朝の戦い
この世で最強の敵とはなにか。
ロシアか。アメリカか。ハンニバルか。孔明か。真田か。ナポレオンか。義経か。
否。否である。
国家とは最強の武力と最強の金の力と最高の政治力を兼ねる存在だ。より強くなるべく常に進化を続けているという意味では、物的能力において最高の存在と言えるだろう。
しかし、常に進化を続けるということは、言い換えれば常に今が最強でないということを意味している。
それでは最強と呼べはしない。最強に近づこうと進化を重ねるとあうことは、永遠に最強という言葉から遠ざかり続けることと同義なのだから。
それでは、歴史上の英傑達はどうだろう。彼らはその生涯を閉じることを以て、その力を後世で観測可能、計量可能としている。有史以来唯一無二の存在である彼らは文字通り数千年に一人の才覚と力を持つ者であることは疑いの余地がない。
では、彼らこそが最強かといえば、またそれも違う。
彼らは過去の存在故に、現代・未来に干渉できる力がない。無論、歴史に学び、故事に倣い、学習を以て未来を作る人間にとって彼らの存在は大きい。或いは凡百の現代人など歯牙にもかけぬ力を持つやもしれない。
しかし彼らはアメリカ大統領になることはできない。婚姻を結ぶこともできぬし、血統が絶えているのであれば、己の遺伝子を世に残す能力を持たない。
死して持った力はあれど、その力は今日の世界を揺るがす大企業の株価や政治家の意思決定とくらぶれば決して最強と呼べるものではないことが分かるだろう。
では、最強の敵とは何か。人類が決して勝つことがかなわない、過去も現在も未来も通して「最強」と呼べる敵とは。
私はここであえてこの名を挙げよう。
「眠気」
そう。これこそ、歴史上人類が決して克服し得ぬ最強の敵なのだ。
朝起きて、布団を持ち上げる手の重さを知らぬ者はいまい。
健康的な青年、成熟した女性ですら抗えぬ悪魔めいた力だ。
ましてや今現代。魅力的な書籍、漫画、インターネット、snsといった強大な戦力によって睡眠時間という資源を切り崩された私達学徒にとって、瞼の重さは時にブラックホールに比肩する質量を持つ。
しかるに私達人類がこの最強の敵に打ち倒されることは決して恥ずべきことではない。「最」も「強」き存在に勝利する術などあるはずがなく、それゆえの一一
「話は分かった。よし、寝坊だな。廊下に立ってろ」
笑顔で肩を叩いた担任に、私は黙って頷いた。