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箱舟が出る港  作者: 村雨 正巳
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引け請け人 菊村貢 その四

―――三年前の晩秋に遡る。



男が山を登っていた。

陽はほとんど射さない。

まだ昼にもならない時間だが一面はほぼ墨絵のような山林であった。

樹木をなんとか突破した細い光が何者かの願いに答えるかのように幾筋か地面にささやいている。

あの角度から光が降りるともうすぐ雪が降ることを男は知っていた。

枯葉を踏まないようにとここまで丁寧に上ってきた。

残り三時間も動けば誰も知らない穴がある。

熊穴だ。

二頭の熊がそこを棲家にしていることも知っていた。

午後三時前後になればその穴の周りだけを照らす少ない光が来ることも知っていた。

―――雪が降ればいい・・・

冬眠前の親子熊をカメラに収めるために男はやってきていた。

世間では名の知れた写真家だ。

さあもうすぐだ少し休もうとつぶやき静かに岩に腰を下ろし水筒を取り出した。

数条の光が熊穴を照らす。入ろうとする刹那偶然に一条でもいいから親子を射る光が欲しい。

そして粉雪があれば・・・男の狙う構図はこの三点であった。




明け方入れたお茶はまだ熱い。

―――旨い

胃に落ちる軌道を男は楽しんでいた。

足掛け七年になるか。

 ―――今年こそ撮れたらのなら

 あと十分もしたらあそこまで行こう。

 男はその後の計画を復習しながら、天を仰いだ。



 「ん?」

 瞳を水筒に戻す刹那薄く横切るような影を見た気がした。

 葉か?いや揺れてはいない。風は全くない。

 注意深く見回したが動いているものは何もない。触れた草が男が動くに合わせ揺れているだけだ。

耳を澄ましたが聞こえるのは鳥のさえずりだけだ。

 ―――気のせいか

 どれと男は立ち上がった。

 立ち上がると同時に腰を抜かした。




 正面に見慣れた小さい岩がある。

 岩陰から、それが、こっちを見ていた。



 青白い光を放ったお面のような顔が浮かびあがり、男を見据えていた。





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