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傀儡館(中)

 コックを捻るとシャワーが勢いよく出た。

 目を閉じたアヤは噴き出す熱いシャワーを顔面で浴びる。

 バスト八八センチの豊かな胸と、肉付きの好い尻の上を水が滑り落ち、アヤは甘い吐息を全身から漏らした。

 熱いシャワーを浴びて疲れが取れ、頭もすっきりしてきた。

 すると、車に残してきた屍体のことや、この屋敷の住人たちのことが気になりはじめた。

 屍体は機会を見計らってどこかに埋めたい。それには住人たちの眼を欺いて、屋敷をこっそり抜け出さなければならない。

 外は大雨だ。

 雨の中で作業はできるだろうか……。

 地面は雨で掘り返しやすくなっているだろうが、山奥で、それも暗闇の中で作業をするのは危険な気がした。

 せめて車が使えればヘッドライトで照らすか、車を少し離れた場所に残して車のライトを目印にする。そうでもしなければ暗闇の山中で迷ってしまいそうで不安だった。それほどまでに、外は闇そのものだったのだ。

 だからアヤは自分を町に送ってもらうのは昼にして欲しいと提案した。朝が来れば少しは明るくなるだろう。そのチャンスを逃してはならない。

 シャワーを止め、アヤはバスルームを出た。

 脱衣室には濡れたままの自分の服がある。シャワールームで洗おうかと思ったが、そんな面倒なことする余裕はない。乾いて明日になったらそのまま着てしまおうと考えた。

 それまでは用意されたドレスを着るしかない。

 躰を拭いて下着を着けないままドレスに袖を通した。

 白く質素なロングドレスだ。肌が露出されているのは、カットされた首の辺りだけだった。これならば下着を穿いていなくても問題ないだろう。

「ロングスカートなんて子供のとき以来だわ」

 膝に当たる生地をうざったそうに歩き、アヤはまだ濡れている頭にバスタオルを乗せた。

 頭を拭きながらアヤはある疑問を引きずっていた。

 車のトランクに残してきた屍体よりも、今はこの屋敷のことや、あの二人の子供のことが気になる。

 特にあの少女が薄気味悪かった。

 今考えても端整すぎて人間味に欠けていたのだ。染みもない、骨格の歪みもなく、左右対称の顔をしていた。人間はどこかバランスが崩れているからこそ、人間に見えるのだ。

 髪の毛を拭いたバスタオルを長椅子に投げると、アヤの足は部屋の外へと向かっていた。

 トランクに屍体を積んでいることにより、アヤは疑心暗鬼になっていて、なにからなにまで不審に思えてならなかった。

 使用人やメイドと称して現れたのは子供。

 なぜ、この屋敷には子供しかいないのか?

 まだ大人に会っていない。

 アヤは屋敷の中を散策することにした。

 もしかしたら車を盗めるかもしれないという淡い期待もあった。

 こんな怪しい場所はさっさとおさらばして、あの屍体をどうにかしなければならない。

 静かな足取りで息を潜めながら廊下を進んでいると、明かりのついていない暗い廊下があった。

 曲がり角から薄暗い廊下を伺う。

 Tの字になっているらしい廊下の先を、横に進む明かりが見えた。ランプを持った愁斗と、その後ろにはドレス姿の女性だ。

 あの女性がこの屋敷の主だろうか?

 確かめたい気持ちもあったが、なぜか近づいてはいけない雰囲気を感じた。真っ暗な廊下を進む二人に不気味さを感じ、見てはいけないものを見てしまった気分になったのだ。

 それでも目を離せずにいたアヤは目撃してしまった。

 ――顔がない!

 瞬く間であったが、女性の顔がちらりと見えた。が、そこには顔がなかった。のっぺらぼうだったのだ。

 アヤは思わず漏らしそうになった声を呑み込み、暗がりでよく見えなかったせいだと自分に言い聞かせた。

 今の自分は冷静ではない。車に屍体があるせいで、冷静ではないのだ。アヤは頭を冷やしながら廊下を早足で引き返すことにした。

 歩くスピードは徐々に速くなり、ついにアヤは走り出していた。

 曲がり角の前の廊下を抜けようとしたとき、その角から人影が飛び出して来た。アヤは避けきれず、その影とぶつかってしまった。

 アヤは小柄な影を押し倒して、相手の胸に手を付いて上乗りになっていた。手を退けながら相手の顔を確認すると、それはメイドのアリスだった。

「お怪我はございませんか?」

 アリスにまん丸の瞳で顔を覗きこまれ、アヤは立ち上がって胸の前で両手を小刻みに振って見せた。

「怪我はないわ」

「それならよろしいのでございますが……お急ぎのようでしたが、なにかございましたか?」

「いいえ、なにも。少し道に迷ってしまって……」

「あまり屋敷の中を歩き回らないでくださいませ。他の者は〈眠り〉についております」

 他の者とは誰のことを示す言葉か?

 仕える主人を他とは言わないだろう。愁斗のことだけならば、他という不特定な言い方はしないような気がした。

 そこでアヤは疑問を投げかける。

「この屋敷の主人と、あなたと愁斗以外にこの屋敷には人がいるの?」

「ええ。しかし、先ほども申し上げましたが、他の者は〈眠り〉についております」

 さっき見た愁斗と謎の女性は起きていた。本当に他の者が眠っているのか、勘ぐりたくなる。

 けれど、生活音がまったく聴こえてこないことから、本当に寝てしまっているのかもしれない。

 アリスは瞬き一つせず、アヤの瞳を射抜くように見つめた。

「お部屋までご案内いたしましょうか?」

「結構よ、もう道がわかったから」

「万が一ということもございますので、お部屋までお送りさせていただきます」

「……わかったわ」

 アリスに先導され、無駄な道を通ることなく部屋に帰された。これがアリスの意図だったのかもしれない。

 疑惑の眼差しでアリスを観察することにより、アヤはあることに気づいたのだ。

 部屋の中に入り、アリスが一礼して部屋を出て行くのを見届け、アヤはほっと肩を撫で下ろした。

 そして、アヤはアリスへの疑惑を深めていた。

 アリスはまったく瞬きをしていなかった。そう、それが人間味に欠けると思っていた要因だったかもしれない。

 それに加え、些細な疑問であるが、アリスを押し倒したときに触れた胸。そこには胸とは違う硬いなにかがあったのだ。ネックレスなどの装飾品にしては、鷲掴みにできるほどに大きく、そこに固定されているように手を退かすときも動きはしなかった。

 疑惑を持てば切りがない。

 テレビもなにもないこの部屋で、仕方なくアヤはベッドに潜ることにした。


 一方、アヤを部屋に案内し終えたアリスは、廊下に出てからドアを閉め、少し歩いたところでおもむろに上着を脱ぎはじめた。

 そして、ブラウスのボタンをひとつずつ外して、陶器のように白い胸元を露にしたのだった。幼く小さな胸の間には蒼く輝く宝石が埋め込まれていた。そう、肌に直接、宝石が埋め込まれているのだ。

 アリスは謎の宝石を丹念に調べる。

「……大丈夫。けれど、謝りもしないなんて……死ねばいいのに」

 不気味に口元を歪めて呟いたアリス。

 宝石には傷一つ付いていなかった。アリスはそれを確認したのだ。

 この宝石はいったい……?


 外ではまだ豪雨が降り続けていた。

 吹き付ける強風が揺らす窓からは、曇る空の色が見える。

 夜はすでに明けていた。

 しかし、曇天の空は暗く、空だけでは時刻を知ることはできない。ただ、夜よりは明るい、それだけだ。

 ケータイで時刻を確認したアヤはベッドで上体を起こした。

 目の下には隈ができ、よく眠れなかったことを物語っている。

 部屋をノックする音が聴こえた。

 ゆっくりとドアに近寄り開けると、愁斗の顔がアヤを覗いていた。

「朝食を持ってきました」

 トレイに乗せられたトーストや薫り立つコーヒー。

「飲み物はコーヒーでよろしかったですか?」

「ええ、好きだから……」

 アヤはトレイを受け取ると、愁斗は自然な動きで部屋に足を踏み入れて来た。

「ところで、昨晩は屋敷を歩き回っていたそうですが、なにをしていたのですか?」

 勘ぐるアヤは疑問を抱く。なぜ、わざわざこんなことを聞いてくるのだろうか?

「興味本位で、ただ意味もなく歩き回っていただけよ」

 答えるアヤの瞳を愁斗がなにかを詮索するような目つきで注視している。

 だが、愁斗はそれ以上のことはなにも口にしなかった。

 用事の済んだ愁斗は部屋を出て行こうとする。

「では……」

「ちょっと待って、そう、あの頼んで置いたこと。あたしを送ってくれるのを昼にして欲しいって件」

「主人に話しましたところ、その件については問題ないと……ただ、昨晩から続く大雨のために道がぬかるみ、車を出せるか疑問とのことです」

 アヤに予感がした。

 まさかとは思うが、自分を外に出さない気だと思ったのだ。

「もう今日は仕事を休むことにしたけど、今日中に帰れないのは困るわ」

「ですが、車が走れない以上、帰るのは難しいと思います」

「電話を貸してくれないかしら、ケータイが圏外で使えないのよ」

「電話はありません」

 その言葉にアヤの焦りは色濃くなった。

 会社は無断欠勤になってしまった。のちに『行方不明事件』で警察に事情聴取をされたら不利だ。計画では昨日うちに屍体を捨てて、今日はなに食わぬ顔で会社に出社する予定だったのだ。

 欠勤の理由を会社に言い訳する機会も与えられないばかりか、電話がなければこの屋敷でなにかあっても助けを求められない。

 この屋敷に住む人々への不信感は募るばかりだ。

 一刻も早くアヤは屋敷を離れたかった。だが、未だに大雨の降る山に、ひとりで出る気にもなれない。

 まだ、屍体も車に残してきたままだ。

 なにから片付けていけばよいのか、アヤはパニック寸前だった。

「そうだ、まだ主人に挨拶してなかったわ。この屋敷の主人に会わせて欲しいのだけど?」

「昨晩は、主人はお休みになっていますと言いましたが、実は主人は人と会うのが嫌いなのです」

 もうアヤの耳にはすべて言い訳にしか聴こえなかった。疑心暗鬼も酷くなっている。

「主人に会わせなさい! 直接話して、車を出してもらえるように頼むわ!」

 怒鳴るアヤに愁斗は沈黙した。恐縮しているのではない、なにかを考えているのだ。

 しばらくして、愁斗は口を開けた。

「実は主人は口が利けないのです。ですから、人と会うことを拒んでいます」

 だからこんな人里を離れた山奥に屋敷を構えて暮らしているのか?

 しかし、アヤの耳に入ることは全て嘘になる。

「信じられないわ。どうしてあたしに会わせたくないわけ?」

「ですから、主人は口を利けないからです」

「そんなの嘘、あたしに会わせたくない理由があるのでしょう?」

「……わかりました。主人を説得してきます。ただ、主人を見ても驚かないようにお願いします」

 驚くとは――なにを?

 昨晩アヤが見た謎の女性。アヤが見た限りでは『顔』がなかった。もしかしたら、本当に顔がないのかもしれない。

「しばらくお待ちを……」

 愁斗は踵を返して部屋を出て行った。

 その時間をアヤはとても長く感じた。部屋を歩き回り、愁斗が帰ってくるのを待つ。ただ、長く錯覚しているだけか、それとも愁斗が主人を説得するのに時間を要しているのだろうか。

 ドアをノックする音が聴こえ、愁斗が部屋に入って来た。

「お待たせしました――主人の紫苑様です」

 愁斗の後ろから部屋に入って来たドレス姿の女性の『顔』を見て、アヤは息を呑んで絶句した。

 やはり顔がなかった。

 しかし、本当に顔がなかったわけではなく、顔は白い仮面によって隠されていたのだ。

 白い仮面の女性――紫苑はアヤに会釈をした。

 やはり言葉はない。

 なんと言っていいのかアヤは困り果てた。会わせろといったものの、相手を目の前にしたら、なにをいっていいのかわからなくなった。

 絶句したままのアヤを置いて、愁斗が話しはじめる。

「口を利けないというのは嘘で、心を許した者にしか口を利きません。全ては顔に負った大火傷のせいです」

 仮面の下を見せろとまでは言えない。

 紫苑に会ったことによって、この屋敷の不気味さが増しただけだった。

「もうよろしいでしょうか?」

 と、愁斗は催告するように言った。

「紫苑様はお部屋に戻りたいそうです」

 紫苑はひと言も発していないが、愁斗が代弁した。

 アヤはなにも言えずに頷いた。とても話し合えるような雰囲気ではなかったし、目の前から『仮面』に早く消えて欲しいというのもあった。

 しかし、アヤはあることに気づいた。

「なにか腰の後ろに隠しているの?」

 愁斗は片手を腰の後ろに回していた。腰痛を患うような年齢でもないだろうし、今までそんな仕草をしていなかった。それに、なにかを持って動かしているような、微かな腕の動きを見せているのだ。

「いえ、なにも隠していませんが?」

 愁斗は隠れていた手を胸の前に出した。なにも持っていなかった。

 アヤの予想は外れた。ナイフかなにかを持っているような、悲観的なことを疑念を抱いてしまっていたのだ。

「それでは、御用がないのなら、私たちはこれで失礼します」

 愁斗は不気味な主人を連れて部屋を出て行った。

 屋敷を早く出たいという気持ちが強くなり、アヤは自分でも気づかないうちに爪を噛んでいた。

 苛々しながら歩き回り、アヤは窓辺で足を止めた。

 曇天は晴れる様子はないが、雨は小降りになっている。

 そうだ、屍体をどうにかするには今しかチャンスがない。

 アヤは急いで屋敷を出て、車を置いてきた場所に向かうことにした。

 玄関を出ようとしていたとき、真後ろから誰に声をかけられた。

 息を呑みながら振り向くと、そこにはアリスが立っていた。

「どこかにお出かけでございますか?」

「あの、車に大事なものを置きっぱなしにしていて、それを取りに行こうと……」

「それでは、そこの傘立てにございます傘をお使いください」

「あ、ありがとう」

 動揺している自分を抑えながら、アヤは傘を借りて玄関を飛び出した。

 傘を差してしばらく歩き、恐怖に駆られて後ろを振り向く。

 自分を怪しんでアリスがつけてきているかもしれないと思ったが、それは単なる思い過ごしで済みそうだった。気配もなにもしない。

 ぬかるんだ道に気をつけて歩き、車が見えてきたところで、アヤは叫びそうな声を呑み込んで車に駆け寄った。

 車のトランクが開いている。

 そんな馬鹿なことがあるはずがない!

 まさか屍体が自分で外に出たとでもいうのか?

 実はまだ生きていたとでもいうのか?

「……そんなはずない。あいつはあたしが殺したのよ」

 怨念を込めて呟いた。

 考えられる可能性を模索して、アヤは瞬時に結論を出した。

 あの屋敷の奴らが屍体を運んだのだ。それしか考えられない。

 慌ててアヤは屋敷に引き返した。

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