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箱舟が出る港  作者: 村雨 正巳
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引け請け人 菊村貢 その参

 「君、私が話を聞くからここはいいよ」

 ―――ススキをくわえた汚い人がこの小切手を。それで気味が悪くて・・・

 若い署員が対応していた。

 丁度通りかかった署長が何を思ったか柔和な笑顔でさあどうぞと、女を別室に連れて行った。

 若い巡査はきょとんとした顔をしたが、多忙だったせいか、次の仕事にとりかかった。




 どうぞお座りくださいと言うと、すぐにディスクのパソコンに向かった。

 一枚の写真をプリントアウトした。

 「今偶然に耳にしました。ススキを口にした・・・お子さんと遊んでいたというホームレスのような男とはこれではありませんか?」

 女は小切手を手にしながら、コピーされた顔を凝視した。

 「五年前の写真ですな。そうは変わらんでしょうが、零落・・・いや世を捨てた姿とでも・・・まあ昨日の姿から想像してご覧ください」

 剣道着姿の男がそこにあった。

 髪もさっぱりした長身の男は一見して銀行員のような感じだった。

 よく見れば眼光が鋭く、それは実に遠い世界を見ているような目だ。

 剣道着には、【常央大 菊村】と書いてある。




 「この人です・・・ええ、間違いありません」

 昨日は汚い長髪で顔が少し隠れ、細部まで記憶することは出来なかったが、左の唇の横にある小さなホクロを女は見ていた。

 その印象的なホクロが写真の男にもあった。

 「なんでしたら、その写真にぼうぼうの髪と髭を加え、お見せすることも可能ですが」

 女は小さく横に手を振った。



 「この方はどういう人なのですか?一千万もの小切手をあんな人が・・・」

 「ご心配なく。あの男は犯罪者ではありませんし、これは盗まれたものでも偽造小切手でもありませんな。しかし・・・」

 「しかし?」

 「・・・いえ。で小切手をどうされますか?」




 女は署長がいいかけた「しかし」が気になったが。

 目を伏せて小切手を見ている。

 亡き夫が作った借金が500万、完済すれば残りで三年間はやっていけるはずだ。

 その間になんとか自立する方法もみつかるはずだ。

 あの闇借金の取立てが明日にでも来なくなればどんなに楽だろう。

 女は返事に困っていた。




 「奥さん、ご提案ですがその小切手、遺失物として警察に届けませんか?」

 「・・・はあ」

 「大丈夫ですよ、奥さん。その代わりと言ってはなんですが、警察の方から額面額を全額お渡しいたします」

 「えっ、えっ?」

 女はまじまじと署長の顔をみた。

 昨日の乞食のような男に代わって、信頼出来る公の組織が代わりに金をくれるという。

 「こうして警察に相談してくださるとは、奥さん正直な方ですね。遺失物、特に現金の類はあまり戻ってこない。昔は少なくとも今ほどひどくなかった・・・」

 署長は古いがさっばりと洗濯をこなしている女の服に目を置く。

 「はぁ・・・」

 女には信じられなかった。

 「受取人の名が菊村貢。これは先ほど申し上げたように何の問題もありません。銀行もメガバンクですしね。問題は振り出し人ですが、これは私どもに任せてください。まああの男がくれるというならそれでいいじゃないですか」

 署長は女の澄んだ目をみつめ、立ち上がるとプリントアウトした画像をシュレッダーにかけた。

 「あのう、犯罪に巻き込まれるということには・・・」

 「奥さん警察が代わりにお支払いする。それがすべてですよ。大丈夫です。しかし暑い日が続きますね。体調に気をつけてくださいね。」


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