プロローグ
カドリアという街に、グラスフランという、花の名をした娼館があった。
辺鄙な街の下級娼館だったが、雇われてる娼婦達がみな、若々しく愛嬌があり、そこそこ美しい娘達だったことから、遠方から客が来るのは珍しくなかった。
その娼館の、娼婦に与えられた一室で、世にも希な美貌を持つ男が目覚めた。
「ん······? もう行くのか、ラナ」
腕の中にいた温もりがなくなり、アドリアスは、目を開けてベッドの上で身を起こす。
「ええ、そろそろ仕事よ。昼食たべて客間に行かなきゃ。アディも起きて」
美しいが簡素なドレスに着替えていた部屋の主が、アドリアスに柔らかな声で答える。
このグラスフランでは娼婦の部屋と客相手用の部屋があり、アドリアスは雑用しながら、娼婦の部屋に″間借り″している居候である。
アドリアスは半裸のまま、ラナの着替えを手伝いつつ言う。
「ああ、食堂に行くなら、ブリオッシュとひよこ豆のスープを作ってある。温めなおして食べるといい」
ブリオッシュが好物なラナは破顔した。
「アディ、ありがとう。また今度お礼するわね」
「いや、いい。今日は″貰い過ぎ″だからな。俺がお礼するべきだろ」
アドリアスが覆い被さるようにラナに口づけた。
すると、少しばかり疲労が出ていた顔から薄い隈が消え、肌と髪に艶が戻り、頬に赤みがさした。
ラナは30半ばの娼婦だが、20歳前後に見えるほど、若々しく美しい。アドリアスには、娘達の若さと美しさを保つ能力があった。
それがアドリアスが娼館に居候する事を許されている理由である。
娼婦の若さと美しさを保つ対価は、間借りと娼婦から貰う少しの小遣いと、娼婦たちとの行為で得られる、精気である。
アドリアスは、3年前に発生した人に取り憑き精気を喰らう淫魔だった。
「ん······、それじゃ行くわね、アディ。いつも通り、見つからないように気をつけて」
「ああ、わかってる」
流石に娼館としても、客でもないアドリアスのような若い男が居候していることが客や世間にバレるのは不味いのだ。
それをアドリアスも重々承知しているため、頷く。
「頑張って稼いでくるからね!」
そう言って、仕事へ向かうラナを、微笑んで送り出す。
その数時間後に、悲劇が襲うことを知るよしもなく。
・・・・・・・
最後の悲鳴が途絶えて、巨大な醜い怪物の身体が、端から塵へと変わり、崩れて消え去っていく。
『救助員、生存者数の報告を』
空も海も大地も無い空間で、白い蝶から抑揚の無い″声″が発せられた。
いや、海や大地ならあった。海であっただろう、大地であっただろう大小様々な欠片が、何も無い空間の宙に浮いて″あった″。
その空間に浮いていた少女が1人、蝶へと答えた。
「4」
少女の背後に、巨大な龍と大きな泡が浮いていた。泡の中には四体の生物。人であり、獣であり、知性を持つ異なる四種の生物。
砕かれ壊れ欠片となった海と大地ーー世界に生きていた、たった四体生き残った、生物。
「時喰らいは龍が滅した」
『損害報告を』
「龍中破、再生に生命珠、生体エネルギー使用。帰還不可能」
『ーーーー』
蝶から″声″以外の複数の気配が漏れ、絶句したのが解った。
「帰還不可能。ーーーーごめんね、······みんな」
『転移可能位相世界サーチ中。救助員残留エネルギー計測中』
生命珠というのは、どんな世界のどんな生物も持つ、生命の根源、生命の核のことだ。生体エネルギーは、生物が生きるためのエネルギー。
双方共に、自分自身が生きる以外のことに使い、無くなってしまったら、その結果は死、しかない。
生体エネルギーのみ無くなったなら、死しても魂は転生できる。しかし、生命珠をも無くしたなら、転生することも出来ない滅びとなる。故に、技術を持って別の力に変換したとき、それらは莫大なエネルギーとなる。
それを、少女は中破した龍を再生させるために、帰還も出来なくなるほど使い果たしたとーー告げた。
『帰還可能エネルギー最低値20%、救助員残留エネルギー············8%』
生命珠を寿命百年と換算し、計算したならば。生命珠のみの計算でなく、生体エネルギーもふくめた合算であることを考慮したなら、少女に残された時間はーーーー。
『サーチ結果7件、交渉可能3件、交渉条件は残留エネルギーの保護、該当世界が転移エネルギー消費すること。該当世界へ交渉中······条件可能回答1件、該当世界の条件は、世界の壁強化、血脈の維持······可能回答、契約締結達成。』
少女は驚いた。世界間の転移は莫大なエネルギーを必要とする。それこそ、生命珠が必要なほど。それを該当世界が消費を受け持ち、死に損ないを受け入れるという。
「······ありがとう」
少女は素直に感謝を口にした。受け入れて貰えたところで、生きられるのは数年だが、それでも嬉しかった。
『救助員転移開始、······今までありがとうございます。世界の救世主』
少女は居なくなり、何も無い空間に残された龍は、四体の生物を内包した泡を懐に抱えて仕舞いこむ。泡の中の時間は止まり、生物たちは保護されている。
怪物と死闘を繰り広げ、損傷を少女に再生された龍は、ゆったりと揺蕩う海や大地の欠片を喰らいだす。
空間にあったすべての欠片を喰らい尽くし、円の如く丸くなり自らを尾から食らっていく。
この龍は、自らを喰らい尽くすと龍珠という新たな世界の核となる。その技術を編み出したのが、少女だった。
食われた世界の欠片は、新たな世界の材料に。懐に保護された生物たちは、新たな世界で初めての生物として目覚めることとなる。