戻せるよう手を貸しているのである。
「ちょっと、あなたね、言い方ってものが──」
「言い方の問題ではない!
ここにはおそらく、間もなく強大な魔物が攻めてくる! 早く逃げるのだ! あれはさすがに、貴女であっても勝てる相手ではない!」
情報が遅い。
魔物であれば昨日攻めてきて、すでに去った後だ。
確かに奴らはユスティースでも容易に勝てる相手ではなかったが、そんな事まで知っているという事は、やはり彼らもあの魔物と戦ったのだろうか。
しかしそうだとするとタイミングがおかしい。
南西から走ってきたならば副隊長、いやロイク副団長はいつかの野営地でリスポーンしたのだろうし、そうであるなら彼はあれからほぼ丸1日、休みもせずに任務をこなし、そして死亡してリスポーンしたということになる。
魔物の集団が街を襲撃したのが昨日の事であるのを考えると、時間的におかしい。
「……待って。それってどんな魔物? ゴブリンとか、スケルトンとかの混成部隊?」
「魔物の種類など今は! いや、強さを量るのであれば必要か。
魔物は私たちでは見たことのないものだ。こう、城とまでは言わないが、豪邸と呼べる屋敷よりも上背がある巨大な虎だ。見通しが悪いところで遭遇したから顔や全体の形状までは見えなかったが、体の模様からして虎で間違いないはずだ。
奴はひと声吠えるだけでこちらの動きを凍らせ、その前脚のひと薙ぎで騎士の鎧など容易く引きちぎるほどの膂力も持っている。
またサイズのせいか、鈍重に見えても移動速度は速い。
それとこれは不確定な情報だが、人の言葉を話すのかも知れない。あるいはすぐそばに奴を操る人語を解する魔物がいるか、だな。戦闘中にどこからか怒鳴り声が聞こえた」
言われて初めて気がついたが、ロイクの鎧は鋭利な何かで切り裂かれたかのように横向きに数本、線が入っている。あまりに普通に入っているためそういうデザインだったかなと思っていた。
魔物によって鎧に付けられた傷によくあるような、ささくれや盛り上がりなどは見られない。つまり相当硬度に差がある刃物で、相当な速度で切り裂かれたという事だ。
ロイクの言ったようにこれが魔物の爪による痕だとするなら、線の間隔からしてもかなり大きな魔物であり、また戦闘力も非常に高い魔物であると推測できる。
少なくともそれほど大きな魔物は前日の襲撃の際には見かけなかった。あれらの魔物はどれも、人間サイズか少し大きい程度だった。
「昨日の奴とは別口ってこと……!?」
「昨日……? というか、先ほどから気になっていたのだが、この惨状はなんだ?」
「今頃!? どこに目つけてんのあんた。隊長の顔しか見てないんじゃないの?」
「アリーナさん!」
最初の彼の「こんなところ」というのはこの瓦礫の山のことではなく、危険な魔物がすぐ側にいるような街、という意味だったのだろう。
「まさかすでに!? いや、私が復活したタイミングを考えれば、さすがにあの魔物と言えどまだここに来るまで少しは時間がかかるはずだ。
とにかく、ここは危険だ。すぐに国に帰った方がいい」
そういうわけにもいかない。
この街を守り切れなかった、と言うほど背負い込むつもりはないが、それでも悲劇を目の当たりにした者として、自分に出来る限りの復興支援はしてやりたい。
それに。
「ライリエネ様からもこの街で待機って指示が出てるし、離れるわけにはいかない、かな」
この街にまた魔物が襲撃をかけてくるとなれば、今度こそは守らなければならない。
「しかし!」
「あなたたちはどうするの? 任務って終わったの?」
「そ、れは……。そうか、そうだな。騎士だものな。
私たちは、あの魔物が遺跡から外に出次第、再び戻って目的のものを確保するつもりだ。逃げる事はしない。
であれば、貴女がたにも逃げる事を勧めることは出来ないか」
「遺跡? 目的地って遺跡だったの」
ロイクはバツの悪そうな顔をしている。
別に知ったからと言って言いふらしたりするつもりはないのだが。
いやライリエネに聞かれたら報告はしてしまうかもしれない。
とにかく、そういう事であれば彼らに復興の手伝いをしてもらったり、その魔物から街を守る手助けをしてもらうというわけにはいかないようだ。
「それより、その話が本当なら、まずは避難勧告をしないと。
そういうのって他国の騎士がやっちゃってもいいのかな。この街って領主とか居るの?」
北東に向かったロイクたちが遭遇したという事は、魔物が来るとすればまた同じようにこの辺りが戦場になる可能性がある。
復興のために働いている住民たちには西側に逃げてもらうか、最悪の場合は街を捨ててどこかに疎開してもらう必要があるかもしれない。
そのような事は他国の騎士に過ぎないユスティースではおいそれとは言いだせない。街の責任者、例えば領主のような存在に相談するべきだろう。
騎士とは言えよそ者の言うことを聞いてくれるかはわからないが、何もしないよりはいい。
「気付いてなかったの? さっき隊長が話しかけてた汗だくのおっさんがそうだよ」
「言ってよ! いつのかわかんないポーション渡しちゃったじゃない! てかおっさんとか言わない! 聞こえるよ!」
背後でぶうっと何かを吹き出すような音がする。
振り返るとまさにその汗だくのおっさんがポーション瓶を片手にむせていた。
こちらの話が気になって近くまで来ていたらしい。
「ああっ! う、うちのアリーナが失礼な事を! どうもすみません!」
「……いや今むせたのは私の言葉ってより隊長の言葉に反応してなんじゃないかな」
「私の……? あ、大丈夫ですポーションならインベ、保管庫に入ってたので経年劣化はしてません。たぶん」
むせる領主を落ち着かせ、今後の事を話し合った。
領主はすぐに付近の住民たちを避難させ、衛兵たちは街に触れを出しに走らせた。
その内容は、再び魔物が襲撃してくる可能性が高いこと、そして今度は最悪の場合街を捨てて逃げる必要もあるかもしれないことだ。
ユスティースは再び街を守るために戦う事を約束し、アリーナもそれに従った。
今度こそは守ってみせる、と見得を切りたいところだったが、勝てるかどうかわからない相手だ。あまり軽率な事は言いたくなかった。
ロイクたちは国から言いつけられている任務があるため、全員は街の防衛には参加しない。
ただ部隊を分けて何名かこちらに人を回してくれるとの事で、まったく手を貸さないというわけでもなかった。防衛分隊については国には陽動部隊が必要だったと報告するとの事なので、もしユスティースも聴取されるような事があれば口裏を合わせるつもりだ。
街の有力者の中にはロイクたちの存在が魔物の襲撃を誘発したのではと勘繰る者もいたが、だとしたら昨日の襲撃をロイクが知らないのは不自然だし、彼にそんな腹芸ができるようには思えない。
この後来るという魔物については不明だが、そんな魔物の話は街の誰も知らない事だった。
仮にそんな強大な魔物がずっと以前からこの近くにおり、ロイクたちがそれを目覚めさせたのだったとしても、ロイクたちばかりの責任だとは言い切れない。
ロイクたちが来ようが来るまいが、いつか誰かがやらかしていただろう。
「──では、申し訳ないが私はそろそろ遺跡に戻る。
あちらにはまだ生き残りの騎士たちがいるはずだし、様子を見て再び遺跡に侵入しなければならないからな。
今街の南西部に復活している者たちは好きに使ってくれて構わない。伝令をやって、すでに情報は共有してある」
話し合いが終わるとロイクがそう言い、席を立った。
「なんか、断りづらい空気出しちゃってごめんね」
ユスティースに恩を感じている、かもしれない彼らなら、ユスティースがこの街に留まって身体を張って街を守ると宣言すれば、見て見ぬふりは出来なかったのかも知れない。
「いや、構わない。
……今回の任務は、確かに騎士として大切なことを学ぶ事が出来たと思っているが、その一方で任務そのものは到底騎士として誇れる仕事とは言い難いものだった。国や種族は違えど、こういう部分で人々の役に立てるというのなら我々としても本望だ。
それに陽動が必要だというのは確かだ。あの魔物が遺跡からこちらに出てくるかどうかはわからないが、もし出てきたとしたらそれを引きつけるために人数が必要だし、それが結果的に街を守ることにつながるというだけだ」
遺跡とやらから出てこないのであれば杞憂に終わるが、永遠にそのままというわけにはいくまい。
いずれ、この街は放棄せざるを得ない事になっていたのかもしれない。
「じゃあ、気をつけて」
「そちらも──、なんだ?」
どこからか、地響きのような音が聞こえるような気がする。
「──この音は……! まずい! 想像以上に早い! まさかもう全滅したのか!」
ロイクが叫び、北東の方角を睨みつける。
幸か不幸か、瓦礫の荒野と化した街東部は見晴らしがいい。
しばらくすると、遠く、うっすらと土煙のようなものが朝日に照らされているのが見える。
ユスティースは『視覚強化』は持っていないが、隣のアリーナが険しい顔をしている。彼女は確か持っていたはずだ。
「領主どの! 住民の避難は!」
「いや、さすがにまだだ。済んだと報告は来ていない。東側で作業をしていた者たちは全員下がらせてはいるが……」
土煙と地響きはどんどん大きくなっている。
なるほど確かに、すごい速さだ。
「とりあえず、私が時間を稼ぎます!」
「私も復活した団員を呼んでくる!」
ロイクが南西に走っていった。
彼が部隊を連れて戻るまで、ここはユスティースとアリーナが何とかしなければならない。
日が昇る前から率先して街の復興に尽力する領主の鑑。種族的には平民と変わらないけど。
死亡していた1時間は別として、ロイクたちはなんだかんだ言って寝ずに炎獅子と王子と戦ってた事に。
全滅が早すぎたのはそれも理由じゃないですかね




