サーカス「メルヘンランド」
ぼくはまだ、ここにいた。
大人たちがつけた時限爆弾はいつのまにかなくなっていて、ぼくの胸のプレゼントはきらきらと輝いている。
「さぁかす……」
そう呟いてみる。
不思議な感覚。まだ、胸の奥でわくわくしている。
『またあとでね』
少年は、そう言っていた。
会いたい。あの人に、会いたい。
何でそう思ったのかは分からない。だけれど、気がついたときには、ぼくの足は『さぁかす』へと向かっていた。
最初は歩いていた。途中ではや歩きになり、そしていつの間にか走っていた。
人と人の合間を縫って、「メルヘンランドはこっちですよー」と案内する人を横目に走る。そして、ちょっと長めの階段を一気に駆け上がると……
「わぁ……」
入り口の上のアーチには『メルヘンランド』という文字。
誘われているのかな? ぼくは無意識に中へ入ろうとする。
そのとき誰かが、ぼくの肩をとんとん、と叩いた。
「僕、どうしたの? お父さんやお母さんは?」
女の人がぼくを止める。
「あ……えっと……ごめん……なさい……」
勝手に入ってはいけないみたいで、ぼくは謝ってその場を離れようとした。
すると突然、ぼくの体が持ち上げられた。
「シエロ君、この子は僕の招待客だ。問題ないよ」
ぼくが顔をあげると、さっき街で会ったあの少年の顔が見えた。
「そ、そうでしたか。すみませんでした、団長」
「気にすることないよ。それでは」
団長と呼ばれた少年は、ぼくを抱いたまま中へと入った。
少年はぼくをおろす。
「ようこそ、メルヘンランドへ! 歓迎するよ」
そう言ってウィンクをした。そのとき気づいたのだが、さっきと違い、右目の下に青い雫がある。
「……泣いているの?」
「……あ、いきなりそう来るか。気になる?」
ぼくは黙ってうなづく。
「これはね、メイクだよ。舞台で使うんだ。君も、やってみる?」
あんまりよくわからなくて、首をちょっとひねって、それからうなずいた。
「よし。こっちにおいで」
少年はぼくの手を引いて、少し離れたテントの中の一つへと僕をつれていってくれた。
中には、大小様々な箱、椅子、大きなボール、あとよくわからない大きな物体がごちゃごちゃと……とにかくたくさんの物がおかれている。
「ここに座って」
椅子の一つを指し示され、僕は言われた通り座る。
少年は箱からペンを取り出して、僕のほっぺたに何かを描いていく。
「何してるの?」
「ボディペイントだよ。もう少しでできるから、ちょっと待ってね」
しばらくしてぼくはあることを思い出し、この少年に尋ねた。
「……爆弾、持ってる?」
ぼくの服に付けられた時限爆弾、あれを取ることができたのは、この人しかいない。
「何のことかい?」
「ぼくの服についていたもの、とったでしょ? 危ないから……」
危ないから……? 一体この後、何て言えばいいのだろう? 返して欲しいわけではない。だけど……
「まぁまぁそんな怖いことを言わずに。それとも、僕がそんなものを持っているという証拠でもあるのかい?」
そう言われると、返す言葉が無い。
「ほら、できた。見てごらん」
少年はぼくの前に鏡を持ってくる。
「……ほし?」
「うん」
「おそろい?」
「そうだね。僕のは涙だけど、君のは星だ。君には、笑ってほしいからね」
なんだかよくわからないけれど、とにかく嬉しい。
「そう言えば、まだ自己紹介していなかったね」
「じこしょうかい?」
「うん。僕はシルバー・クラウン。クラウンって呼んでくれればいいよ。君、名前は?」
「名前……」
それは、何て呼ばれているか、ということだろうか?
「fifty - third」
少年――クラウンから一瞬笑顔が消える。
「それは、名前じゃなくて番号だね。名前、ほら、マイケルとか、ジョンとか……とにかく、自分を表す特別な言葉のこと。名前は?」
少し困ったような顔をされる。
「……わかんない」
そんなことをきかれたって、ぼくにだってわからない。
「うーん……じゃあ、僕がつけてもいいかい?」
クラウンはポケットからカードの束を取り出すと、机の上に広げ始めた。
「ねぇ、これ、なに?」
「これはトランプだよ」
「とらんぷ?」
「ゲームとかで使うカードのことだよ。1から13までの数字と、ハート、クローバー、ダイヤ、スペードの4種類のマークが書いてあるんだ。例えば、これはスペードのエース――1なんだ」
クラウンが黒のちょっと変わったマークが1個書かれたカードを見せてくれる。
「じゃあ、これは?」
赤色の、絵が書かれたカードを指差す。
「これはハートのクイーン――12だね」
「これは、ハートの7?」
「正解」
「これは……何のマーク?」
黒の三つ葉のような形のようなもの。
「それはクローバー。こっちのはダイヤ」
「ってことは、これがクローバーの9で、こっちがダイヤの3で……」
カードを一枚一枚マークと数字を言いながら並べていくのに夢中になった。
「……これは……?」
ぼくは1枚の不思議なカードを見つけた。ハートでもクローバーでもなく、ダイヤでもスペードでもない。数字でもないし、ジャックやクイーン、キングでもない。カードの中央にちょっと変わった、怪しげな人がかかれていた。
「これは、ジョーカーって言うんだよ」
「じょーかー? どんなカードなの?」
「すべてのカードであり、どれでもない、何にでもなれる特別なカードだ」
「この人が変身するの?」
「いや……そうじゃないんだけどね……」
ジョーカーのカードをじぃーっと見つめていた。
「気に入った?」
ぼくは間髪いれずに大きくうなずいた。
「そうだ! 君の名前は、ジョーカーだ!」
「……僕が……ジョーカー……?」
「うん。そのカード、好きでしょ? だから、ぴったりだと思って」
口の中で新しい言葉をつぶやく。
「よし、ジョーカー君。まだ時間があるから、他のところに遊びに行こうか」
クラウンはぼくの手を取って、テントの外へ連れ出した。
「どこ行くの?」
「パンダとかライオン、見てみたい?」
「えっと……パンダが玉乗りで、ライオンが火の輪をくぐるんだっけ?」
「よく覚えていたね。……まぁ、それだけじゃないけど」
出てきたテントからちょっと離れた、他よりも結構大きめのテントに入る。
中には大小様々の檻が置かれていた。
「テイラー、ちょっといいかい?」
クラウンがテントの奥の女の人に話しかける。
「あら、クラウン。なにか用事かしら?」
「ちょっと君のパートナーたちに会いにね」
テイラーはぼくがいることに気付く。
「Little boy. ライオンを見るのは、初めてかな?」
大きな蒼い瞳がぼくを覗きこむ。
「Wild king,Come here.」
テイラーがそう言うと、一番奥の檻の中から茶色い動物が出てきた。
「この子がライオンのワイルドキングよ」
ぼくよりもずっと大きくて、威嚇されているような気がしてしまう。
「可愛いでしょ……ってあれ?」
ぼくは怖くなってクラウンの後ろに逃げる。
「大丈夫だよ、ジョーカー君。あのライオンは大人しくていい子だから」
そんなことを言われたって安心できっこない。
震えながら隠れていると、ライオンがのっしのっしとやって来る。
そして、ぼくたちの前で座った。
「ほら、いい子でしょ。こうやって撫でてあげると喜ぶよ」
クラウンがライオンの頭を撫でると、嬉しそうにする。
ぼくがゆっくりとクラウンの後ろから出てくると、ライオンがそれに気づいて、こっちにやって来る。
「ひゃあ!」
驚いて逃げようとしたら、足がもつれてその場で転んでしまった。
ライオンは近くに座ると、ぼくにほおずりをしてきた。
「や、やめてよ、くすぐったいよ」
さっきまで怯えていたのが急に可笑しくなって、笑えてしまう。
「ね? 可愛いでしょ?」
テイラーの言葉に大きくうなずいた。
「ありがとね、テイラー」
「こちらこそ。みんながリラックスできてよかったよ」
一通り動物たちと遊んでから、ぼくたちはテントを後にした。
「あっ……もうそろそろ時間だ」
「なんの?」
「もうすぐサーカスが始まるんだ。だから、会場に行こうか」
「サーカスって、ここじゃないの?」
「正しく言うと、サーカスはさっき見た動物たちが演技をしたり、あのトランプとかでマジックをやることなんだ。まぁ、見れば分かるよ。早速、行こうか」
クラウンはこの中で一番大きいテントにぼくをつれていった。
中に入ると、たくさんの人が座っていた。
「ジョーカー君、ここに座っていてね」
紙のコップに入った白いお菓子――ポップコーン――というものと飲み物をぼくに渡すと、クラウンはどこかへ行ってしまった。
ぼくは一粒ずつポップコーンを口に入れながら、周りを見渡す。
「……」
ぼくの近くを、自分と同じくらいの子どもが通る。楽しそうに、大人に手を引かれて歩いていく。
あっちでもこっちでも、大人と子どもが話していた。楽しそうに……
「……あ……」
――――――ぼくは、ひとりぼっちだ。
いつもそうだ。
大人はぼくにはあんなことをしてくれない。
クラウンが教えてくれたような楽しいことも、大人はぼくにだけ教えてくれない。
教えてくれたのは、つらいことだけ。
挙げ句の果て突きつけられたのは、『Bad apple 』という言葉と時限爆弾。
たった一人で最期の仕事を押し付けられたが、それすらも出来なかった。
今日初めて知ったことはたくさんあった。
名前という特別な言葉のことも、トランプというカードも、あんなにも優しい動物がいることも。そして、大人と子どもが仲良くできる世界があって……
――――――そこに、ぼくの居場所が無いということも。
その根拠は無い、だけど、そう思った。クラウンだって、このサーカスが終わったら、きっとどこかへ行ってしまう。
頬を何か熱いものが伝う。
胸が締め付けられるような、不思議な気持ち。大人に起こられたときと似ているようで、全然違う感じ。
「ジョーカー君? どうしたの?」
近くで、クラウンの声がした。
ぼくはすぐに抱きついた。
そんなぼくを嫌な顔一つせず、クラウンは抱きしめてくれた。
「……ごめんね。淋しかったんだね」
泣きじゃくるぼくの頭を、優しく撫でてくれた。
クラウンはぼくが泣き止むと、テントの別の場所につれていってくれた。
その場所では、たくさんの人が慌ただしく動き回っていた。
「ジョーカー君、もう大丈夫?」
「……うん」
「よし、じゃあ、ちょっとこれに着替えてくれる?」
見せたのは、今クラウンが着ている服とおそろいのもの。
「ちょっと大きいけど、大丈夫だね」
「うん。いっしょだね。……ところで、どうするの?」
「ジョーカー君にはちょっと手伝ってほしいんだ」
「何を?」
「僕たちのサーカスを、さ」
クラウンが、合図のようにウィンクをした。