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プロローグ

いつからだろう。


あの朝露が草を滴る朝の匂いも。


カーテンが揺れるやわらかな風と午後の日差しも。


真っ赤に染まった雲の数を数えながら見た夕焼けも。


遠くの街のネオンと、申し訳程度に主張する星が重なる夜さえも。


この時間がずっと続けば良いと、素直に心から思えていたあの頃の僕が無性に懐かしく恋しい。




 気がついたら、今はその過去の全てが、過ぎ去った(思い出)というただの言葉になってしまった。




 大学を卒業して7年。大手保険会社の営業として働き、30歳を前にして係長に昇進。成績も平均以上、むしろトップだ。悪くない。我ながら悪くない人生だ。仲間内で趣味のフットサルなんかしてみたり、身体を動かす為にジムにも通っている。たまには気楽な連中と飲みにも行き、行きつけの店まで見つけた。満足している。




 しかし何かが違う。満足はしている。だけど「あの頃」の自分にあって、今の自分に無くなってしまったものは何なのか、ひたすら考えても答えがどうしても見つからない。


間違いなくあの時間と風景は僕の中に存在した。


そして何故か今まばゆいほどに再び光輝いている。




 金曜の夜。仕事が早く片付き、会社を出て通勤電車に揺られながら家から最寄りの山野辺駅に着いた。


改札を抜けて家の近くのコンビニに寄る。選んだのは夕食用のおにぎり2個に明日の朝用のパンを1つ。お気に入りの炭酸水と缶ビールを1本ずつ。それといわゆるコンビニの唐揚げを買い、コンビニを出た。蒸し暑い夜だ。スーツを脱ぎ、腕にかけながら(ああ、今すぐこのビールを飲みたい!)と思う衝動を抑え、家路を急ぐ。


自宅のマンションに着き、6階でエレベーターを降りる。玄関の鍵を開け、靴を脱ぎながら誰もいない部屋に声をかける。


「ただいま~…」


靴を脱ぎながら自分自身に言い聞かせる。誰も人がいない部屋で出す声は妙に反響し、2LDKの部屋中に響いた。


電気を点け、テレビの電源を入れるとアイドルの出演しているバラエティ番組を選択する。


窓を開けて夜風を室内に入れ、スウェットのズボンにTシャツというリラックスモードの部屋着に着替えて、早速ビールの蓋を開ける。そのままソファーに腰をかけて一息つきながら少し生温くなったビールを流し込んだ。


背もたれに寄りかかり、溜め息をつきながら考え込む。




 どうして今更「あの頃」なのだろうか。本当にふと思い出した「あの頃」。


今から10年以上前。高校一年の時の事だ。何故だか無性に高一の頃の僕が今の僕の心をノックする。




 意識したはじまりは今日の午後だった。部下と最近の映画の話をしながら事務所で談笑していた。


陽太(ひなた)さん?陽太さんじゃないですか?」


「ん?」


「俺です俺!桜高(さくこう)のサッカー部で一個下だった直樹です!」


「おー!久しぶりだな!元気だった?」


「元気でした!元気でした!陽太さんも元気そうでなによりです!」


彼は当時自分が通っていた市立桜見高等学校の一学年下で、同じ部活であるサッカー部の後輩の直樹だった。会うのは卒業式以来なのでかれこれ10年以上ぶりだ。何やら電気関係の仕事に就いたらしく、偶然社内のエアコン修理に来ていたらしい。こんな事もあるのかと驚いた。


たわいもない会話をしながら思い出話に花が咲く。なんとも言えない懐かしい感覚だ。あの頃に戻った口調で会話するとまるでタイムスリップしたかの様だった。




一通り話、直樹の作業も完了した。


「それじゃあ、陽太さん。またっ!」


「おう。またな!」


 挨拶を交わし、エレベーターホールで直樹を見送りながら振り返り、ゆっくりと今の自分に返る。


仕事を続けようとデスクに戻ると部下の清野が書類を提出しながら話しかけてきた。


「係長は思い出に残ってる事とかありますか?」


「え?高校時代の?」


「はい。さっきの方後輩さんですよね?私の高校田舎だったので田んぼの道を自転車で皆で帰ったのが思い出にすごく残ってて。当時の彼氏と一緒に2人乗りしたりして!そういうのやっぱりありました?」


「うーん…あんま覚えてないなぁ。」 


「そうですか?案外思い出すと楽しいですよ!」


そういって彼女は自分のデスクに戻る。


覚えていないわけではなかった。むしろ直樹に会ったことで、センチメンタルな気持ちというか、過去を強く思い出していた。だが同時に、なぜこの10年以上もの間忘れていたのだろう。きっと誰しも経験した事があるだろう。学生時代の友人に会い、その当時を思い出すという「あれ」である。




 少し考えると、今まで思い出さなかったのではなく、思い出す必要が無いと自分で決めつけてしまっていた事に気づいた。あの頃はただの「過去」になってしまっていて、今を生きる事ばかり考えていた。


だが、少し思い出した途端に大きな波が襲いかかってくる。


戻りたい。あの頃を思い出したい。あの頃の自分と今の自分が一番違うことはなんだったのか知りたい。


そこからずっと、あの頃の自分を思い出そうと必死になっている。




ビールを飲み干し、軽い食事を済ませると、シャワーを浴びながらまたあの風景達を思い出す。シャンプーをして頭をシャワーで流す為目を閉じる。すると浮かんでくる景色があった。




学校の校門まで続く桜並木の坂道。


風通しの悪い体育館。


吹奏楽部の音が聞こえる放課後の教室。


校舎を繋ぐ屋外の渡り廊下に、鍵が壊れてコツで開けられる屋上。


そこから見える景色。


高台の神社で見た夕日に、降り積もった公園の雪。


修学旅行の京都での紅葉。


間近で見た文化祭の花火や卒業式の写真。




そして、鮮明に思い出す美しい絵の数々…




全てが色濃く思い出される。


 


 全開に開こうとする心の扉を一先ず閉じ、代わりに寝室のドアを開けてベッドに潜る。まだ5月だというのに寝苦しい夜だ。寝室の窓を少し開き、網戸の隙間から心地よい風が部屋へ流れる。掛け布団を剥いでタオルケットから足を出し、間接照明を消してスマホのラジオアプリを起動する。


 深夜ラジオが流れる薄暗い寝室の天井を見つめ、わずかなラジオの音声と時計の秒針が進む音だけが聞こえる静寂の中、遠くを走る回送電車から警笛の音が聞こえてくる。


 明日も朝早くから予定がある。目を閉じて眠りにつこうと呼吸を整える。鼻で大きく息を吸い、口を窄めてゆっくりと息を吐く。その一瞬、1日の疲れが抜けていき心が落ち着く。




 すると、閉じた瞼の裏にまた浮かぶあの風景、音、声や香り。そしてハッキリと「彼女」の姿が浮かんだ。


 思わず目を開け、ベッドから起き上がる。


そうか、すべて思い出した。


「あの頃」、高校生の頃の僕は何もかもが全て新鮮で、大切な時間で、彼女と関わるその一分一秒全て全力だったんだ。


自信が無くて、一歩がいつまでも踏み出せなかった。確証の無い事が怖くて、何をするにも確認ばかりしていたんだ。あの子の気持ちさえも確認して知りたくて。だからずっと時が進まないでいて欲しいと思っていたのは、思い出すどのシーン、どの風景にも彼女がいて、ずっとこの時が終わらないで欲しいと。素直にそう思っていたからなんだ。


今の僕に無くて、自信が無かったあの頃に持っていたもの。それは、不安な気持ちを確かめたくて、いつも無駄な位確認していたんだ。


あの時もっと早く伝えられていたら。もっと早く僕が素直になれれば。何か今と変わっていたのか。


もっと、あの頃を深く思い出したい。




起き上がった僕は、間接照明を点け、クローゼットの段ボールの奥にしまい混んでいた高校の卒業アルバムを取り出した。


そうだ。あの時あの瞬間から全て始まったんだ。


あの春の日、あの坂道で…。




アルバムを段ボールから取り出し、開こうとすると最後のページから写真が一枚ヒラリと舞い落ちた。


その写真には高校3年生のあの頃の僕と、「彼女」が写っていた。




ラジオからDJがリクエスト曲を紹介している。


「それではラジオネーム げきともさんからのリクエストです。 


                      “米津玄師でナンバーナイン”」




その紹介の後に流れる曲を聞きながら、風でカーテンがなびく部屋で、窓から入る美しい月明かりに照らされるアルバムのページとよみがえる思い出を、僕はゆっくりと開き始めた。



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