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百鬼夜幸

作者: あずさ

 祭りがあるよ、と猫が鳴いた。

 祭り、と僕は口の中で繰り返す。

 百鬼夜行だよ、と猫はまた鳴いた。



 僕は妖怪だ。だけど小さくてまだ子供だから、ちっとも妖怪らしくなれない。よりにもよって、人間と一緒に住んでいる。

 どうしてそのようなことになったのかといえば、昔、山奥で怪我をしたのが原因だった。

 正直なところ当時はまだ右も左も分からない僕だったから、そのときの怪我は心細くなるほどに痛くて、怖くて。わんわんとわき目も振らずに泣いていたら通りかかった若い夫婦に拾われた。妖怪である僕が見えるというだけでも珍しいというのに、その夫婦はたいそう奇妙な人柄で、僕を見るなり「飼ってやるか」と言い出した。

 豪胆な男と、穏健な女。

 僕を見て怯えるでもなく、逃げるでもなく、ただただ笑って手を差し伸べてきた二人。僕はあっという間にその二人の子供になってしまった。

 他の妖怪は怖くて不気味で、正体を現せば人間はみな腰を抜かして逃げていくという。だというのに僕ときたらこのザマだ。時々自分が情けなくて仕方ない。


 ――だけど、この二人との生活は案外嫌なものでない。

 僕は男を「あるじ」と、女を「姉上」と呼び慕っていた。

 豪快に笑うことばかりが取り柄の男だけど家の主であることには違いないし、女は若く可憐な外見をしていたので他に指す言葉を知らなかった。

 ……さすがに「父上」や「母上」と呼ぶのは照れくさかっただなんて、今でも言う気になれはしない。


「主」


 僕はぐいと主を見上げた。大きな身体。着物の裾をしっかりと握り込んだのに、主の身体はちっとも傾ぐ気がしない。


「主、祭りに行きたい」

「やめておけ」


 素直な気持ちを告げたというのに、主の返事はにべもない。僕が小さいからだろうか、主はすぐに子供扱いをして事を誤魔化そうとする。そんなこと、僕の本意でないというのに。


「どうして」

「坊には早い」


 主は僕を「坊」と呼ぶ。名前を問われたときに馬鹿正直に「ない」と答えたからだ。では坊でいいか、と。呼びやすければ何でもいい。だけど子供扱いしようとするときに呼ばれるのは嫌だった。


「主。僕は祭りに行きたい。今日あるんだ、今日行きたいんだ」

「およし」


 ころりころりと鈴を転がすかのような軽やかな声音は、姉上だ。僕はすがって姉上を見る。姉上まで僕を子供だと思っているの。

 坊、と主は僕を再度呼ぶ。慈しみを込めた眼差しが僕の頭上に降り注ぐ。それと同時に大きくて温かな手が僕の頭を乱暴に撫ぜた。毛が乱れるのは嫌だというのに。


「お前の言う祭りとは百鬼夜行だろう」


 ギクリとした。主はどうしてこう、勘が鋭いのだろう。


「百鬼夜行にはたくさんの鬼や妖怪がいると聞く。坊には向かない。お前は優しい子だ」


 優しい瞳で、大きな口で笑いながら頭を撫で続ける主。僕は頭をがくがく揺さぶられながらも押し黙る。

 向かないなんてこと、あるもんか。確かに普段は情けない僕だけど、祭りなら、祭りくらいなら、大丈夫。祭りは楽しむものなんだ。猫も教えてくれた。百鬼夜行では、僕たち妖怪同士がいがみ合うことはない。

 普段なら僕も恐れたかもしれない。だけど祭りなら心配はいらない。だからこそ僕は行きたい。外を、たくさんの仲間を見たい。

 だいたい、僕だって妖怪なんだ。それを二人ともすぐに忘れてしまうから困る。


「ねえ、坊。祭りなら明日、私たちと行きましょう。出店もあるわ、きっと賑やかでしょう」

「それがいい。坊の喰いたいものもたくさんあるぞ」


 目元を和ませて涼やかに笑う姉上と、力任せに僕の肩を叩いて笑う主。

 その笑顔は嫌いでない。嫌いでないけど。

 そうだねと、僕は小さな声で呟いた。



 夜は暑い。それでも昼間のような蒸した暑さではなく、吹き抜ける風がいくらか冷たくなっている。全身に纏いつく風もさほど重くない。

 主の大きなイビキに嘆息を向けながら、僕はそっと周りを見回した。

 主の隣では姉上が寝ている。このイビキを一切気にせず安眠につける姉上の神経は凄いものだと、僕は心から思う。だけどまあ、今日ばかりはこのイビキにも感謝しよう。僕が抜け出しても物音で気づかれることはないはずだ。

 そろりそろりと家を出る。風が頬を撫ぜていくのが気持ちよかった。月が明るい。なんて祭り日和なのだろう。ああ、ワクワクしてきた!

 一歩、一歩。僕は跳ねるように道を辿る。

 僕だって妖怪だ。もう子供でない。大丈夫。恐れるものなどあるものか!


 デコボコと落ち着きのない畦道。さわさわ身を躍らせる木々。僕を見て挨拶を交える蛙。じりじり忙しない虫の鳴き声。


 ふいに、ぼんやり灯る明かりが見えた。

 僕は顔を上げてますます歩みを速める。きっとあれが百鬼夜行だ、祭りの始まりだ。

 ぐんぐん駆ける。緊張で胸が軋んだ。僕はもう我武者羅にその灯りを求め、


「……ぇ」


 足が根を張り凍りつき、それはまるでただの置物のよう。

 僕の足はそれほどまでに、動くことを全身で拒否してしまった。拒絶してしまった。


 眼前を悠然と練り歩くのは、おどろおどろしい異形たち。

 大きいの、小さいの。細いの、太いの、長いの、短いの。ぐにゃぐにゃしたもの、どろどろしたもの、ごわごわしたもの。

 灯りを持ったモノたちが道を踏みしめていく。夜の闇に紛れて、だけれど心臓の隙間に入り込んでくるかのような鋭い存在感を伴って。


 立ち止まったままの僕を、前を歩いていたモノがぎろりと睨めつけてくる。その眼に宿ったものは敵意でなく不審だったのだろうけど、僕はますます居竦められて仕方ない。圧倒される、気圧される、呑まれてしまう。


 怖い。

 ――怖い。

 違う、怖くなんか、でも、だけどだって、だってだってだって!

 僕は妖怪だ。僕だって妖怪だ。だからきっと大丈夫で、もう、でも、でも。


「ぁ……う、ぁ」


 ――他の妖怪は怖くて不気味で、正体を現せば人間はみな腰を抜かして逃げていくという。


 羨ましいと思った。かっこいいと、思っていた。

 僕は、今までほとんど他の妖怪を見たことなんてなかったから想像しかできなくて。だけど僕もその内、きっと立派な妖怪になれるだろうと思っていたから。恐れなんか、しないはずだったのに。

 今更になって気づく。僕はきっと、主と姉上に守られすぎていたんだ。甘えて生きてきた。ずっと、ずっとずっと。


「おい」

「ひっ……」


 低くて太い、地に沈んでしまいそうな声が頭上からのしかかる。僕は情けない悲鳴を上げてその場を後退る。でもあちらの方が早い。ぐいと胴を掴まれた。乱暴な浮遊感。足が地につかない。足元も心も何もかもが不安定。


「お……!」


 鬼、だった。

 僕を片手で軽々と持ち上げたソレは大きな鬼で、濁った眼でじっと僕を見ている。震えが止まらない。

 怖い。怖いよ。どうしよう、どうしよう、どうしよう……!


「こんなところでどうしたぁ。迷子かぁ」

「ぁ、あ、の、僕」

「おや。坊、坊じゃないか」


 ――ふいに僕の耳をくすぐった声は、今朝出会った猫のものだった。


「坊も来たのかい」

「あ……」

「あの若夫婦と一緒じゃないなんて珍しいね」


 見知った姿に出会えて、おっとりと話しかけられて。それに、主と姉上の話題を出されて。

 その途端に安堵が全身を駆け巡り、僕は思わず泣けてきた。一度泣いてしまえばそれは次第に勢いを増して、もう止まらなくなってしまって。

 鬼がおおい、と慌てた声を上げて僕を下ろす。

 どうしたぁ、やっぱり迷子かぁ、とどこか間伸びた声音でおろおろと話しかけてくる。それが主の大らかな声と穏やかな姉上の性格を思い出させて、また僕の涙腺を容赦なく撫ぜていった。


「ちがう、違うよ。迷子なんかじゃない。僕は祭りに来たんだ。僕だって立派な妖怪なんだから」


 嗚咽混じりの言葉はひどいものだったけど、僕は懸命に主張をやめない。僕は自分の意思でここに来たんだ。迷ってなんかいない。いつでもあの二人と一緒にいると思ったら大間違いだ。

 ああでも、やはり身体の震えは止まらない。どうしよう。


「坊!」

「……え……?」


 唐突に僕を世界に引き戻したのは、ひどく懐かしく感じる声だった。恐る恐る振り向けば、灯りを掲げた主と姉上が走ってくる。必死に息を切らせて、一生懸命僕を見つめて。

 どう、して。


「主……姉上……?」


 思わず呆けた声を上げた途端、ゾクリと冷たいものが僕の背を掻き毟った。

 見やった先には、主と姉上を冷たい眼で見ている異形たち。その眼には容赦の欠片もない。ただただどろりとした、重く冷たい、残酷な色。


「坊、大丈夫か。心配したぞ」

「泣かないのよ。もう、大丈夫だから」


 だというのに、主も姉上も僕の方ばかり見て。あまつさえ、笑顔を向けてきて。

 待って、ねえ。僕は大丈夫。大丈夫だから。逃げて。――逃げて。


 ――どうして声が出ない! 言わないと、言わないと――っ。


「人間だ」

「人間だ」


 頭から冷水を浴びせられたようだった。頭上から降り注いでくる声に僕の身体は萎縮する。

 主は一度、じろりと妖怪たちに負けないほどの気迫を込めて相手を見やった。

 けれど妖怪たちにそんな視線が効くはずもない。相変わらず重苦しい息を吐いている。


「どうして此処にいるのかしら」

「さあ。喰ってしまおうか」

「喰ってしまうのがいい」


 待って。


「ぅ……あ」


 視界が揺らぐ。それは周りが揺れているのでなく、僕が震えているのだと遅れて気づいた。


「ぁ……、あ、あああああ」


 先ほどの恐怖とは比にならない。怖い。怖い、怖いよ、どうして、主が、姉上が傍にいるのに。それなのに怖くて怖くてたまらない。

 そんな情けない僕を見た主が、また大らかに笑って、僕を抱き寄せて。


「坊、帰ろう。さあ、」


 妖怪の大きく歪な手が主に伸びる。届いてしまう。――消されてしまう。


 あ、ああ、嫌だ、

 嫌だ嫌だ嫌だ!


「やめてっ!!!」


 体中の力を神経を心を全力で振り絞って叫んだ。体から空気が抜けて萎んでしまうのではないかと思うほど必死だった。

 相変わらず声は掠れてひどかったけど、目が眩むほどに力んだ声は妖怪の手をわずかに止める程度には効果があったらしい。濁った眼が僕を捕らえる。


「お、願い、お願い、だから。やめて、――やめて。お願い、やめて……!」

「……坊」


 僕は祭りに来ただけだ。

 主も姉上も許してくれなかったから、だから一人でここまで来たんだ。

 僕は立派な妖怪だから、僕だって祭りに参加できるんだぞっていうことを証明してやりたくて。

 そうして、帰ってきたら主と姉上に認めさせてやるんだって意気込んで。

 二人を驚かせてやろうと思って、すごいなって褒めてもらいたくて、だから。だから。


「主と姉上は悪くない、僕が勝手に来たから、だから探しに、ねえ、だからやめて。二人は悪くないんだ、だから、いやだ、傷つけないで……っ」


 何を言っているのか自分でも分からない。膝も声も震えて目眩がした。それでも譲れなくて、僕は俯いてしまいそうになる顔を必死に上げる。

 主と姉上は黙って僕を見ていた。妖怪もじっと僕を見下ろしている。存在そのものさえぎゅっと握り潰されてしまいそうなほどの重い沈黙。


「もう、いいじゃないか」


 涼やかに鳴いたのは猫だった。猫は退屈そうに欠伸をし、目を細めて辺りを見やる。ざわざわと周りがさざめいた。


「それとも、こんな些細なことで祭りを中止する気かい」


 その言葉が引き金になった。猫の言葉につられ、ぞろりと周りの気配が動く。

 ゆうらり、灯りが鈍く揺れる。


 ――やがて、興醒めしたらしい妖怪はそっと僕らから離れていった。

 見ていた他の妖怪たちもまたそぞろな様子で列を作って練り歩いていく。灯りが徐々に遠くなる。


 ようやく、空気が緩んだ。


 途端に僕は、主と姉上に左右からきつく抱きしめられていた。息苦しくて痛いほどだったけど、その温もりがあまりにも優しくて、僕はまたボロボロと涙が零れるのを止められなかった。


「坊」

「あるじ……あねうえ……」

「……本当に、坊が無事で良かった」


 ああ。――嗚呼。


「ごめ、なさい、ごめ……っ」

「坊、どうして謝る」

「そうよ。あなたのおかげで私たちは助かったというのに」


 違う。元はといえば僕が勝手に出掛けたせいだ。

 だというのに、二人は僕を傷つけまいとしてそんなことを言う。お陰でますます涙が止まらない。


 ごめんなさい。ごめんなさい。

 僕は全然立派な妖怪じゃないから、こんなに小さくて弱いから、毅然と止めることなんてできやしなかった。情けなくお願いすることしかできなかった。危うく、主と姉上がひどい目に遭ってしまうところだった。猫がいなかったらどうなっていたことか。

 ……今更になって痛いほどに分かった。主の言う通りだった。こんなに情けない妖怪である僕が祭りへ参加する資格なんて、なかったんだ。


 安堵と悔しさと、二人の温かさと。もう、何が何だか分からない。

 わんわんと泣き喚く僕の頭を、姉上がそっと撫でた。次に主が僕をひょいと抱きかかえ、主の広い肩に乗せる。ぐらぐらと不安定だけど、先ほどの鬼に掴まれたときと比べれば随分と頼もしい。

 僕はぎゅうっと主の頭にしがみついた。

 ――少しだけ、ホッとする。主の持っていた灯りが、あの祭りの灯りよりずっとずっと明るく見えた。

 ふと、黙って見ていた猫が笑う。二本の尾を静かに揺らめかせて。


「百鬼夜行に人間が割り込むなど正気の沙汰でないと思ったが、それほどまでに坊は愛されていたんだね」

「……え……?」

「愛し、愛されるということは幸せなことだ。そこの二人もきっと幸せに違いない」

「――無論、幸せだ」

「当然です」


 主が笑い、姉上も小さく頷く。

 それを見て取った猫は一段と明るく笑った。たいそう嬉しそうに、楽しそうに。


「坊。坊はやはり、立派な座敷童だ」

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