よくありがちな心霊スポットの話
たとえ真夏の昼間とはいえ、誰もいない廃病院はもう十分に気味が悪い。
軽い気持ちで見物に来た二人の少年は、入り口を塞いである腐った板の間から中へと入った。
すると同時に、湿った古い枯れ草のようなすえた臭いが二人を迎え、少年たちは揃って顔をしかめた。
「これはまた……。思った以上にひどいな……」
「でも、いかにも心霊スポットってカンジじゃね? ……ん? なんだコレ」
「どうかしたのか、大垣」
スプレー塗料で意味不明な落書きをされまくった壁へ近づくと、大垣はすとんとしゃがみこむ。
「もー。ちょっと、おいてかないでよー」
そこへ一人の少女がおっかなびっくりの様子で追いかけてきた。
「おい、ミヤ。ちょいコレ、見てみ」
「えー、なにー?」
そこには古びた細長い花瓶が倒れていた。
その周りに散らばっているのは、とうに枯れ果てた花の残骸だろうか。
「なんだか、いわくありげだな……」
「けど、いよいよ心霊スポットってカンジだろ?」
「やだー。マジ怖いんだけどー」
椅子も撤去されて、だだっ広いばかりの待合室ロビー。
大垣は受付カウンターに手をついて覗いてみたが、机も棚も何もなかった。
あるのは壁の上を這うぐにゃぐにゃした落書きばかりだ。
「うわぁっ! なんだコレ‼」
突然、大声を張り上げた大垣がカウンターから飛び退る。
その両手には、カウンターの上の砂ぼこりがべったり付いていた。
「やめろよ……! ビビるだろ」
「ほんとほんと! おどかさないでよねー!」
浴びせられる抗議の声に、手を叩いてほこりを払いながら大垣が笑う。
「ハハ、悪ィ悪ィ。でも、ミヤ。お前でもビビることあんだな」
「あったりまえじゃん! あたし、かよわい女の子なんだから!」
「こんな場所でデカい声出されりゃ、誰だってビビるだろ……」
見るとカウンターにはくっきりと手形が残っている。
「次に誰か来たら、オレの手形見て、すげえビビるかもな! へへ」
「他の誰かが最近来てたとしか思わないんじゃないか……」
「ねー? フツー、そーだよねー?」
「んだよ、ノリ悪ィな。なに? ビビらしたから怒ってのか、ミヤ?」
そのニヤついた大垣の態度。本当にイラッと来る。
「ばっかじゃないの⁉」
「ああ、はいはい。怖い怖い。日が暮れる前にさっさと見て回ろうぜ」
そして、奥へと歩き出す少年たち。
「ちょ、ちょっと待ってよー。二人とも、歩くの早すぎー。ここに女子いるの忘れてなーい?」
離れないように少女は早歩きで二人のあとを追いかけていく。
一階を見て回っていると、妙なことに気が付いた。
「ドアが全部外されてるな……」
「そーいえば、そーだね?」
事務室、診療室、院長室。
その他すべて、部屋という部屋のドアが固定部分から外され、持ち去られていた。
室内はがらんどうで、前の来訪者が残していったらしきゴミと無茶苦茶な落書きくらいしか見るものはない。
「解体する途中だったんじゃね?」
「工事の前に外すもんなのか……?」
「いや、知らんけど。実際ねーんだから、そーなんじゃね?」
「外へ物を運ぶのにジャマだったとかー?」
「どうだろうな……。なにか事故でもあったのかもな。誰か閉じ込められたとかさ」
「やだー。幽霊よかよっぽどコワいじゃん、そんなのー」
聞いていた大垣が「?」の表情で首を傾げた。
「あれ? なんかそんな話、聞いたような気ィするわ」
その後の沈黙に、緊張が高まっていく。
「……悪ィ! ぜんっぜん、思い出せね!」
「だと思ったよ……」
特に何事も起こらない。
退屈してきたので、そろそろ二階へ向かおうと、階段までやってきた。
階段は上だけではなく、下へも伸びている。
誰かが壁に描いた赤い矢印が、踊り場より先の見えない地階を指し示していた。
「地下があんのかよ!」
「そりゃあ病院だしな。たぶん霊安室なんかがあるんじゃないか……?」
上から覗き込んでみた。
踊り場を曲がると光が届かず、急に暗くなっている。
「……どーするよ?」
複雑な表情で振り向いた大垣を迎える、にやけた笑顔。
「なんだ? ビビッてんのか?」
「やめなよー。かわいそーじゃーん」
わかりやすい仕返しだった。
「べ、別にビビッてねーし! おら行くぞ、ミヤ!」
「あたし、やだよ! ここで待ってるから二人で行ってよ!」
「仕方ないな。じゃあ行くか……」
二人分のスマホの明かりと、足音が遠ざかっていく。
止まった。
ガチャガチャガチャ。ガチャリ。
静かになった。
「ねーちょっとー、大丈夫ー?」
ばたばたばたばたばたばた‼
突然、猛ダッシュで戻ってくる二人。
立ち止まると、力尽きるようにその場でしゃがみこんだ。
「きゃっ! ちょっとなに⁉ どうしたの⁉」
はあはあと肩で息をしながら大垣は言った。
「いや無理だわ! アレは無理!」
「もし鍵が開いてたとしても、先行くのは難しいな……。暗すぎる」
鍵の掛かった扉の前から、急に怖くなって逃げ帰ってきたらしい。
「もー、やめてよー……。びっくりすんじゃん……」
不平を漏らす少女を前に、ようやく息が整ってきた少年たちが立ち上がった。
「よし。そろそろ、上の階も見てくるか……」
「お、おう。そうすっか」
まだ疲れているのか、二人は壁に手をついて階段を上っていく。
「あーはいはい。わかりましたー。それあじゃあ、行きましょーかー」
冷やかすようにそう言った少女が、軽い足取りでそのあとについていく。
やはり、二階と三階の病室にも扉は無く、中にはベッドもなにもない。
変わり映えしない殺風景さに逆らうかのように、壁の無秩序な落書きだけはどこも微妙に違っている。
取り立てて何も起こらないまま廊下を歩いていると、先を行く大垣が話し出した。
「そういやぁさ、幽霊ってアレ、出たり消えたりすんだろ」
「なんだ見たことあるのか、お前」
「マジで⁉ どんなだった? どんなだった?」
期待に満ちた質問に、振り向いて答える大垣。
「いやいや、オレ、マジで霊感とかねーし。よく聞くだろ、そういうの」
「まあ、そうだな。もう一度見たら消えた、みたいな話は多い」
「アレさ、見えないけどずっといるってんじゃなくて、見えたときだけいんじゃねーのかな?」
少しの間、足音だけが続いた。
「え? それってどーゆーこと?」
「文字通り『出る』ってことだな。けど、それだと出るたびに幽霊自身が混乱しそうだな。記憶がつながらないだろうし……」
「事故やなんかで死んだヤツが死ぬまでの間のこと繰り返すって、そのせいじゃね?」
「少ない記憶を手探りで追った挙句に、死の再現か……。なんともいえないな」
「やだ、なんかカワイソー……」
それきり黙ったまま、屋上への階段を上った。
そこには鍵の掛かった扉があり、先ヘ進むのを頑として拒んでいる。
地下のときと同じく、何度かガチャガチャひねってみたが、もちろん開くはずもない。
「そりゃそうだな……。地下と屋上、危ないところは戸締り厳重か」
「んだよ! つっまんねーなー!」
がっかりする二人の様子に、少女が笑った。
「あははは。残念だったねー。なんにも起こんなくって」
大げさにため息をついた大垣は、元来た階段を降りはじめる。
「しゃーねーなぁ、だいたい見たし、そろそろ帰っか!」
「そうだな……。特に何も無かったしな。本当に」
「よーし、帰ろ、帰ろ。……って、ちょっと、なんでまたおいてくのー? 待ってよー!」
何事もなく戻った待合室には、入ってきたときほどの気味悪さは感じない。
いまはもう、ただの寂れた廃墟でしかなかった。
なんとはなしに壁の落書きを眺めていた大垣が、何かを目にとめて声を上げる。
「おい、ミヤ! ちょっとコレ見ろよ! ここ、お前の名前が書いてっぞ⁉」
「えっ、ウソ! なんで⁉ やだ、なにそれー‼」
「どれどれ……」
そこにはスプレーではなくマジックかなにかで、こう書かれていた。
宮野 参上
「別に『宮野』なんて珍しい苗字でもないしな……。そりゃあ、他にもいるだろ」
「とかいってお前、さっき自分でこっそり書いてたんじゃねーの? ミヤ?」
「んなわけないだろ……」
「ね、ねえ。ちょっと待って! ミヤってあたしのことだよね? そうだよね?」
立ち尽くす少女がいくら呼びかけても、少年たちは気付かない。
まるで、最初から少女などいなかったかのように。
「そういや、よく知らないんだが。ここってどんな幽霊が出るって噂だったんだ」
「あー、ソレな。たしか、女の……。あ、思い出した!」
「だから。急にデカい声出すなって……。なに思い出したんだ」
「事故だよ、事故あったんだ! 男二人と女一人でここに来たヤツらが、ふざけて女を屋上に置き去りにしたんだわ! そしたら、マジで鍵が開かなくなってさ!」
「ロクな男どもじゃないな……。それで。どうなったんだ」
「男らは外に助けを呼んでくるって言ったんだとさ。そんで病院から出たら、なんか言おうとした女が、つかんだフェンスごと落ちたって話」
「男二人いるんだから、一人は屋上の扉のとこに残りゃいいだろうに……。それで、落ちた女は?」
「死んだってさ。ソレ以来、その女の幽霊が出るって話よ」
二人は玄関の板の隙間から病院を出て行った。
残された少女は汚れたカウンターを見た。
ほこりの上に、さっきつけた大垣の手形がくっきりと残されている。
隣に手を置いてみた。
手形にはならなかった。
次の瞬間、気付くと少女は屋上に立っていた。
鍵が掛かっていたドアの向こうにどうやって来たのか、記憶がない。
突然消えて、別な場所に現れたような感じだった。
ドアに小さな落書きがある。
相合傘に名前がふたつ。
少女は指先でなぞってみた。
ヒロシ
ミヤ
そのすぐ横に「タツヤもいるョ」と書いてある。
「待って。待って。待って。ちょっと待って……!」
外へ出た大垣と宮野は振り返り、あとにした廃病院を揃って見上げた。
「さっきの話、あそこじゃないのか……」
宮野が指さした先、確かに屋上のフェンスが一部無くなっている。
「ああ。たぶん、あそこだな。ミヤ」
「おいていかないで!」
どさり。
「なんか音がしなかったか……」
「したな。でも、なんも見えねーよな?」
結局、二人は何も見なかった。