令和のドラ○もん
「なーお前マジこねーの? 今原宿ん前すげぇんだって! いいから来いよ!」
「明日バイトの早番だっつったじゃん。てか今寝てたし。起こされたし」
電気の消えた部屋で、ついスマホを取ってしまったのが運の尽きだ。
スピーカーの向こう、原宿で誰かが挙げる奇声が徐々に揃って、カウントダウンを叫んでいる。スマホから耳を離して画面を見れば、二十三時五十九分。
平成が終わり、令和が始まるらしい。
年号が変わったからといって何が変わるというわけでもあるまいに。
「あーもういいからお前もカウントしろって! こっち、スピーカーにしといてやるからさ!」
「はいはい。五、四、三、二、一……」
ゼロ、と言った瞬間、時代が変わった。
手に持っていたスマートフォンが、いつの間にかグラスフォンに変わっている。
グラスフォンというがガラスではない。アクリルを主体にした複合素材の板切れだ。バッテリーを含む金属部品はグラスフォンの縁三ミリほどで、メモリやCPUは搭載されていない。
オンライン上のスパコンの一部をレンタルするクラウドPCの端末である。スマホで出来たことは全部出来て、仮想キーボードと3D投影プロジェクタによって据え置きのPCよりも便利に扱える。
回線は当然6Gだ。令和ならこれくらい当たり前だろう。
「……テレビなんかやってる?」
声に反応して、壁面に8K画質の3D画像が投影された。
旧時代の平面テレビと比べるとまるで現実そのものだ。壁が切り開かれて、その向こうに遠い世界のどこかが見える。
脳波と眼球の動きを読み取って、見るものの興味を引く番組へ自動的にチャンネルを変更する機能だ。
映し出されたのは、乾いた中東の大地で戦うアメリカの兵士たちだった。
『――混迷を極めていた中東情勢ですが、実戦投入された戦闘用ドローンの活躍により――』
「戦争まで令和に……」
画面の中で、砂塵舞う荒野をドローンが舞っている。
機銃や投下爆薬を備えた最新式だ。戦車や戦闘ヘリにはカミカゼアタックで排除する。
兵士らは装甲車の中でディスプレイを監視しながら指示を出すだけ。戦場で死ぬ兵士は、もういない。
テレビを見ているうちに、眠気はすっかり覚めてしまった。
かと言ってバイトの時間にはまだ早く、上着だけ羽織って外に出る。
この時間になっても、眼球に張り付いたEYE-WEARは店舗広告の表示に大忙しだ。視野の隅にナビや商品情報を張り付け、虫眼鏡からちょっとした双眼鏡並みの視力補正を行えるEYE-WEARはそうした企業の出資があるからこそこうして安く手に入る。令和時代の必需品だ。必需品だから、いつの間にか僕の目にも張り付いていたのだろう。
軌道上に存在する人工月とEYE-WEARの光学補正によって、夜の街は夕暮れよりもはっきりと見える。
立ち寄ったコンビニには店員も客も誰もいない。当たり前だ、こんな時間に働いているのはAIくらいのものだろう。
カゴの代わりに有料のビニール袋を一枚とって、適当に商品を詰め込んでいく。品種改良で完全栄養食に近づいたポテトチップスと培養チキンのから揚げ、合成肉のジャーキーと煎った虫。なかなか挑戦的なメニューに感じるけれど、令和ならこれくらい当たり前だ。
買ったはいいが会計の方法が分からずまごついていると、監視カメラに備え付けられたスピーカーからAIの合成音声が話しかけてくる。
『そのまま外に出て下さい。私たちは貴方の顔、グラスフォン、EYE-WEARなどからマイナンバーを把握し、商品の代価を強制的に取得します』
「マジかよ、こえぇな令和……」
高すぎる商品を買ってないか確認しながら外に出ると、待ち受けていたのは自動運転の救急車だ。
『春とはいえまだ冷えますよ。店内に設置されたHDIDから貴方の発熱及びウィルスの感染が確認されました。抗生物質と栄養補給のため、後方のドアから乗車してくださいね』
「あーはいはい、そういうアレ。土足でいいのかな?」
『車内は適時マイクロ波で殺菌されていますから、問題はありませんよ』
「……やっぱり、どうもAIって会話がかみ合わないんだなぁ……」
座席に座ると、シート状の無痛注射針が膝の裏に張り付いた。
殺菌消毒と傷口の補修、美肌効果を併せ持った医療用ジェルには0,1ミリほどの針が無数に内蔵され、静脈を自動検知し薬剤を投入するのだ。
『仕事先にはこちらから連絡を入れておきましたから、今日は一日ゆっくりしてくださいね。今、ご自宅にお送りいたします』
「マジぱねぇな令和、ケアが行き届いてる……」
コンビニに出かけただけだから、自宅はもうすぐそこだ。
注射シートを膝裏から剥がして救急車を降り、部屋へ戻る。休んでいいということだし、着の身着のままベッドに倒れ込んで――
そこでようやく、僕は目覚めた。
テレビはずっとつけっぱなしだったようで、相も変わらずグルメ情報と天気とニュースをごちゃまぜに垂れ流している。
変な夢を見たのは、きっとそのせいだろう。令和元年の一日目であろうとも日常は変わらず、朝日は昨日と同じように登って、バイトには遅れる寸前だ。寒気に身を震わせながら着替えだけ済ませ、足早に玄関へ。
――きっと、時代が変わるというのはこういうことだ。
何も変わっていないように見えて、そこには何かが変わるんじゃないかという期待がある。
夢に見るような、曖昧で絵空事じみた期待。
僕はふと、ドラ○もんが見たくなった。未来の猫型ロボットがポケットから取り出す不思議な道具だって、いつかは実現できるような気がしてくる。
ポケットから、どこ○もドアの代わりに鍵を取り出した、その時。微かに、消し忘れたテレビの雑音が聞こえる。
『――混迷を極めていた中東情勢ですが、テロリスト側が導入した戦闘用ドローンにより国連軍は非対称性の戦場に引きずり込まれています。未成熟のAIによって非戦闘員、市民にも被害が出ており――』
さて。
令和の時代がどんな風になるのか、神ならぬ僕には分かりかねるけれど。
何はともあれ、今よりもちょっぴりいい時代になればいい。
鍵を閉めて、平成の扉はぱたりと閉じた。