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傀儡館(上)

 ――地獄。

 そこはまさに地獄のごとき場所だった。

 天は赤く燃え揺れ、ガス状の暗雲が流れ渦紋を巻く。

 岩肌を剥き出しにした渇いた大地には、大きく口を開けて深奥まで続く亀裂が奔り、蜿蜒と続く遥か先には溶岩を噴出す群山が眺めた。

 足元から噴出した熱い蒸気を、少年は後ろに跳躍して躱した。

 少年の真後ろには、唐草を模した装飾の施された真鍮の扉があった。

 しかし、そこには壁がない。扉だけがそこに存在していたのだ。

 一見して意味を成さない扉のようであるが、そこを潜り抜ければその意味を知る。扉は別の空間へと旅人をいざなう。それを知る者たちは〈ゲート〉と呼んでいた。

 赤い空に木霊する遠雷に混じり、少年の耳には妖異たちの呻き声が聴こえていた。

 瘤だらけの赤黒い巨躯を持つ悪鬼。

 長い体毛を躰中に生やし、老婆のような顔を持った化け物。

 四つ足の凶猛な野獣も多くいる。

 少年に殺到する怪物の荒波。

 群から飛び出し、巨大な怪鳥が少年の頭上に目掛けて滑空して来た。

 鋭利な鉤爪を向ける怪鳥の前に、突如として立ちはだかった白い薄絹のドレス姿。

 そして、怪鳥はドレス姿の影が放った煌きによって、顔面から左右に身を裂かれたのだった。

 少年は女性に背中を預け、押し寄せてくる数え切れない怪物たちを凝視する。

 二人に対して、猛敵の数は果てない。それを掃滅する術はただひとつ。鍵は少年が握っていた。

 少年の黒瞳が、より深く闇を帯びた。

 敏速に動いた少年の指先から、煌く輝線が放たれる。

 その輝線は空に奇怪な紋様を描く――魔法陣だ。

 少年が叫ぶ。

「傀儡士の召喚を観るがいい、そして恐怖しろ!」

 魔法陣の『向こう側』から、巨大な魔獣のような〈それ〉の呻き声が鼓膜を震わせた。

 〈それ〉が豪快なくしゃみをすると、唾の飛沫が荒れ狂う嵐を巻き起こし、嵐は霧の巨人を創りあげた。

 この場でなによりも大きな霧の巨人は、霧に包まれた中でただ一つ蒼く輝く目玉で、三〇メートルの高みから周りの小物たちを見下ろした。

 脅えだす怪物ども。

 だが、もうしっぽを巻いても無駄だ。

 霧が怪物どもを呑み込み、叫喚と共に霧が紅く染まった。

 先の見えない霧の中で、聴覚が研ぎ澄まされ、怪物どもが次々と惨死していくのを知覚した。

 霧の巨人は興奮するように真っ赤に染まり、周囲の怪物どもは瞬く間に掃滅されてしまった。

 だが、まだ遠くで呻き声がする。

「……今日はここまで」

 少年は呟いた。


 豪雨が滝のように降りしきる闇夜の山道。

 苛立つアヤは力いっぱいハンドルを両手で叩いた。

「クソッ!」

 停止した車中から、闇を照らすヘッドライトを視線で追った。その瞳は憔悴しきっており、そのため実年齢の二四歳には見えないほど、顔も老人のようにやつれてしまっていた。

 ――車がエンストした。

 エンジンを掛け直そうにも、不気味な音を鳴らすだけで、それ以上はなにもアクションが起こらない。

 屋根を打ち付ける大粒の雨音。

 ヘッドライトは弱々しく闇に吸い込まれ心もとない。

 町までの距離もわからず、世界にたったひとりで取り残されてしまった気分だ。

「どうすればいいの、どうすればいいのよっ!」

 狂乱してアヤは長い髪の毛を掻き乱す。

 ケータイを手に握る――が、圏外。それに、今は人を呼んで助けを求めるわけにもいかなかった。

 車のトランクに積んである『モノ』が心配だ。人を呼んでトランクを開けられたら、いい訳もなにもできない。

 山中を走る途中、何度もトランクから音が聴こえた。それがなんの音かはわからない。その度に、中の『モノ』が壁に当たる衝突音だと自分に言い聞かせてきたのだ。

 ローヒールでアクセルを踏み潰すが、やはり車は前に進まない。

「イヤ、イヤ、イヤーッ!」

 こんな場所にいたくない。気が狂いそうだ。

 周りの闇が怖い?

 ――違う。

 別の『モノ』が怖い。

 居ても立ってもいられず、アヤは運転席から後部座席に移動して、ウインドーから辺りのようすを伺おうとした。

 水滴がついて曇るガラスを袖で拭き、アヤはその先に光るなにかに眼を凝らした。

 もう一度、ガラスを擦って再確認をする。

 明かりが見える。

 希望が灯る。

 すぐにアヤは助手席に移動して、ダッシュボードに入れてあった折り畳み傘を出そうとした。――傘はなかった。前に使ったままで戻し忘れたのだ。

 今日は厄日だ。アヤの苛立ちは募るばかりだった。

 しかたなくアヤは車のキーを抜いて、豪雨の降る車外へ飛び出した。

 雨が瞼に当たり視界を遮る。

 アヤは眉の辺りに手を添え、雨を遮りながらあの明かりに向かって走り出した。

 足元のジーンズに飛散する泥水。

 雨に濡れて肌に張り付くアンダーシャツ。

 出かける前に着替えたばかりなのについていない。

 濡れる髪を振り乱しながら、走りついたアヤは明かりが洋館から漏れていたものだと知る。

 助かったと思う反面、こんな山奥にある洋館を薄気味悪く思った。

 人里を離れる主は変わり者か偏屈者だと、アヤは勝手な先入観を抱いた。

 しかし、その先入観は少し裏切られる形になった。

 玄関をノックしたアヤを出迎えたのは十四、五歳の少年だったからだ。

「私はこの屋敷の主に仕える使用人ですが、あなたの用はなにでしょうか?」

 偏屈そうな中年か、老年が出てくるものだと身構えていただけに、アヤは面を喰らってしまったのだ。

 深い黒瞳に見据えられ、アヤは慌てる。

「車がエンストして困ってるの!」

「なるほど……夜道と豪雨で外は危険です。今日はここにお泊まりなさい」

 妙に落ち着いた相手の物腰に、アヤは一度冷静さを取り戻し、再び自分の状況に取り乱しそうになった。

「明日は会社に行かなくてはいけないの。だから車を貸していただけると嬉しいのだけれど……?」

 車に残してきた『モノ』が気がかりだ。アレを別の場所に運ばなくてはならない。

「残念ながら明日は月に一度の買出しに車を必要とします。だからあなたにお貸しすることはできない。朝一で買出しに向かいますので、その際に侍女にあなたを送らせましょう」

 翌日まであの場所に車を残してきて平気だろうか?

 朝まであの道を人が通る心配はおそらくない。だからこそ人里を離れたこの場所を選んだのだ。洋館があったのは予想外だった。

 ひとまずはこの屋敷で時間を潰し、冷静になってから今後の対策を練ろう。

 アヤは少年の申し出を受けることにした。

「一晩泊めてもらうことにするわ。それから、できれば送ってもらうのは、昼頃に延ばせないかしら?」

 車のトランクにはまだ『屍体』を乗せたままだ。

 雨が止むか、明るくなったら、残してきた屍体をどうにかする。朝一で町まで送ってもらったら、車をあの場所に残していくことになる。それから再び車をレンタルするなりして、あの場所に戻るには時間がかかる。そんなリスクは負いたくなかった。

 深く考えるように下を向いていた少年が顔を上げた。

「昼にという相談は、主人に聞いてみなければわかりません」

「わかったわ」

 俯いたアヤはすぐに顔を上げて手を叩いた。

「そうだ、あたしの名前は霜崎アヤ。ところであなたの名前は?」

「愁斗と申します」

「年齢は?」

「一三歳になります」

 それを聞いてアヤは少し驚いた。思っていたより、年齢が低かったからだ。外見よりも、大人びた物腰が年齢を高く見せていたのかもしれない。

 一三歳というと中学生だろうか。だが、この場所から学校に通っているとは考えづらい。

「あなたはどこに住んでいるの? この屋敷?」

「そうです。主人に仕える使用人ですから」

「学校は通っていないの?」

「僕は死人ですから」

 と返され、アヤは理解に苦しんだ。

 死人?

 まさかそのままの意味ではないだろうが、どういう意味なのかアヤには理解できなかった。

「立ち話はここまでにしましょう。風邪をひくといけません」

 と、愁斗は言い、廊下の向こうに顔を向け大声をあげる。

「アリス、お客様を部屋に案内してくれ!」

 呼びつけられ姿を見せたのは、メイド服を着たブロンドの少女だった。年齢は愁斗よりも明らかに低い、七、八歳くらいだろうか。しかし、この少女も妙に物腰が落ち着いている。

 やって来た少女を愁斗が紹介する。

「侍女のアリスです。この者があなたを部屋にお連れします」

 紹介されて、蒼い目を細めてニッコリと笑うアリス。肌は透き通るように白く、毛穴も染みもなく、創られたような端整な顔立ちをしていた。

 ややアヤは困惑した。

「この子は日本語がしゃべれるの? 『次女』だと言ったけど、あなたには似ていないわ」

 勘違いしたアヤは軽率に似ていない兄弟だと指摘した。すると、アリスは子供とは思えない艶笑を浮かべ、流暢な日本語を話した。

「『次女』ではなく、メイドという意味の『侍女』でございます」

 アリスは宙に指で二つの漢字を書き比べた。日本語だけでなく漢字も精通しているらしい。

 外観から感じていたが、この洋館は少し可笑しな感じがする。日本人の子供と外国人の子供が、この屋敷の主に仕えている。まだ見ぬ屋敷の主に、アヤは不気味さを感じずにいられなかった。

 アリスは手を廊下の先に差し向けた。

「お部屋にご案内いたします。どうぞこちらへ」

 歩き出すアリスのあとを、アヤは周囲を見回しながらついていく。

 屋敷の中は外観と同様、西洋風の造りになっていた。長く伸びる廊下には刺繍の施された絨毯が敷かれ、壁には風景や人物を描いた絵画が飾られている。資産家ということは安易に想像できた。

 ゲストルームに案内されたアヤはアリスにシャワーを勧められた。

「シャワーを浴びて、お着替えをなされた方が宜しいかと思います」

 その言葉とタイミングを見計らっていたように、愁斗が服を抱えて部屋に入って来た。

「生憎ドレスしかないが、これを着替えに使ってください」

 ドレスを手渡され、アヤはそのドレスに疑問を抱く。

「誰の物?」

 愁斗が答える。

「この屋敷の主――紫苑様の物です」

 主は女性だったのだ。

 そういえば、まだこの屋敷の主に会っていない。

「主にあいさつしたいのだけど?」

 アヤの申し出にアリスが間を置くことなく応ずる。

「主人はすでにお休みなっております」

 わざわざ起こしてもらうのも悪く、アヤは主人との面会をあきらめた。

 愁斗もアリスも部屋を去ってしまい、アヤは部屋にひとり残された。

 ケータイをポケットから取り出すが相変わらず圏外。部屋には電話機もネット環境もない。

 アヤは気分転換のためにも、とりあえずシャワーを浴びることにした。

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