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箱舟が出る港  作者: 村雨 正巳
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香 ~こう ~その四

 「支持率も低下して、おる。そろそろ後進に道を譲ったらよろしかろうと」

 齢にして八十九、輪郭のはっきりしない印象は、いまだに幽鬼のようだった。

 低いが化鳥のような声が同じことを二度放った。

この歳になっても政財界に大きな影響をもっている。

 歳に全く似合わない黒い蓬髪をかきあげ、葉巻を口にした。

すかさず白いスーツの女がライターを取り出し火をつけた。

深く吸い込む紋付羽織袴姿は、重鎮、自由党幹事長、一藁力であった。

 夕方にもなってまだ35度の気温であった。

 一向に下がる気配がない。

 重い太陽が首相を蝕むかのように、影を幾重にも暗くしていた。

 



「私もまだ任期が残っております。責任、もですな。これからやらなければ

ならないことが山積みでして。」

 ―――今宵も熱帯夜か・・・

 窓際から空を眺めていた内閣総理大臣高根沢雄一郎が、対面のソファにゆっくりと腰を下ろした。

 「君、日本は未曾有の危機なのだよ。中国をみろ、北朝鮮を韓国を見たまえ。テロが蔓延する世界情勢を見たまえ。これからはなあなあ、では済まんのだよ、戦後七十年も経てだ・・・世間ではこう言うとる。遺憾砲、きわめて遺憾の腰抜け総理とね。解るね?なるべく早く内閣を解散しなさい。決断したら早急に連絡することだな」

 何者も私には逆らえない、たとえ総理であってもだ。

魍魎じみた鋭い眼光が高根沢を射ていた。

 一藁は時計に目をやり杖をトントンと叩いた。

 「・・・危機ですか。充分に承知しております。手は打っておりますがなかなか」

 高根沢は皮肉そうな目で一藁を見据えた。

 「そもそも私に対しての批判は防衛のみに限定されているようです。懸案でした金融、経済、福祉政策前内閣より高い評価を得ている、これは先生もお解かりのはずですが?」

 握り締めた拳の親指が間接に行きポキと音をならせた。

 「ほう・・・?危機ですか?とはバカに柔らかな言い方をかるじゃあないか、ええ?」

 化鳥がクククと笑った。

 高根沢首相はそれには答えず「先生、今、何月と思いますか」と二本目の葉巻を手にした老人に火を与えた。

 「五月二日だ、私をおいぼれだと?」

 「実に暑いと思われませんか?熱帯夜が三月中旬から始まり、もう一ヶ月半になる・・・」

 きわめて抑揚のない声で首相は目を窓においた。

 「君、それは環境のことを言っているのかね?まずは防衛だ!憲法改正、そして核武装が必要な局面だ!!真の日本の独立を果たすために、今ほどチャンスがあろうか。奴らはミサイルを撃って恫喝三昧だ。このままでは国体が壊れる。内閣調査室は君に何も話さないことはあるまい、子飼いだからな。日本に潜入している工作員の数も知っているはずだが。それに比して、だな。一ヶ月半の熱帯夜がどうしたというのかね?私は知っているようにジャングルの中で戦ったことがある。気象は気まぐれだ、そんなものは気象庁にでも任せておけばいい!!」

 あの戦いの灼熱の比ではない、私は少しも暑くはないよ、とつけ加えた。

 「そうですか。たった一ヶ月半と・・・私は未曾有の気象と思いますがね」

 「みっ、未曾有だと!なんだね君、その挑戦的な態度は?誰が総理にしてやったと思っている?財界をまとめたのはこの私だぞ!」

  「いえ、国民ですな。ところで先生は近頃ご病気などは?」

 「・・・ほほうますます挑戦的じゃないか。病気知らずだが・・・それがどうしたのかね?」

 「でしょうな。五十代、あるいは六十代までが・・・と聞いております」

 「何っ!」

 一藁は杖の力を借りずあわてて立ち上がった。

 「・・・ふむ・・・まあいい・・・君がそれほど挑戦的なのは何かあるね?私に対しての猜疑心かね?何も隠してはおらん。君とは盟友だったはずだ。」

思い直して一藁はソファに腰をおろした。

 スーツの女が目配せしたからだった。

 高根沢はそれを知ってか知らずか「いえ先生、政治家は隠し事がなければ勤まりませんよ」と腕時計を見た。

 「ふむ・・・辞めるつもりはないね?それでいいのかね?」

 帰る気配を察した一藁は、赤く濁った目の光を強く放った。

 「親しい後輩にも別れの時が、かな?帰りたまえ!!」杖をテーブルに横に置いた。

  一藁流の決別の標であった。


 

数分の沈黙の時間が流れた。



 「それでは先生、失礼いたします」

 長身の総理が丁寧にお辞儀をして静かにドアを閉めて出ていった。



「・・・近頃の高根沢さん。鋭いですね、ねえ一藁先生」

 立っていた白いスーツの女が側にゆっくりと座った。甘い香水の香りがどぎつい。

「とっくに解っているよ。確認の意味で来させた。・・・ところで小石くん」

「はい」

 「・・・何か感づいたな。やはりあの男は危険だった。アレに本日から本格的に監視させたまえ。高根沢の行動を逐一私に報告するようにと」

「手配はすでにすんでおります」

「相変わらず頭のいい君だ。次期首相だな・・・」

「ありがとうごさいます。しかしアレはズレタ理由では動かない。義が大切のようです。小生意気な・・・」

「それも解っていて手配したんだろう、君」

「まあ、先生ったら。ところで胸は痛みませんか?」

 「五十六十などのガキの頃などとうの昔だよ。」

 「そう思えませんわ、このペニスの硬いこと」


 

 小石は老人の頭を抱き寄せ汚い唇を吸った。



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